AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

劇場2周年おめでとう

2007-12-10 04:02:46 | Weblog
 劇場グランドオープンから 2 年が経った。私にとっての 2 周年には、あと数日あるのだけれど、2 年も経つとそろそろ数日の差は誤差の範疇になって来るような。真の「俺的 2 周年」である 11 日には自分の都合で劇場に来られない可能性が高いので、気分としては一緒に祝ってしまおうということで。

 ガラガラだった劇場、という話は、もう昔話に過ぎないし、それは本来メンバーにとっての「苦労時代の思い出」であって、客である私がどうこう言うことではないはずなのだけれど、個人的な思いとしては、あの閑散とした劇場で、メンバーのあまりにも真剣なステージングに心打たれた日がなかったら、ここまで深く思い入れて、のめり込むこともなかったと思う。

 懐古厨と謗られたり、古参ぶりやがってウザイと罵られたりすることは承知の上であえて言うが、私としてはあの「ガラガラの劇場」を知っていることは今もなお内心の喜びであり誇りであり、あの時から一緒に歩んで来た同志のつもりでいる。この 2 年、AKB48 をめぐる一つ一つのことが、我が事のようにうれしかったり、悲しかったりした。

 しょせん一ファンでしかないのに、どうしてこんなに熱くなっているのかと自省し、自制しようとしたことも一度や二度ではない。一ファンでしかないが故のもどかしさを感じ、無力感に苛まれ、いっそ離れてしまおうかと思ったこともたびたびあった。それでも、衝撃とともに「この子たちを見続けていくしかない」と思い決めたあの日が、私をいつも引き戻した。劇場が彼女たちの夢を育む場所である限り、あの日の思いは今も私の胸に新しい。

 ただ、オープン当日から来ていた人を含め、ごく初期から 2 年、ずっと劇場に通っている良心的なファンの人たちが、「キャン待ちのキャン待ち」に並んでいたり、「もうメールも当たらないよなあ」といったことを言いつつ ( あるいはブログに書きつつ ) そもそも劇場に来ること自体をあきらめていたり、という例をいくつも見たのは、ちょっと胸が痛んだ。今回は公演初日が重なってしまったという事情はあるにせよ、お祝いの日くらい、最初の 1 週間のチケットを持っている人を優先で劇場ご招待、なんてのもあって良いような気がするんだけどなあ。まあ、そういうのまで高値で取り引きされかねないってのは分かるけれど。

 話を戻して、私は今回、お祝いの紅白まんじゅうを成田さんからもらった。…んだけど、成田さんのところに行ったら意外そうな顔をされた(笑)。というか「この人誰だろう?」と思っていそうな顔つき。まあ確かに私は中西さん一推しということもあって、いつも 50 音順でお隣の成田さんには毎度失礼いたしておりますが(^_^;)、でも 2007 年 1 月のカラオケ大会の後の「お年玉」とか、先日の「文化祭」とか、たまには成田さんのところに来てるんですよ…などという話をする暇はまったくないまま、高速に流されて帰途に。ま、2年経ってもメンバーにあんまり顔バレしてないくらいがちょうど良いかも(^_^;)。

ひまわり組-2ndの第一印象・その1

2007-12-10 02:49:15 | Weblog
 12/8(土)のひまわり組-2nd「夢を死なせるわけにはいかない」公演初日と、2 回目となる 12/9(日)昼公演を見た。まずはその範囲での第一印象を、ぽつぽつと書いていきたい。ネタバレがいやな人は読まないことをおすすめする。また、いつものお断りだが、あくまでも「私の」感想を述べるもので、私の感想が「正しい」などと主張するつもりはないし、感じ方の違いもあろうかと思うので、意見の違いに対しての抗議はご容赦願いたい。

 まず気がついたことは、振り付けの雰囲気がかなり違うということだった。どこがどう、というのを言語化するのは、素人の私には無理なのだが、強いて私なりの言葉で表現するなら「細部に、夏先生のフリで良く使われるパーツがない」ということになる。

