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アッくんの長岡京新聞社

アッくんの周りで起きる小さくて明るい話題を贈ります。

アッくんの『乙訓寺の空海』第五話 『勝龍寺』

2012年01月24日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
平成24年1月24日(火)

 空海とアッくんが乙訓寺へ行くことにした

「ところで・・・
 空海さんは 長岡京市に来られたこと ありますか?
 長岡京市?」
「アッ!乙訓の長岡です」
「うむ。あれは拙僧が 唐(中国)の長安で修業をして
 日本に戻ってきた年だ。
 恵解山古墳の近くに 青龍寺を建てた。」
「青龍寺(せいりゅうじ)?勝龍寺(しょうりゅうじ)ならあるけど?」
「厳しい修行をして やっと密教を習得した
 その寺の名前が 青龍寺といい
 その名前を付けた寺だったのだが・・・」
「あると思います。あまり知らないンで・・・
「5年しか経っておらぬというのに どうなったのだ?」
「さあ・・・

 現在の勝龍寺は昔は青龍寺という名前だったのだが
 アッくんは知らなかった・・・


 さて ふたりは乙訓寺についた

「こ・・・これは・・・」

 乙訓寺は荒れていたのである。

「荒れてますね 空海さん」
「うむ。雨漏りもしておるようじゃ」
「今まで誰も修理してこなかったの?」
「予算がなかったのだろう」
「アッ!ミカンですよ」

 正しくはミカンではなく 濃い緑の葉をもつ柑子(こうじ)であった。
 乙訓寺の境内に柑子の樹がふんだんに植えられており こがね色の実が多くなっていた。


 つづく


アッくんの『乙訓寺の空海』第四話 『早良親王』

2012年01月19日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
平成24年1月19日(木)

 空海は乙訓寺に行くことにした。しかし・・・

「アッくんさん。拙僧は乙訓寺にイイ印象をもっていないのですよ」
「どうしてですか?空海さん
「私がまだ少年のころ

 第50代桓武天皇(かんむてんのう)の皇太子であった弟の早良親王(さわらしんのう)が
 長岡京を造っていた役人を暗殺した容疑で
 兄の桓武天皇に乙訓寺に押し込められ
 十日間の絶食ののち・・・

 淡路へ流される途中で死んだ
 ・・・という事件があったのです。

 桓武天皇はその後
 早良親王の怨霊に悩まされることになったとか・・・」
「はあ・・・それが 長岡京のなくなった理由とも聞いたとこがあります
「ウム。タタリなど私の思想からして
 歯牙にもかける現象ではありませんが・・・

 乙訓寺は ひとたびは牢屋として使われたのは事実だし

 天皇周辺に異変があるたびに
 『早良親王たたりじゃ~』と騒ぎ立てる原因となった寺
 ・・・とうことは

 一般的にめでたい寺の名前ではないでしょ?」
「そう言われれば・・・

 でも長岡京市はイイところですヨ!
長岡京市?」
「乙訓寺でした(・・・この時代はまだないか・・・)

 行ってみなければ わからないことも多いですよ
「確かに アッくんさんの言うとおりじゃな
 嵯峨天皇さまのご命令には逆らえないシ・・・」

 空海は乙訓寺へ行くことを決意した・・・

 つづく
(写真手前は乙訓寺にある早良親王の供養塔です)


アッくんの『乙訓寺の空海』第三話 『嵯峨天皇』

2012年01月15日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
平成24年1月15日(日)

 空海に乙訓寺へ行けと人事異動の命令が届いたが・・・

「あなただれ?」
「失礼いたしました。ボクは長岡京新聞社の記者です。
ボクのことを仲間はアッくんと呼びます。
「記者?まあよい。
 アッくんさん。今回の異動 私には納得できませぬ。
 たしかに嵯峨天皇さまには かわいがっていただいていますが・・・」
「空海さんは中国に行かれて ものすごい勉強をされたのでしょ?
「はい。私は勉強をすることが好きです。
 嵯峨天皇さまも ご本が大好きで
 拙僧のもつ本を写し書きして たくさん贈りました。」
「へー。天皇は勉強家なんですね
「はい。芸術にも興味がおありで
 いつでしたか 本を写し書きしていたときに
 筆で書いた先のところを
 こうやって スッっと
 墨が白くかすれているように
 書いてみましたら
 天皇さまは感動され多いに喜ばれました」
「きっと空海さんの知識や文化的なところに魅かれたのでしょう・・・
(スッっとのところが伝わらないけどネ)

