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アッくんの長岡京新聞社

アッくんの周りで起きる小さくて明るい話題を贈ります。

二十四孝の孟宗(第3話)

2014年05月20日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
平成26年5月20日(火)

 さくさくさく 雪を踏む音がする
 雪の積もった竹林の中を
 孟宗(もうそう)は鍬を担ぎ
 何かを探すように歩いていた・・・

「どうしたのですか?孟宗さん
「探し物ですよ アッくんさん」
「え?何かを落としたのですか?
「違います。でも どうしても必要なんです」
「・・・手伝いましょうか?
「ありがたいです。母上に元気になってもらいたいから・・・」

 さくさくさく
 孟宗は積もった雪の中を鍬で探った

 つづく
(写真は 天満宮石段下にある『おとくにの竹』の解説板です。
 場所はこちら!)

二十四孝の孟宗(第2話)

2014年05月13日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
平成26年5月13日(火)

 しんしん しんしん 雪が降る
 中国のとある町に 孟宗は母と暮らしていた
 父は幼い頃に亡くしている。

 ゴホッゴホッ 母はまた 重たい咳をする

「寒くありませんか?母上」
「心配ありませんよ 孟宗
 しばらく横になっておれば 治ります」
 母は気丈だ 重たい咳は ずいぶん前から続いている

「やはり お医者さまに診ていただきましょう」
「お金がありません 大丈夫です」
 といい終えて 母はまた咳をした。
 胸の奥から音がする。重い咳だ

「私の稼ぎが少ないために 申し訳ありません」
 目に涙をためる。母のやせ細った手を握り締めた。

 しんしん しんしん 雪が降る

 つづく


二十四孝の孟宗(第1話)

2014年05月06日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
平成26年5月6日(火)

「たけのこシーズンだなあ・・・
「長岡京市の名産
 孟宗さんのお話をしましょう アッくんSAN」
「アッ!ベイッツガーさんだ!
「中国に24人の孝行話があるのですが
 その中に孟宗(もうそう)の話が出てきます」
「24人の孝行話?
「Yes! 二十四孝(にじゅうしこう)って言うのDS(=です)」

 つづく


アッくんの『乙訓寺の空海』最終話 『モチノキ』

2012年04月17日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
平成24年4月17日(火)

 空海は最澄に密教を教えることにした・・・

「よかったですね 最澄さま
「はい。これで念願が叶います」

「ところで アッくんさん」
「どうしたのですか 空海さま
「国が安泰であることを願い
 さらに
 拙僧が乙訓寺にきたことを記して
 毘沙門天さまを彫っておいた」

 空海は 毘沙門天立像をふたりの前にとりだした

「おお~これはすばらしい」
「怖い顔ですね
「はっはっは
 そうかもしれないが あわれみ深い顔だ
 別名『幽愁の毘沙門天』と呼べばよい」

(近年になって 毘沙門天立像は国指定重要文化財となりました

「そうだ!おふたりが乙訓寺で対面した記念樹を植えましょうよ
「は?」
「木はモチノキがいいです」

 空海と最澄はモチノキを植え 乙訓寺を去った・・・

 乙訓寺を去った二人は
 この後 高雄山神護寺へ戻り

 最澄は弟子たちとともに空海から真言密教の灌頂を受けた

 しかし・・・

 2年後の813年になり

 真言密教の教えを説いた書物の貸し借りでふたりはもめ
 絶縁してしまうのである・・・

  

「というのが 乙訓寺にいたときの空海さんのストーリーDS アッくんSAN」
「ふーん
 ・・・で
 このモチノキが当時のものなんですか?ベイッツガーさん
「No!
 いくら長生きでも1200年は生きられません」
 でも・・・
 そんなレジェンドも想像すれば たのしいでしょ?」
「たしかにね

 乙訓寺の空海編 終わり

(写真は市指定有形文化財(天然記念物)のモチノキです!)


