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動画道② 時代劇コメディの原点「てなもんや三度笠」

2010年05月23日 01時46分23秒 | Weblog
           
 この「てなもんや三度笠」は、最高に良くできた時代劇コメディだったのである。時代劇風のお笑いコメディ番組では、この「てなもんや三度笠」に勝るものは、存在しえないのではないかと感じる。
 昭和37年(1962年)5月6日に開始し、昭和43年3月31日まで、約7年にわたり放送された長寿番組。全309回の平均視聴率が、東京で26.6%、大阪で37.5%を記録、最高視聴率は64.8%にまで達した、驚異的コメディ番組。制作は大阪の朝日放送。提供は大阪・堺の前田製菓。主演だったあんかけの時次郎役の藤田まことが、「俺がこんなに強いのも、当たり前田のクラッカー」というフレーズが全国的に大流行し、前田製菓は全国に知られる菓子メーカーとなった。
 この「てなもんや三度笠」の始まりは、前田製菓のCMの後、鐘の音が響くと辻堂から、主人公・あんかけの時次郎(藤田まこと)が登場。「あっしは泉州は信太の生まれ、あんかけの時次郎。義理に強いが人情に弱い・・・」と定番の決り文句を言っている途中に原哲男が登場、2人のかけ合いが始まり、「俺がこんなに強いのも、当たり前田のクラッカー」と締めると、オープニングテーマが流れ、「てなもんや三度笠」が始まるのである。
 旅人の珍道中なので、野次喜田の珍道中的な面白みがある。主演は、あんかけの時次郎(藤田まこと)と小坊主・珍念(白木みのる)。この二人に、財津一郎等の役者が加わり、面白いストーリーが展開するのである。この番組では、必ず、要所に当時の流行している歌手が特別に出演することも、人気のひとつだった。水前寺清子、美川憲一等が時代劇の格好で登場し、観客の大きな拍手を受けるのである。また、お笑いのてんぷくトリオ(三波伸介他)も出演する等、豪華なコメディ陣にて進行する画期的な番組であった。
<逸話> 
  • セットに考えられないほどの多額の費用を掛けて臨んだ為に、放送作家や俳優の苦労は並ではなかったと伝えられる。「視聴率は取れて当たり前という時代だったので、当時のギャラは初任給よりも少ないんじゃないか」と、藤田まことが後にコメントを残している。また、ゲストに鶴田浩二に来てもらった際、藤田が「鶴田さんのギャラはなんぼですか?」と聞いたら、スタッフに指1本出され「これだけや!」と言われた。つまり、藤田の1年分という事で、愕然としたという。
  • あまりの人気に「映画版」が何本も作られたが、映画製作中にTVシリーズが休みになるわけではなく、藤田まこと等の役者陣は映画とテレビとの掛持ちで、おそるべき忙しさであったという。
  • 1967年3月19日放送、第255話「上野の戦争」の官軍と彰義隊の砲撃戦シーンでは2トンの火薬が使用されており、カメラが衝撃で何度もブレている。
  • 東京からの出演者も多く、東西タレント交流のきっかけにもなったが、現在の様に航空機も発展しておらず、さらに新幹線が出来るまで(当時は工事中)は、特急列車での移動しかなく、東京・大阪間は早くても6時間30分はかかった。
  • 制作局のABCは当時TBS系列だったが、その後MBSとのネット交換により、テレビ朝日系列(当時は、NETテレビ系列)にネットチェンジしている事から、テレビ朝日が開局30周年記念番組の中で、系列局制作の過去の番組として紹介したことがあった。なお、その番組の中では、MBS制作の『ヤングおー!おー!』(NETテレビ系列→テレビ東京(当時は、東京12チャンネル)系列→TBS系列)も紹介していた。
  • 藤田まことは後年、前田製菓のセサミハイチのラジオCMに出演し「当たり前田のセサミハイチ。最近は、これですわー」と言っている。本番組のパロディである。 

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