 つづく


アッくんの『乙訓寺の空海』第二話 『人事異動』

2012年01月12日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
平成24年1月12日(木)

 空海に乙訓寺へ行けと人事異動の命令が届いたが・・・

「はあ?
 嵯峨天皇さまからの転住の理由は・・・

『神護寺は不便だから』

 はあ?
 私は ちっとも不便ではない!
 不便なのは 嵯峨天皇さまのほうではないか?」
 
 このころ嵯峨天皇は
 自らの地位を超え
 空海を自分の教養や趣味を満足させる
 友人と思っていたのである・・・


「乙訓寺は平地で近い」
 それが人事異動の理由であった。
 
 乙訓寺は・・・
 現在も乙訓という郡の名前を冠として残っている珍しい寺
 第52代嵯峨天皇の父
 第50代桓武天皇が長岡京を造営するより以前からあった古寺である


「はあ?なぜ異動なのじゃ」
「ハハハ!そのセリフ
 世の中のサラリーマンが
 み~んな居酒屋で こぼしてます。
「え?」
「『納得のいかないヨ~』ってネ!
「あなたはだれ?」

 つづく
(写真の大きなワラジは シルバー人材センターから寄贈されたと書かれていました)


アッくんの『乙訓寺の空海』第一話 『神護寺』

2012年01月10日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
平成24年1月10日(火)

今から1200年も前の平安時代
811年11月9日のことであった・・・

高雄山神護寺に住んでいる僧空海に
嵯峨天皇から人事異動の命令が届いた
それは
山城国乙訓寺への転住の命令であった・・・


「はあ?拙僧は聞いておらぬ
 今も奈良東大寺の長官を兼務しているではないか
 今度は さらに乙訓寺の長官も兼務せよと申すか?」

 空海は弟子に不満を言った

「住まいも乙訓寺へ引っ越せと・・・
 拙僧は嵯峨天皇さまに神護寺に住みますと
 6年はココに住みますと
 邪魔をしないでくださいと
 申し出て うなずいておられたではないか!」
 
 弟子は命令の理由を空海に伝えた・・・

「神護寺は不便だから」

 神護寺は確かに山中の寺
 嵯峨天皇に呼ばれても
 すぐには出向くことはできない
 だからと言って・・・

 つづく

(この物語は司馬遼太郎著『空海の風景』中公文庫 他を参考にしています。)


『与市兵衛の墓』最終話

2009年02月18日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
2月18日(水)
「勘平さんは人を撃って
 お金をパクッてしまったのか・・・」
「SO~DS!(そうです!)
 次の日・・・
 勘平は・・・
え?お軽が祇園に?
 もしや?オレが撃ち殺してしまった人は
 もしかして与市兵衛さんじゃあ・・・
 だから なんなにたくさんのお金をもっていたのかー
 なんと言うことをしてしまったのだ

 ・・・と反省しだしたのDS!」
「勘はおなじだけど勘違いしてるよ勘平さん!」
「SO~DS!勘平さんが撃ったのは定九郎なのに・・・
スマンお軽・・・
 オレはそなたを身売りしてまで
 殿のカタキ討ちに参加させようとした
 そなたの父を撃ってしまった・・・
 このままでは申し訳が立たぬ

 そう言うと勘平は・・・」
ブスリ!
「もしかして切腹?」
「そうです・・・でも その時!
『ちょっと待って!勘平!
 オマエが撃ったのは与市兵衛じゃない!
 与市兵衛の体に銃弾のあとがない』
『ウウウ・・・そ・・・
 それは・・・』
『オマエが撃ったのは与市兵衛を殺した定九郎だ』