 たとえば、というのもまた難しいのだけれど、たとえば指クルもそうだし、また、AKB48 のスタンダードと言える「桜の花びらたち」を例に挙げれば、「♪桜の花びらたち」のところの指の形もそうだし、その後の「♪咲くころ」の手の振り方もそうだし、「♪鳴り響く」のところの指の形と振り方なんかもそうだ。それはたとえば「未来の扉」の「♪花が揺れて」ても使われていように「ひらひらするもの」の表現であったり、「PARTYが始まるよ」の「♪星の鐘を鳴らしたら」のところで何人かがやっていたように「鐘の音」の表現であったりと、ある種、言語における単語のようなものだった、のだ。

 もっとも「夢を死なせるわけにはいかない」にも、ある種、夏先生的パーツに近いものはある。それが振り付けというものにおいて一般性のあるものなのか、あるいは、AKB48 のこれまでの振り付けというものを意識して似せているものなのかは分からない。しかし、似ているけれどもどこか違う、のだ。先ほどの言語のたとえに即して言うならば、なんとなく「母国語の違う人が話している言葉」のような違和感を感じるのだ。

 どちらが良い悪い、ということでなく、単に慣れのようなものなのだろうと思う。それだけ私がこの 2 年間で夏先生の振り付けに慣れ過ぎただけだ。ただそれでも、改めて思うのは、夏先生の振り付けというのは、やはり私たちが考える「AKB48 らしさ」の一部だったのだなあ、ということだ。

 ただし例外があって、小嶋さん・高橋さん・峯岸さんの 3 人によるユニット曲「Bye Bye Bye」( ←音だけは MC で発言されているが、表記については適当 ) という曲だけは、夏先生の振り付けで良く見られたパーツがてんこ盛りである。これは初日の MC での発言によれば、ユニットの 3 人が自分たちで協力しあって振り付けをしたそうだ。

 そのこともあってか、この曲を歌い踊っている時は 3 人ともすごく表情が良いのだが、中でも峯岸さんの得意げな ( というのはあくまでも「私の」印象だが ) 満面の笑みは見もの。かつて、ダンス経験があることがかえって足かせになったこともあった峯岸さんが、初めて自分たちで振り付けた曲で、夏先生的パーツを散りばめているというのは、いろいろな意味で感慨深い。いろいろあったけれども、やっぱりチーム A メンバーにとっての 2 年という歳月は、夏先生との深い深い結びつきとともにあったということなのだろう。

 あと、振り付けについてもう一つ思ったのは、フォーメーションの点で「センターが厚い」ということだった。逆に言うと「上手 ( かみて ) 下手 ( しもて ) ブロックで見るのは、ちょっとつらいかも」ということだ。まだセンターブロックでしか見ていないので、あくまでも想像だけれど。

 それなりに左右への展開もしているのだが、短時間でステージ中央部に再集合してしまう印象が否めない。また、横に展開する際も、基本的に同じフリの人を横に並べるだけで、たとえば「涙売りの少女」で象徴的だったような、柱の外でまったく別世界が展開しているような、つまるところ「柱を前提とした横展開」は、あまりないように思える。まあ、普通の劇場には柱なんかないわけで、仕方のないことなのかも知れないが。

ひまわり組-2ndの第一印象・ジョーク編

2007-12-10 01:43:12 | Weblog
 ふざけた感想を先に上げるのもどうかと思ったんだが、これを書かないとまともな感想を書くのがなかなか進まないもので、先に。

 私としては、この「夢を死なせるわけにはいかない」公演の別名として

「へそを見ないわけにはいかない」

を提案しておきたい。短く言うならへそ祭り。とにかくへそ出し衣装がこれまでになく多いのだ。

 まあ確かに、ひまわり組-1st「僕の太陽」公演で、あえて誰とは言わないが「へそ人気」と呼べるほど、おへそが注目された人がいたことは事実なのだが、あれはたとえば「ビバ! ハリケーン」の「♪愛はいつだって」のあたりのフリなどで、ちらっと見えるのがかわいらしくて良かったのであって、最初からおなか丸出しというのも、あんまりうれしいわけではないのである。

 それよりむしろ、おなかが冷えそうで心配になってしまう。実際、メンバーたち自身も MC でそういう旨の発言をちょこちょこしているし。ええ、もはやすっかり「お父さん目線」ですとも。それが何か?