アッくんの『乙訓寺の空海』第十六話 『灌頂』

2012年04月10日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
平成24年4月10日(火)

 空海は最澄に密教を教えてほしいと頼まれた・・・

「灌頂(かんじょう)ですか 最澄さま」
「そうです。空海さま
 拙僧に密教の灌頂をたまわりたいのです」
「うーん。。。」

「ためらいはわかります。空海さま
 何しろ私は
 いろんな方々に密教を灌頂してきた者ですから」
「そこです 最澄さま
 灌頂というのは 仏の位につく即位式のこと
 インド国王の即位式をまねたものです」
「存じております」
 
 灌頂という式は頭の頂辺に水をそそぐ
 キリスト教の洗礼にややにている

 密教ではこれを儀式としてとりいれた

 秘密の儀式で口外すべきものでく
 詳しくはわからない
 が・・・

 灌頂が生身の僧を
 大日如来の地位に即位せしめる
 宇宙を想像して壮大な儀式
 式を盛り立てる人も多く
 式に必要な装飾もすごいのである

「いいでしょう」

 空海は最澄に灌頂することを伝えた

「ほ・・・ほんとうですか!」
「はい。ただし、2日後に乙訓寺を出るので
 灌頂は 高雄山神護寺で行いましよう」

 最澄はよろこんだ

 つづく

(写真は乙訓寺の開花前のボタンです!)


アッくんの『乙訓寺の空海』第十五話 『恵果和尚』

2012年04月03日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
平成24年4月3日(火)

 空海は最澄に密教を教えてほしいと頼まれたが・・・

 空海と最澄は乙訓寺で初めて対面した・・・

「最澄さま・・・

 せっかくの申し出ですが
 既に最澄さまの密教は国家が公認しています

 私の密教は公認されていません」
「それはそうですが 私の密教は本物とちがいます

 私に密教を教えてください
 そのためにはなりふり構ってはいられません」
「・・・先輩の学ぼうとする姿勢に あたまがさがります
 正直にいいます
 ずっと前から先輩の密教はニセモノだと思っていました
 だから・・・

 最澄さまに会うのをためらっていました。」
「やはり。
 何度か手紙を書きましたがご返事がないのはそのためでしたか」
「・・・最澄さまと仲が良かった桓武天皇さまが亡くなり
 嵯峨天皇さまの時代になって
 私は嵯峨天皇さまに近寄りました」 
「そうでしたか・・・」

 空海はアッくんと部屋を出た・・・

「何か深刻な様子ですよ 最澄さま
「うむ。どうしても密教を教わりたいのだろう」
「アッ!花ですよ
「白いモクレンのようだ」
「モクレンの花ことばは『恩恵』だそうです
「恩恵・・・

 密教の恩を受けたのは中国の恵果さまであった」
「空海さまの和尚さまは恵果さまという方なのですね
「そう。拙僧は中国で
 大学の勉強を途中で捨てて
 山や野を放浪して
 密教を志した」
「はい
「密教のことの情報を少しづつ集め
 密教の全体を想像し 期待し
 いろんなものを独学で学び
 我流で中国の長安で恵果さまに会った」
「どうだったのですか?
「我流で学んだ密教が正しい密教と合っていた」
「すごいことですよ!
「そうです。だから恵果和尚は私に全てを伝授されました。

 恵果和尚は千人の弟子を育てられました
 その中には 何十年も学んだ人もいるのです。
 結果 伝授されたのは早世した弟子と拙僧の二人だけでした。」
「そんなに苦労されて会得したものだったのですね

 つづく

(写真は乙訓寺のハクモクレンです!)


アッくんの『乙訓寺の空海』第十四話 『対面』

2012年03月28日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
平成24年3月28日(水)

 乙訓寺の空海は最澄と会うことにした・・・

 空海と最澄は乙訓寺で初めて対面した・・・

「はじめまして 最澄と申します」
「空海です」
「こちらの方は?」
「アッ!失礼いたしました。ボクは長岡京新聞社の記者です。
ボクのことを仲間はアッくんと呼びます。」
「ブログとか言うものを執筆されておられます」
「関心なことだ」
「はい(緊張するワ~)」

 最澄は空海に話しかけた

「ところで空海さん・・・」
「その前に最澄さま」
「は?」
「中国へ渡る船団が暴風にまきこまれたときが大変でしたなあ~」
「は?はい・・・」
「最澄さまは何処に上陸されました?」
「空海さま!
 そんな話はどうでもよい
 どうか!どうか
 私に密教を教えてください
「なんと!」

「私は密教を知らないのです
 あなたの密教を私に教えてください」
「いやいやいや
 それはおかしいでしょう
 最澄さまは私より先に日本に帰り
 すでに弟子たちに密教を教えておられる」
「た・・・たしかに私は
 あなたより先に日本へ帰り
 桓武天皇さまに認められ
 弟子たちに密教を教えてきました・・・

 しかし

 私の密教は完成していない。
 完成していないのは知らないのと同じ
 どうか どうか

 あなたに本当の密教を教えていただきたいのです」
「・・・(最澄さまの願いは空海さんに密教を教わることだったのね)」

 つづく

(写真は乙訓寺の弘法大師像です!)


