1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

散骨のこと

2007-12-14 18:53:24 | Weblog
沖縄に行く事が決まってから、私の中でだんだんと大きくなってきた企みがあります。主人に話したら一笑に付されると思っていたので黙っていました。
でも出発を明日に控えて黙っているわけにもきません。
ついに告白「あの子の骨を持っていこうと思うんだけど。」
以外にも「俺もそう思っている。目のまわりの骨がいいかな。海がよく見えるように。」・・・負けた。
驚きました。亡くなった母の位牌に手を合わすこともしない主人です。霊だの死後の世界だの一切信じなかったあの人が...。
私自身、骨に意味があるのかどうかわかりません。あの子が亡くなって以来、死後の世界なんてないと、痛感しています。
でも、遺骨をお寺にも預けず墓にも入れず側に置いておきたい気持ちもあるのです。

日本では散骨についての法律はありません。海や山など特定の人の土地でないなら
なおさらです。
ただし、マナーは守らなくてはなりません。
細かく砕いて粉にする。
人目につかない様にひっそりと行う。

少しだけ、あの子の骨を持っていきます。
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沖縄旅行のこと 2007

2007-12-14 18:15:55 | Weblog
明日から家族で沖縄に行ってきます。
去年の12月、娘を連れて沖縄に行ってからちょうど1年が経ちました。

そういえば沖縄の景色やホテルの事を何もおぼえていないのです。
娘を無事に小浜島のホテルまで連れて行くこと。そして生きて病院に連れ帰ること。
それが私の仕事でした。周りを見渡す余裕がなかったのですね。
先生方に「沖縄に行きたい。」と申し出たとき、驚かれました。「無謀」の一言。婦長さんからも「気圧の変化でなにが起こるかわからない。飛行機は途中で止まれないんですよ。」と言われました。
病院が危険を承知で沖縄に行かせたとなると責任問題になるということで「一旦退院して親が勝手に連れて行く。」と一筆したためたくらいです。
それほど危険な旅でしたが先生の「医師としては行かせられないが親としては行かせてあげたい。」の言葉をいただいて出発しました。
肺にできた腫瘍のため呼吸困難を引き起こすこと、ガン末期特有の急な発熱と痙攣、床ずれからの細菌感染など心配事はたくさんありましたが1番の気がかりは「床ずれの痛み」でした。5分として同じ体勢でいる事が出来ません。車椅子の背もたれを起こしたり倒したりして調節します。
長い飛行時間、待ち時間。病院を出てからホテルのベッドにたどり着くまで12時間。その長い時間を持ちこたえる事が出来るか?それが1番心配でした。
何かあった時は、いつでも引き返す覚悟でした。
前にお話したように、飛行機では固定されたストレッチャーに寝かします。ストレッチャーにリクライニング機能が付いていることを期待していたのですがやはり付いていません。2時間体を起こすことが出来ないのです。
乗ったとたん娘は「これじゃ無理。絶対行けない。」と言いました。私は「いいよ、帰ろう。」と言いました。娘はしばらく考えてから「いい。頑張る。」ポツリと言いました。
それからが大変です。足を上げたり下ろしたり。
窓の下に沖縄の海が見えた時、娘の痛みは絶頂だったと思います。でも、じっと海を見つめていました。痛みを忘れたかのように。

沖縄に着いたら、すぐに診療所に向かいました。診療所で抗生物質の点滴と床ずれの消毒。先生は土日返上で毎日処置をしてくださいました。

小さな漁船に車椅子を積み込んで向かったのは「幻の島」。それは干潮時にだけ表れ満潮時には海の底に沈んでしまう真っ白な砂の島です。ホテルの従業員の方が4人で車椅子を島に下ろしてくれて、娘は海の水に手を浸し嬉しそうに微笑んでいました。そのときの笑顔は今も家の壁に飾ってあります。

幻の島で娘が待っているような気がします。飛び切りの笑顔で...。
迎えに来たよ!


コメント (2)
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