1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

勇気のこと

2007-12-25 12:12:10 | Weblog
昨日、久しぶりに勇気「COURAGE」という本を読みました。
バーナード・ウェーバー作、日野原重明訳。絵本です。

こんなにいろんな勇気があるんだ。
すごいのから、いつでもやれるぼうけんまで。
でも、どれもが立派な勇気、勇気。

クイズ大会でむずかしい問題にずばり答える勇気。
チョコレートバーのひとつは明日にとっておくのも勇気。
消防士や警察官として頑張るのも勇気。
目の前にあるのは、また同じ飽き飽きしたドッグフードじゃないと思い込んで食べる勇気。(犬)
やきもちを感じてもそんなそぶりを見せないのも勇気。
別れなければならないときには、さよなら言えるのも勇気。
いっしょに二人が励ましあうのも勇気。

たあいもない勇気、見逃しがちな勇気、みんな立派な勇気。

この本を贈ってくれた友人もきっとこの本に勇気をもらったのでしょう。
私はその人から「友達を信じる勇気」「自分を信じる勇気」をもらいました。



千の風のこと

2007-12-25 07:35:28 | Weblog
昨年末の紅白歌合戦で「千の風になって」という歌が流れ、評判になりました。
娘が亡くなった後、数人の知人から本をいただきました。

私のお墓の前で泣かないでください。
そこに私はいません。眠ってなんかいません。
千の風に、千の風になって
あの大きな空を吹きわたっています。

最初にその文章を読んだときは感動し救われたような気がしました。きっと親しい人を亡くした多くの方が傷ついた心を癒されたことでしょう。
でも、やっぱり何かが違うのです。なぜかしっくりこないのです。
きっと身近な人を亡くした人は同じ気持ちだと思います。
確かにお墓に眠ってなんかいません。でもあの子は風にもなっていません。
どこにもいないのです。

キリスト教も仏教も残された者のためにあるのではないでしょうか。死に別れた家族が天に召され神のもとで幸せに暮らしている。そう考えることで別れの悲しみを癒すことができる。毎日、仏壇に手を合わせ語りかけることで故人とともに生きる。

そういえば去年の年末、娘は家で「千の風になって」の特集番組を見ていました。じっと目を凝らして・・・。
何かを感じていたのでしょうか。

私はブログの中で「神も仏もいない。霊なんか存在しない。死後の世界なんかない。」と言ってきました。
だけど仏壇にむかってあの子に話しかけます。クリスマスにはプレゼントを買ってお供えします。お花も欠かしません。沖縄に行ってあの子を探そうとしています。

先日の中日新聞に「死者との交わり」と題した奈良康明氏の「千の風になって」考が記載されていました。
そこに「『生者の思い出に残る死者の人格』を霊とみてよいと考える。」とありました。死者と言葉を交わしかかわっていくこと、それが生きていく励みになる。それが死者とともに生きること。

自分の滅茶苦茶な行動を「それでいいんだよ。」と慰められている気がしました。
結局、あの子はどこにもいないんですけどね...。