アッくんの『乙訓寺の空海』第十三話 『天台宗』

2012年03月21日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
平成24年3月21日(水)

 乙訓寺の空海のもとに最澄が訪ねてきたが・・・

「空海さまと最澄さまが まさか初対面だったとは・・・」

 空海は最澄を応接間へ案内するよう弟子に命じた

「空海さま?最澄さまってどうな人?
「知らないのか?
 当代一の大僧正じゃ
 拙僧より早く日本に帰り
  しかも天台宗の教祖」
「えらい人なんだ

「うむ。僧になるには国家試験に合格しなければならないが
 天台宗は最澄さまが日本に帰られたとき
 桓武天皇さまに国家試験の科目に加えられているのです」
「つまり教員免許だったら国語・英語・数学・天台宗と並ぶ感じですね
「?」
「・・・ちがうンですね
「・・・」
「つづけてください・・・
「うむ。国家試験の天台宗コースは
 年間2人の卒業生に僧として資格を与えることができます

 2人のうち1人は天台学専攻

 そして もう一人は密教専攻なのです」
「天台宗の中に密教があるンですね
「本当の密教はわたしが習得した真言宗
 でも真言宗は国家がまだ宗教として認められていない
 真言宗は国家試験ではないのです」
「そうなんだ

「しかし 最澄さまとお会いするのは気が進まないなあ・・・」
「なぜですか?
 一緒に中国へ渡ったときのことなど
 お話すること いっぱいあるでしょ?
「先輩が拙僧のところへこられた
 理由はわかっている」
「え?何なンですか?
「それは会えばわかる」
「・・・

 つづく

(写真は長岡京市指定文化財 乙訓寺の裏門です!)


アッくんの『乙訓寺の空海』第十二話 『最澄』

2012年03月14日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
平成24年3月14日(水)

 こうして乙訓寺の本尊。合体大師は 三十三年に一度開帳することになった・・・

「アッくんさん。私は明後日 神護寺に帰ることにしました」
「え?
「嵯峨天皇さまには すでに辞表書いた手紙を送りました」
「もっと長岡京市のよいところを紹介しようと思ってたのに・・・

 そのとき・・・

「おじゃまいたします。空海さまは おられますか?」
「お客さまのようですよ 空海さん

 弟子が出迎えたが 血相を変えて戻ってきた

「た!・・・たいへんです」
「どうしたのじゃ?」
「天台宗の最澄(さいちょう)さまが おみえです」
「なに!最澄さま?」

 最澄が乙訓寺を訪ねてきたのである。

「最澄さまって?
「最澄さまは拙僧の先輩なのです

 あれは8年前

 中国へ修行に行く船は
 四隻

 節操は第一船に
 先輩は第二船にのられたと聞いた」

「え?同じときに中国に渡られたのですか?
「そう。だが 暴風にみまわれ
 別々の場所で上陸し
 先輩は拙僧よりも先に帰国された」
「ふーん。じゃあ よく知ってるンですね最澄さんのこと
「それが。。。
 会ったことは一度もない」
「え?」 

 最澄と空海・・・
 信じられないことに
 新しい仏教を日本に 持ち帰ったふたりは
 こんなにも 出会うチャンスがあったのに
 対面したのは初めてだった・・・


「初対面なんですか?

 つづく

(写真は乙訓寺の毘沙門天堂です!)


アッくんの『乙訓寺の空海』第十一話 『合体大師』

2012年03月07日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
平成24年3月7日(水)

 空海とアッくんは嵯峨天皇にミカンを送ることにした・・・

「早良親王の霊をなぐさめ
 民衆を救済するには
 何がよいのだろう・・・」
「どうしたんですか空海さん
 さっきから ブツブツ言って?
「ブツ・・・仏?
 そうじゃ 像だ
 像は八幡大菩薩さまがよい
 よし!その像は拙僧がつくり
 乙訓寺の本尊にすることにしよう」
「それはイイかも
「しかし・・・菩薩さまのイメージが湧かぬ」

 ビロロロ~ン

「私が八幡大菩薩なのでア~ル」
「え?ウソ!まさかのご本人登場?
「空海の考えは良きものと存じる
 ゆえに 私が本尊の体をつくるゆえ
 空海は 首から上をつくるがよい」
「承知いたしました」
「では そういうことで!」

 ビロロロ~ン

「マジか!