 それを聞いて安心したように
 勘平は亡くなったのDS!」
「なんと 今しばらく待てば自害しなくても良かったのに・・・」
「YES!この話で
 勘平は死んでしまったのに
 忠臣蔵のカタキ討ちのメンバーに加わったのです」
「確かに悲しい話だね ベイツガァーさん」
「SO~DS!長岡京市にはまだまだ
 たくさんの伝説や昔話がありますよ~
 ネクストは何のお話をしましょうCAR?」
「・・・また今後にしま~す!」

ベイツガァーさんの『与市兵衛の墓』おわり

(写真は『与市兵衛の墓』標識です
 ここが本当に与市兵衛さんのお墓かどうかは・・・
 わかりませんが・・・
 写真の場所はココです!)

『与市兵衛の墓』第5話

2009年02月17日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
2月17日(火)
「与市兵衛さんが殺された・・・」
At the same time,Kanpei was walking near the same street hunting for wild boars
「英語じゃわからないよぉ ベイツガァーさん」
「ソーリー・・・ジャパニーズで言えば
 ちょうどその時
 勘平は与市兵衛が殺された辺りをウォーキングしてたのDS!
 イノシシ狩りをしていたのDS!
ガサ!ガサガサガサ!
 物音がしました
ダダーン!
 勘平 イズ ショット ガン!」
「イノシシを鉄砲で撃ったのですね」
「NO・・・
 イノシシだと思っていたら
ひ・・・ひと?
 ひとに当った?
 し・・・しまった人殺しをしてしまった・・・
 どうしよう
 暗くて誰だかわからない・・・
 アッ!お金だ・・・
 こんなにたくさん・・・
』」
「お金をたくさん?
 もしや勘平さんが鉄砲で殺した人って・・・

 与市兵衛さんを殺した 定九郎?」

「SO~DS!(そうです!)
 そうとは知らない勘平は
 悪いと思いつつ
 殿のカタキ討ちに参加するため
 ノドから手がでるほど欲しかった
 マネーを手にすることになったのDS!」
「お金をパクッてしまったのか・・・」
 つづく
(写真は与市兵衛の墓です
 写真の場所はココです!)

『与市兵衛の墓』第4話

2009年02月13日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
2月13日(金)
「私の娘のことは忘れなさい・・・って
 恋人のお父さんに言われてもねぇ ベイツガァーさん」
「SO~DS!(そうです!)
 でも与市兵衛さんは 本当に娘のお軽を
 50両というマネーと引き換えに
 祇園に売っちゃうンです」
「人を売るってダメじゃん!」
「当時はそう言うことがあったのDS!(です!)
 悲しいことなんDSけど・・・」
「そうなんだ・・・」
「与市兵衛さんは娘を売ったお金をもって・・・
 『スマン・・・お軽・・・
 オマエのおかげで オマエが大好きだった勘平が
 カタキ討ちをする仲間に加わることができる
 この50両さえあれば・・・』

 ・・・とちょうどこの辺りに来たとき・・・
 『オッサン!ちょっと待ったり!』
 と声をかけてきたの 斧定九郎(おのさだくろう)なのDS!」
「斧定(おのさだ)さんね」
「斧さん!斧 定九郎!」
「そないヤイヤイ・・・」
「定九郎も実は
 カタキ討ちをする仲間に入りたいがマネーがなかった・・・
 『スマンが金が入用じゃ
 オマエのサイフに50両入ってるのを見てしまった
 申し訳ないが 事情は言えぬが
 貸してもらいたい』
 
 とムリやり取り上げようとした
『ダメじゃ!この金は勘平どのに・・・』
 ブス!
「ウソ!切られたの?」
「YES!与市兵衛は定九郎に殺されたのDS!
 しかも娘を売ったマネーも盗られ。。。」
「なんちゅうーことに・・・」
 つづく
(写真は与市兵衛の墓の向かいにあったお地蔵さんです
 写真の場所はココです!)

