アッくんの長岡京新聞社

アッくんの周りで起きる小さくて明るい話題を贈ります。

で・・・大門橋は・・・

2008年11月27日 | □ アッくんの見つけた!
11月27日(木)
「ほぉー大門橋はホウサイ川に架かった勝龍寺城の大手門前から名付けられたのかあー」
「そうですよ アッくんさん」
「ところで大門橋は?イチョウくん」
「これです。近年になって京都府が架け替え工事を行ったそうです」
「そうなのかー・・・で・・・イチョウくんは誰と話してたんだい?」
「それが・・・細川師氏(もろうじ)さんだったような・・・」
「そんなワケない!もし本当に師氏さんだったら 大門橋だけに大門題になるゾ」
「大門題?口が足りない(=大問題)ような・・・」
「口が足りない?先輩に向かって!」
(写真は今の『大門橋』です!)

勝龍寺城大門橋

2008年11月27日 | □ 長岡京市ゆかりの歴史(イチョウくん)

「アッくんさん アッくんさん こちら現地リポーターのイチョウです。
 私は今 勝龍寺城大門橋と刻まれた石の前にいます。

 大門橋(だいもんばし)は小畑川に架かっている橋です。
 この小畑川は南北朝時代に京都へ攻め上ってきた後醍醐天皇を擁する南朝方の基地 石清水八幡宮に対応するため 勝龍寺城が京都を守る前線基地とされ 小畑川を城の外堀とするため 別のところに流れていたものを ここへ流し入れる河川工事をしてできたものだそうです。
 工事を担当したのは北朝方の細川頼春の弟で後に淡路守護となった細川師氏(もろうじ)さんでした。

 勝龍寺城の外堀の小畑川を渡ったところに城の『大手門(おおてもん』があったため 大手門の前の橋で『大門橋』とよばれるようになったそうです。

 以上 イチョウくんのリポートでした!」

パチン!(電源OFF)
「しかし・・・小畑川が勝龍寺城の外堀だったとは・・・」
「そうじゃ。小畑川はその昔『ほうさい川』と呼ばれておった」
「え・え?なぜですか?」
「河川工事を担当したワシの別名である『宝財院(ほうさい院)』から名付けたそうじゃ」
「ふ~ん。河川工事を担当したあなたの名前ねぇ・・・・え?」

(写真の場所はココ