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宮崎駿作品の奥深さ①

2010年02月16日 22時49分12秒 | Weblog
<今宵も銘酒「清洲城信長 鬼ころし」を飲みながら・・>
    



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 ジブリ作品としても有名な宮崎駿作品は、本当に奥深い作品なのだと感嘆した。本屋で、1冊の本を手にした。「宮崎アニメの暗号」(青井汎著 新潮新書)と言う本である。題名だけで判断すれば、「ダ・ヴィンチコード」のような仕立ての本なのかと疑ってしまうが、全く違うのである。何故、宮崎アニメは、万人に受け入れられるのか?その作品が持っている深い意味はなんなのか?と言うことを、解き明かそうとする本なのである。この本には、こんな書き出しがある。「映画館で宮崎アニメを観たあなたは、小首を傾げつつ出てくる観客を見かけたことはありませんか。実は私自身が、その゛小首派゛の一人なのです。もっとも他のアニメ作品やハリウッドの超大作映画に首を傾げるとしたら、「評判のわりにに出来が」とか「あの膨大な制作費は何だったんだ」というように、エンターテイメントとしての出来不出来に由来することが多いと思います。しかし、宮崎アニメの場合、未だかつてそのレヴェルでの疑問を抱いたことはありません。たしかに宮崎アニメを観終わった人のほとんどは、屈託なき笑顔で「今度も良かったね」と頷きあいながら劇場を後にします。でも少なからぬ人々が「面白かったんだけど・・・・・」と、何かしらのわだかまりを「・・・・・」に忍ばせながら帰途に着くのではないでしょうか」と青井著者は投げかける。
 確かに、宮崎アニメは、単なる面白さ、奇想天外さのみで終わってしまう作品ではないと感じる。何かしらの、深遠な意味がある。あのシーンは、何の意味だったのか、このストーリー展開は何を意味しているのか等疑問に感じられることが多いのである。宮崎駿は言う、「通俗作品は、軽薄であっても真情にあふれていなければならないと思う。入り口は低く広くして、誰でも招き入れるが、出口は高く浄化されていなければならない。貧乏ゆすりの肩代わりや、低劣をそのまま認めたり、力説したり、増幅するものであってはならない。ぼくはディズニーの作品がキライだ。入り口と出口が同じ低さと広さで並んでいる。ぼくには観客蔑視としか思えないのである」。


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