アッくんの長岡京新聞社

アッくんの周りで起きる小さくて明るい話題を贈ります。

花と火の帝 下(隆慶一郎)

2017年06月22日 | □ 長岡京市ゆかりの本(ヨモギさん)
平成29年6月22日(木)
 小説家になりたいヨモギさんは色んな仕事を掛けもちしてる・・・

「ハ・いそがしっ ハ・いそがしっ」
「アッ!ヨモギさん
 長岡京市ゆかりの本を見つけたの?」
「うん!隆慶一郎さんの『花と火の帝』の下巻だ」
「上巻のつづき?
「そう!
 まずは上巻
『古今伝授』は『古今集』の秘儀の伝授の意であるが・・・日本学というべきものだった

 そうで

 関ケ原合戦当時、『古今伝授』を保持していたのが、細川幽斎ただ一人だったことは間違いないようだ。
 幽斎はこれを八条宮智仁親王に伝授することになっていたらしい。
 それがこの合戦で無に帰そうとしたのである。

 とある」
「八条が池の八条宮ですね
「そう。
 で下巻
 登場するシーンはココ

 後水尾天皇は八条宮智仁親王、並びに中院通勝から細川幽斎より伝わった『古今伝授』をさずけられ、そこに御自分の御意見を加えられ、いわゆる『御所伝授』を完成されたお方である。

 後水尾天皇の『御所伝授』に至って、その内容が単なる古今集の解釈にとどまらず、神道と結合して、いわば日本学の如きものになったと云われる。
 これによって後水尾天皇は『古今伝授』の総元締の如き地位を獲得され・・・
 『古今伝授』は完全に皇室のものと化するのである。

 とある。」
「長岡京市出てきませんが・・・
「フフッ
 実は細川幽斎さんが『古今伝授』を授かった場所は勝竜寺城と言われいる」
「へぇーそうなんだ
「で 細川幽斎さんが京都御所で八条宮智仁親王に『古今伝授』を授けたンだけど
 智忠親王が授かった場所の建物を
 長岡天満宮の境内に移築したンだ
 で 明治になって その建物はさらに熊本県水前寺公園へ移築されていく」
「『古今伝授』は『建物伝授』になったと!
「。。。
 つづく