 幾日か過ぎ・・・

「出来た。これが大菩薩さまじゃ」

 ビロロロ~ン

「完成したようじゃの」
「アッ!大菩薩さま」
「体ができた これじゃ」

 空海のつくった首と大菩薩さまのつくった体は
 ぴったりと合わさった・・・


「首は私 体はそち 空海の体じゃ
 今後は この合体大師を乙訓寺の本尊とするがよい
 はっはっは」

 ビロロロ~ン

「行ってしまった・・・

 つづく


アッくんの『乙訓寺の空海』第十話 『柑橘樹』

2012年02月28日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
平成24年2月28日(火)

 空海は弘法大師が誰なのか知らなかった・・・

 年が明け 冬が来た・・・

「そうじゃ!
 嵯峨天皇さまの長寿を願い
 乙訓寺のミカンを千個 贈ることにしよう」
「え?どうして千個こ何ですか?
「ふふふ
 天皇の誕生日を祝った祝日を
 天長節(てんちょうせつ)というのじゃが
 一時期
 千秋節と言った時期があったのだ

 千秋とは千回の秋

 つまり・・・
 嵯峨天皇さまの誕生日が千回あってほしい
 で 千個のミカンにしてみた」
「なるほど!千個で長寿ね

「さらに
 ミカンの色は 黄金が色じゃ
 黄金は不変であると言われておる

 つまり・・・
 嵯峨天皇さまはの命は不変であってほしい
 で 黄金色のミカンにしてみた」
「なるほど!ベイツガァーさんバリに言えば
 Golden Orangeですね
「は?米つが?ご?」
「(そうか アメリカはまだ生まれてないのか・・・)
 ゴールデンオレンジですよ
「・・・
 凍る伝記 俺ン家?(≒ゴールデンオレンジ)?

 凍るような伝記と言えば 早良親王の怨霊説
 俺ン家と言えば 乙訓寺!」

「空海さん。その早良親王の怨霊
 何とかしてもらえないでしょうか?
「よし。やってみよう
 もしかしたら嵯峨天皇が拙僧を乙訓寺へ異動させた理由のひとつに
 早良親王の霊をなぐさめ
 民衆を救済することにあったのかもしれぬ」

 つづく


アッくんの『乙訓寺の空海』第九話 『弘法大師』

2012年02月21日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
平成24年2月21日(火)

 空海とアッくんは柳谷で万人に効く霊水を生んだのであった・・・

「どっこ(独鈷)って何ですか?空海さん
「『どっこ』とは仏教語で『とくこ』とも言われるもの
 実物はこれじゃ!」
「両方の端が尖ってますね。何に使うンですか?
「真言密教では煩悩を打ち砕く菩提心をあらわすものとして用いておる」
「へぇ~(さっぱり わからん)
「はっはっは わからんか?」
「・・・
 話は変わりますが
 どうして 空海って言う名前何ですか?
「うむ。その昔
 拙僧は洞窟(どうくつ)で修行をしておった・・・

 その時じゃ

 拙僧の口に明星が飛び込んでまいった!
 『なるほど!』っと
 その時に悟りを開いたのじゃ

 悟りを開いたとき洞窟(どうくつ)の中から見える景色が
 『空』と『海』だけだったので

 『空海』と名乗ることにした。」
「じゃあ もし長岡京市で修業していて悟りを開いていたら・・・
 『西山』と『市街地』の流れだから
 もしかして『西市』さんだったの?
「それでは 誰なのか わからんだろう・・・」
「すみません・・・
「まあよい。空海と名乗る前は『佐伯眞魚(さえき まお)』と名乗っておったがの」
「まお?フィギュアスケートの?
「スケート?」
「アッ!すみません。忘れてください
 そうだ!
 今日は21日 弘法さんの日 弘法市ですね
「弘法市?」
「はい。毎月21日に東寺さんで行われる縁日です
「なぜ21日なんじゃ?」
「さあ・・・

 アッくんは知らないが弘法さんの命日が21日だからです
 
「ところで その弘法さんというのは誰じゃ?」
「そうだ。空海さんは弘法大師さんなんでしょ?
「弘法大師?誰が?」
「え?