『与市兵衛の墓』第3話

2009年02月12日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
2月12日(木)
「忠臣蔵というお話は
 47人の浪人たちが立ち上がって・・・」
「YES!殿のカタキを討つストーリーDS!
 One ronin who desperately wanted to join the raid against the government wasa Kanpei Hayano!
「カンペー?世界一周しているけど?」
「NO!それは間寛平SAN!こっちは早野勘平さん」
「すみません」
「勘平はカタキ討ちをする浪人のひとり・・・
 BUT!参加するために必要なマネーをもっていません
 でもぜひ参加したい・・・と思っていたのDS!」
「仲間と一緒にカタキ討ちだね」
「ところが・・・
 勘平にはお軽という恋人がいたのDS!
 マネーのない勘平はお軽と
 鉄砲をもって猟師をしながら
 住んでいたのDS!
 このお軽のお父さんが与市兵衛DS!」
「やっと登場したか!主人公!」
「与市兵衛は勘平に言いMAS!
 ・・・
『勘平どのは 仲間のカタキ討ちに
 加わりなさい 私の娘のことは忘れなさい・・・』

 と言ったのDS!」
 つづく
写真の場所はココです!)

『与市兵衛の墓』第2話

2009年02月11日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
2月11日(水)
「Yoichibeiは『与市兵衛』のことDS!(=です!)」
「そ・その与市兵衛がドーしたんだい?」
「YES!アッくんSANは『忠臣蔵(ちゅうしんぐら)』を知ってハリますCAR?」
「え・え、あ・・・おぉ・・・」
「・・・『忠臣蔵』は江戸時代のお話で・・・
 『ウソや!我が殿が切腹なんて!』
 『やむを得まい・・・いかにバカにされたとは言え
  将軍さまがおられる江戸城内という清き場所で
  刀を抜いて 相手をキズつけたのだからナ』
 『でも 殿は藩の名誉を守るために・・・』
 『悪いのはケシかけた相手のほうだ・・・
  なのに相手には何のおとがめもない・・・』
 『殿は切腹 我藩はお取つぶし
  なぜ こっちだけが・・・』
 
 と・・・家臣たちは不満をもったのDS!」
「日本語うまいよね ひとり芝居だったら・・・」
「NO!そんなこと ありまないDS!」
「ありまない?」
「つづきますが・・・
 家臣たちは浪人になったのDSが
 殿の無念を晴らそうと 47人の浪人たちが立ち上がるのDS!」
「殿をバカにした相手を倒すンですね」
 つづく
写真の場所はココです!)

『与市兵衛の墓』第1話

2009年02月10日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
2月10日(火)
「この道は西国街道だよな」
「SO~DS!(そうです!)アッくんSAN」
「おっと!ベイツガァーさんじゃないですか!」
 ベイツガァーさんは英語をしゃべる外人
 非売品の『レジェンド オブ 長岡京』という本の中から 長岡京市の昔話を紹介してくれる・・・

 「『Honmani hisashiburi de sune!』」
「『ほんまに・ひさしぶり・で・すね!』って・・・
 そのままヤン」
「Well,『Saigoku-kaidou(西国街道)』に何か用ですCAR?(=か?)」
「前を通りかかっただけですが・・・」
「YES!じゃあ西国街道で起きた悲しい昔話をしましょう」
「やっぱりね・・・」
「アッくんSANはYoichibeiを知ってますか?」
「よいちべぃ?良い知恵のこと?」
「NO!Yoichibeiは『与市兵衛』のことDS!(=です!)」
 つづく
写真の場所はココです!)

『合体した仏像』最終話

2008年09月12日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
9月12日(金)
「もしかしてその老人は・・・」
「YES!八幡大菩薩さまDS!メイビー!」
「すると・・・空海が彫った頭は八幡さまということ?」
「SO~DS!ここに頭が八幡大菩薩 体は空海という秘仏 合体仏の『合体大師』ができたのDS!」
「合体大師?」
「空海さんは弘法大師さんです。その大師を合体仏の名に使っているのDS!」
「なんと!ぜひ見てみたい!」
「それはムリDS!神聖な仏像なので一般には公開していないのDS!」
「残念・・・でも仕方ありませんネ」
「YES!空海さんが乙訓寺におられたころに作られた合体大師は・・・
 その後 戦国時代に本堂は焼けても合体大師は無傷で 江戸時代には病気のお坊さんが合体大師にお祈りするとたちまち治ったという伝説もあるのDS!」
「へぇーそんなにすごい伝説があったンだ」
「SO~DS!長岡京市にはまだまだたくさんの伝説や昔話がありますよ~次は何のお話をしましょう?」
「・・・また今後にしま~す!」

