平成24年1月19日(木)
空海は乙訓寺に行くことにした。しかし・・・
「アッくんさん。拙僧は乙訓寺にイイ印象をもっていないのですよ」
「どうしてですか?空海さん」
「私がまだ少年のころ
第50代桓武天皇(かんむてんのう)の皇太子であった弟の早良親王(さわらしんのう)が
長岡京を造っていた役人を暗殺した容疑で
兄の桓武天皇に乙訓寺に押し込められ
十日間の絶食ののち・・・
淡路へ流される途中で死んだ
・・・という事件があったのです。
桓武天皇はその後
早良親王の怨霊に悩まされることになったとか・・・」
「はあ・・・それが 長岡京のなくなった理由とも聞いたとこがあります」
「ウム。タタリなど私の思想からして
歯牙にもかける現象ではありませんが・・・
乙訓寺は ひとたびは牢屋として使われたのは事実だし
天皇周辺に異変があるたびに
『早良親王たたりじゃ~』と騒ぎ立てる原因となった寺
・・・とうことは
一般的にめでたい寺の名前ではないでしょ?」
「そう言われれば・・・
でも長岡京市はイイところですヨ!」
「長岡京市?」
「乙訓寺でした(・・・この時代はまだないか・・・)
行ってみなければ わからないことも多いですよ」
「確かに アッくんさんの言うとおりじゃな
嵯峨天皇さまのご命令には逆らえないシ・・・」
空海は乙訓寺へ行くことを決意した・・・
つづく
(写真手前は乙訓寺にある早良親王の供養塔です)
空海は乙訓寺に行くことにした。しかし・・・
「アッくんさん。拙僧は乙訓寺にイイ印象をもっていないのですよ」
「どうしてですか?空海さん」
「私がまだ少年のころ
第50代桓武天皇(かんむてんのう)の皇太子であった弟の早良親王(さわらしんのう)が
長岡京を造っていた役人を暗殺した容疑で
兄の桓武天皇に乙訓寺に押し込められ
十日間の絶食ののち・・・
淡路へ流される途中で死んだ
・・・という事件があったのです。
桓武天皇はその後
早良親王の怨霊に悩まされることになったとか・・・」
「はあ・・・それが 長岡京のなくなった理由とも聞いたとこがあります」
「ウム。タタリなど私の思想からして
歯牙にもかける現象ではありませんが・・・
乙訓寺は ひとたびは牢屋として使われたのは事実だし
天皇周辺に異変があるたびに
『早良親王たたりじゃ~』と騒ぎ立てる原因となった寺
・・・とうことは
一般的にめでたい寺の名前ではないでしょ?」
「そう言われれば・・・
でも長岡京市はイイところですヨ!」
「長岡京市?」
「乙訓寺でした(・・・この時代はまだないか・・・)
行ってみなければ わからないことも多いですよ」
「確かに アッくんさんの言うとおりじゃな
嵯峨天皇さまのご命令には逆らえないシ・・・」
空海は乙訓寺へ行くことを決意した・・・
つづく
(写真手前は乙訓寺にある早良親王の供養塔です)