アッくんの長岡京新聞社

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アッくんの『乙訓寺の空海』第十五話 『恵果和尚』

2012年04月03日 | □ 長岡京市の伝説(ベイツガァーさん)
平成24年4月3日(火)

 空海は最澄に密教を教えてほしいと頼まれたが・・・

 空海と最澄は乙訓寺で初めて対面した・・・

「最澄さま・・・

 せっかくの申し出ですが
 既に最澄さまの密教は国家が公認しています

 私の密教は公認されていません」
「それはそうですが 私の密教は本物とちがいます

 私に密教を教えてください
 そのためにはなりふり構ってはいられません」
「・・・先輩の学ぼうとする姿勢に あたまがさがります
 正直にいいます
 ずっと前から先輩の密教はニセモノだと思っていました
 だから・・・

 最澄さまに会うのをためらっていました。」
「やはり。
 何度か手紙を書きましたがご返事がないのはそのためでしたか」
「・・・最澄さまと仲が良かった桓武天皇さまが亡くなり
 嵯峨天皇さまの時代になって
 私は嵯峨天皇さまに近寄りました」 
「そうでしたか・・・」

 空海はアッくんと部屋を出た・・・

「何か深刻な様子ですよ 最澄さま
「うむ。どうしても密教を教わりたいのだろう」
「アッ!花ですよ
「白いモクレンのようだ」
「モクレンの花ことばは『恩恵』だそうです
「恩恵・・・

 密教の恩を受けたのは中国の恵果さまであった」
「空海さまの和尚さまは恵果さまという方なのですね
「そう。拙僧は中国で
 大学の勉強を途中で捨てて
 山や野を放浪して
 密教を志した」
「はい
「密教のことの情報を少しづつ集め
 密教の全体を想像し 期待し
 いろんなものを独学で学び
 我流で中国の長安で恵果さまに会った」
「どうだったのですか?
「我流で学んだ密教が正しい密教と合っていた」
「すごいことですよ!
「そうです。だから恵果和尚は私に全てを伝授されました。

 恵果和尚は千人の弟子を育てられました
 その中には 何十年も学んだ人もいるのです。
 結果 伝授されたのは早世した弟子と拙僧の二人だけでした。」
「そんなに苦労されて会得したものだったのですね

 つづく

(写真は乙訓寺のハクモクレンです!)



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