AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

小林香菜の天衣無縫

2011-12-03 03:14:50 | Weblog
 もう月が変わったというのに、まだ私は劇場に行っておらず、そしてムカムカしている。ただし数日前のことを引きずっているからではなく、今は因果関係が逆だ。劇場に行くつもりでそわそわしている退勤時刻直前に、どーーしてドカンと残業ネタが入って来るんだよーー!!というムカムカである。今の仕事は楽しくやれているし、会社は好きだし、今日は頑張ってあれ片付けちゃうぞ!とか思ってる時なら残業もまったく苦にならんのだが、劇場に行くつもりの日に予定外の仕事が飛び込んで来る自分の間の悪さだけはムカついてしょーがない。そんなことになるのはやっぱり私の日頃の行いが悪…げふんげふん。

 数日前のこともね、冷静になれば後悔していますよ、ええ。対象外だろうと最後の入場だろうと、私は劇場公演を観ることから「降りる」べきじゃなかった。仮に何かでムカついていたって、公演を見ている間にはどーでも良くなっちゃって、彼女たちの生き生きとした魅力に癒され、活力をもらって劇場を後にする経験を、いくらでもして来たはずじゃないか。「観なくて良かった公演などない」ってことを、5年も前に思い知っていたはずじゃないか。良い歳をして些細なことに瞬間湯沸し器みたいにカッとして、後になれば自分の器の小ささが恥ずかしい限り。まぁしかし、それも凡人のサガというやつか。

 そんなことはさておき、今夜の話題はバスタオル小林に尽きる。香菜すばらしいよ香菜。何と言ってもバスタオルを巻いただけ(本当に「だけ」かどうかはともかく、そう見えるという意味で)などという、ふつーだったら目も当てられないはずの格好をして、あんなに清潔感あふれるさわやかな健康美にしかならない二十歳は、そうそういるものじゃない。

 しかもあの(微かにテレの入った)ドヤ顔である。アイドルもお年頃になれば、ファンサービスと言いつつお色気を振りまいて、その実、程度の差はあれファンに媚びようとするのはごく一般的なことだろうと思うが、そのような場合は往々にして、俗な下心がもやのように滲み出して、その人の姿を濁らせてしまうものだ。しかし香菜のあのドヤ顔には、そういう気配がまったくなく、ただファン(またはめーたん)と仮想的に対話し、純粋に面白がらせようとしているだけの透明感がある。生粋の天然が巧まずして見せる表情がどれほど上品で美しいかということを、身を以って示しているのだ。天衣無縫という現代日本語から失われかけている語彙は、今やまさに彼女のためのものだと思えてならない。

 あの何一つ飾る必要のない美しさに気づく業界人はいないのか。だからと言ってバスタオル小林のスタイルとポーズだけ再現させても、カメラマンや編集スタッフに相当の力量がないと、あの神聖な美しさは再現できない、というか、むしろあの天女の前では、作り手側の心底など容易に透けて見えてしまうと知るべきだ。被写体にあれほどのものがあると知りつつ、それにどこまで近づけるか、作り手としての実力と品性を賭けて挑んでみようというクリエイターがいるとしたら、その人はきっと「本物」だろう。どうかぜひ、小林香菜の天然の美を見出し、伸ばしてやっていただきたい。