ベイツガァーさんの『合体した仏像』おわり 第1話はこちら
(写真は本堂の裏です。発掘調査中の写真です。長岡第三小学校のグランドの一部も乙訓寺の境内だったようです。第6話の写真と同じ場所DS!
 写真の場所はココです!)

『合体した仏像』第6話

2008年09月10日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
9月10日(水)
「『また会おう』かあ・・・一体誰なんだろう その老人」
「YES!!その老人と会ったあと空海さんは八幡大菩薩さまのイメージがわき 首から上の仏像を彫ったのDS!・・・
 『できたーできたぞ!八幡さまの頭が!』
 『ホッホッホッ ワシもできたぞ ホッホッホッ』
 『あなた様はこの前のご老人!』
 『ホッホッホッ 約束どおり首から下の体の部分を彫った』
 『おお~ありがとうございます』
 『この体はそなたの体を彫ったものじゃ サッそなたの彫った頭をつないでみよ!』
 『ワ!なんと言うことだ!ぴったり合いますそれぞれ別に彫ったのに!』
 『ホッホッホッ さらばじゃ』
 そう言って老人は姿を消したそうなのDS!」
「もしかしてその老人は・・・」

 つづく  最終話はこちら
(写真は長岡第三小学校側から本堂を見たもの・・・本堂の裏です。写真の場所はココです!)

『合体した仏像』第5話

2008年09月09日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
9月9日(火)
「八幡大菩薩さまのイメージ・・・」
「SO~DS!(=そうです) 空海さんは仏像を作るのに どうしてもイメージがわいてこなかったのDS!(=です!)」
「そういやあ 八幡さんと言われても・・・」
「そんな時・・・『そこのお坊さんは何を悩んでおる』と空海さんの前に見知らぬ老人が現れるのDS!」
「老人?」
「YES!老人に空海さんは言いました・・・
 『早良親王(=プリンス サワラ)や人々の心をいやすため仏像を作ろうと思うのですが・・・八幡大菩薩さまのイメージが・・・』
 『ホッホッホッ それならワシの頭を彫ればよい ホッホッホ』
 『あなた様の頭を彫るのですか?』
 『そうじゃ!ワシは体の部分を彫ってやろう』
 『わかりました・・・もしかしてあなた様は・・・』
 『また会おう ホッホッホ』・・・
 そう言って老人は姿を消したそうなのDS!」

 つづく  第6話はこちら
写真の場所はココです!)

『合体した仏像』第4話

2008年09月05日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
9月5日(金)
「But!桓武天皇の皇太子の Prince Sawaraの無実の主張は取り上げられず・・・乙訓寺に幽閉(ゆうへい)されてしまうンDS!(=です!)」
「幽閉かあ・・・いくら無実だと言っても壁があるってか?まさに『言う塀(≒幽閉)』なんだ」
「・・・背後には桓武天皇の実の子の安殿(あて)さんをプリンスにする・・・という謀略があったようDS!」
「世継ぎ争いかいナ・・・安殿さんをあてにしたんだね」
「・・・結局 プリンス サワラは乙訓寺に幽閉されたあと 島へ流される途中で亡くなってしまうのDS!」
「無念だったンだろうね」
「そのためか この事件以後 桓武天皇の奥さんが亡くなったり 安殿(あて)さんが病気がちになったり・・・結局 平安京に都を移しMAS!(=ます!)」
「プリンス サワラの怨念(おんねん)か?」
「さあ・・・平安京へ都が移ってから17年後に・・・空海さんが乙訓寺の別当に任命されるのDS!」
「17年後に空海さんが登場するネ」
「SO~DS!(=そうです!)空海さんは17が好きDS」
 つづく  第5話はこちら
(写真は空海さんの像です。 写真の場所はココです!)