 弘法大師の名は空海が死んでから100年近くたったあとに授かった名前で
 この当時の空海が知らないのは当たり前なのである・・・


 つづく

(写真は乙訓寺の鐘楼です)


アッくんの『乙訓寺の空海』第八話 『独鈷水』

2012年02月14日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
平成24年2月14日(火)

 空海とアッくんは明星水のお香水を嵯峨天皇に贈ったが・・・

「嵯峨天皇さまはすっかり元気になられたようで良かったですね
「うむ。お香水が効いたかもしれないな」

 空海とアッくんは人里離れた柳谷の山中に来ていた。



「ここですか?
「そうじゃ。ここに十一面千手千眼観音菩薩さまが祭られておる」

 今の柳谷観音(揚谷寺)である。

「アッ!サルですよ
「母子のようじゃ」
「母ザルが手で水をすくって 子ザルの目を洗っていますよ
「うむ」
「アッ!子ザルの両目がない
「なんとか目が見えるようにしてあげたいのであろう」
「そのようですね
「何と 何と健気な・・・」

 その日から空海は 柳谷に参っては母子ザルのためにお祈りしたのであった・・・
 母子ザルは毎日 柳谷の清水をすくっては目を洗っていた。
 そして17日目のこと・・・


「空海さん!子ザルの目を見てください!
「見えるようになったか?」

 子ザルの目があいたのである。
 母子ザルは大喜び


「こっちがうれしいです(グスッ)
「そうじゃな。よし。この水を人間にも効くよう
 拙僧がお祈りしよう」

 空海は17日間 独鈷(どっこ)を使ってお祈りした。
 すると・・・
 万人に効く『霊水』が生まれたのである。




「ところで 空海さん・・・
 独鈷(どっこ)って何ですか?

 つづく


アッくんの『乙訓寺の空海』第七話 『明星水』

2012年02月07日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
平成24年2月7日(火)

 空海とアッくんは乙訓寺のミカンを嵯峨天皇に贈ったが・・・

「空海さんが嵯峨天皇さまに贈られた
 乙訓寺のミカン
 天皇さまはお喜びのようで よかったですね
「うむ。しかし・・・
 嵯峨天皇さまは お体の具合が良くないそうじゃ」
「病気ですか・・・
「早く元気になってもらいたいのぉ・・・
 そうじゃ! お香水を贈ろう」
「お香水?
「病気に効く伝説のお水じゃ。
 その昔
 第33代推古天皇が病気になられたとき
 お香水を飲めばたちまち元気になられたという伝説がある」
「それはいい贈り物になりそうですね
「さっそく参ろう。アッくんさんも一緒にどうじゃ?」
「承知しました!



「ここじゃ ここじゃ
 こうやってお香水を汲んで・・・
 おや?水面に明星が映っておる
 これはよい。

 そうじゃ!

 この地は『明星水』と名付けるぞ」
「明星水???
 そう言えば 長岡京市に明星水自治会っていうのがありますよ
「何の話じゃ?」
「いえ。別に・・・
「おそらく この地は
 将来 病気に効くとウワサになり
 大勢の人々が集う場所になろう」



 空海の予言どおり
 明星水は
 大正時代になって ブームに火がつき
 連日 大勢の人々が お香水を求めて集ったが
 新聞に「あれは効かない」と中傷記事が載り
 わずか3ケ月で ブームは去ったのである。


 つづく

(写真は明星水跡の標識です)


アッくんの『乙訓寺の空海』第六話 『西明寺』

2012年01月30日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
平成24年1月30日(月)

 空海とアッくんは乙訓寺につき ミカンを見つけた

「屋敷内に植えるのは橘(たちばな)が多いのに
 乙訓寺は柑子(こうじ)とは・・・

 橘は食べられないが
 柑子(こうじ)なら食べられる」
こうじちゃいられない(≒こうしちゃあ いられない)テカ!
クックック!アッくんさんは 言葉あそびが上手のようだ」

 柑子は後世のミカンに似ていて多少の甘味があり 十分賞味することができる。

「そうだ!乙訓寺へ到着した印に このミカンを嵯峨天皇さまに贈りましょう
「それはよい。さっそく弟子に命じよう

 ・・・そうだ!

 拙僧が唐(中国)の長安で修行していたときの住居は

 西明寺であった。

 同じ名前の地名が乙訓にもあったのでは?」
「京都府立西乙訓高校は
 下海印寺西明寺に建ってますが
 寺はありませんよ
「西乙訓高校?」
「高校ですよ
 16歳から18歳の若者が学ぶ学校です
「さようか。。。拙僧は18歳の時に長岡京の大学寮に入ったのじゃが
 大学寮は残っておるかの?」
「さあ・・・
 大阪成蹊大学や京都西山短期大学のだったらあるかも

 でもなー

 大阪成蹊大学は移転しちゃうシなあ・・・」
「なんの話じゃ?」

 つづく