会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

戊辰150年 その21

2018-07-30 21:52:52 | Weblog
2018年7月30日(日)晴 34.4℃~25.8℃
「会津オペラ 白虎」

 会津若松市戊辰150周年記念事業として「オペラ白虎」が再演されることを受け、過日プレイベント「お話と演奏で贈るオペラ白虎」が会津稽古堂で開かれた。ミニコンサートやトークショーなどを楽しみ、本番が待ち遠しかった。
7月28日と29日に會津風雅堂で「会津オペラ 白虎」が再演された。29日妻と奮発したS席で観劇。感動、感涙。よかった。

 オペラ白虎は、戊辰戦争に出陣した会津藩の白虎隊士の中で、飯盛山での集団自刃後に蘇生した飯沼貞吉の回想録が題材。
有名な史実である白虎隊の集団自決。生き残った飯沼貞吉にスポットをあて、戊辰戦争の一コマを描く。恭順説を説いた筆頭家老・西郷頼母を伯父に持つ飯沼貞吉が、会津武士の生き様と頼母の生き様、その両者の葛藤の先に見出した答えとは。

また白虎隊の集団自決と同様に有名な、西郷邸での女たちの集団自決の様子も描く。当時の会津武士の生き様、什の掟に代表されるような教えは、貞吉ら白虎隊隊士にどのような影響を与えていたのか。

キャストを最小化し、飯沼貞雄(もとは貞吉。後に貞雄と改名)の回想録として物語を展開。合唱(コロス)が、会津の人々、西軍、語り部などとして重要な役割を担う。

史実に基づいた「オペラ白虎」は、平成21年の初演の際に第11回佐川吉男賞を受賞した優れた作品であり,会津の財産である。このオペラの再演のために日本を代表するオペラ歌手、演出家、オーケストラメンバー、音楽スタッフ、製作スタッフ、そして会津の素晴らしい中高生をはじめとするが合唱集団が結集した。指揮者は会津高校出身の佐藤 正浩氏。

 最後に地域振興芸術委員会委員長 宮澤洋一氏の挨拶の一部を紹介します。
 『戦争で、心身に言葉にできないほどの不幸を負った会津の先人たち、この歴史の事実については、地元でも年代や立場によってとらえ方はさまざまです。しかし、悲惨な歴史を持つ世界中の国々がそうであるように、戦争で傷つき、苦しみ、悲しみを背負いながら、残された者たちは、前に向かって歩いていかなければなりません。そのような負の想いをどうすればよいのでしょうか?私たちが出した答えの一つが「愛に変えてしまう」ことです。
「恨みつらみ、憎しみのエネルギーを愛に昇華させる」オペラ制作の過程で、これこそが、人類に課せられた、精神の進化への大きな一歩だと思うようになりました。それは容易なことではありません。しかし、それこそが150年前に起こった戊辰戦争のみならず、有史以前っから絶えることなく、地球上で続いている戦争で失われた無数の魂のメッセージではないでしょうか?
 私たち会津人がこの150年をどういう想いで、どう生きてきたのか?そして、これからの150年、200年をどう生きていくのか?このオペラをして世界中に発信いていけたr、こんなうれしいことはありません。略』


熱中症対策は?

2018-07-23 19:15:08 | Weblog
2018年7月29日(土)晴 34.4℃~25.8℃
「高齢者と子どもの熱中症」

 今年は台風も変? 逆風台風 西日本横断。
 台風12号は三重県伊勢市付近に二十九日午前一時頃上陸後、勢力を弱めながら東から西に逆走する異例のコースを進んだ。西日本豪雨被災地を含む広い範囲に激しい雨を降らせ、午後五時半ころに福岡県豊前市付に再上陸。負傷者は出たが、死者や行方不明者は確認させておらず、危険なところに近寄らないといった取り組みが実を結んだ可能性がある。台風の速度が落ち、東シナ海に抜けても九州の西に停滞する見通し。警戒はしなければならない。
 三十日以降、天候が回復すると再び熱中症対策が必要になる。
 夏休み前の校外学習で熱中症で亡くなった一年生の不幸な事件。夏休み中なのに学校のプールが使用禁止。水温が35℃以上、プールサイドは50℃以上で熱中発生の恐れがあるから・・・。
 
 東京消防庁は二十三日、管内(稲城市と島嶼〈とうしょ〉部を除く東京都内)の二十二日の救急出動件数は3125件(速報値)で、一日あたりの件数としては救急業務を始めた1936年以降で最多だったと発表した。今月十七日以降、最多を更新するのは4回目。
 熱中症の疑いで今年搬送された人も二十二日までに計3544人(同)となり、昨年一年間の計3454人を超えたと明らかにした。二十三日も、午後3時までに7~94歳の男女167人を搬送したという。
 同庁によると、65歳以上の高齢者は住宅や道路で、10代は運動施設や学校で、それぞれ熱中症とみられる症状を訴えることが多いという。同庁は、こまめな水分補給や屋外での行動を控えることなどを呼びかけている。


 「子どもは背が低く地面に近い分、暑さの影響を受けやすいとされる。14歳くらいまでは汗をだすなどの体温調整も未熟。また、乳幼児は腎臓が未発達で、せっかく水分を補給しても体にためられず尿として排出してしまいやすい。
 高齢者が部屋で熱中症になるケースも後を絶たない。「年齢を重ねると温かさを感じる神経が減り鈍感になる」ことが要因だ。また、高齢者は食事が少ない分、水分やミネラルが不足しがち。水分とミネラルの多い夏野菜を積極的に取るなど食生活から見直したい。

会津は幸い豪雨や台風の被害が今のところないが、しばらく真夏日、猛暑が続くようだ。熱中症対策を十分とって無理しないで生活していかなければならない。



脱水症状

2018-07-20 19:29:01 | 健康
2018年7月20日(金)晴 36.9℃~25.6℃
「健康状態が何か変?」

 西日本も東日本も30度以上いや35℃以上のところも多い。夜中でも温度が下がらない。「暑いっですね。何時まで続くのでしょうね。」が日常の挨拶になってしまった。家庭菜園の野菜は一度水やりをしたら雨が降るまで止められない。植木、盆栽、プランターの草花の水やりも欠かせない。
 依然、厳しい猛暑が続く。まだまだ熱中症対策が必要だ。熱中症は脱水症状を引き起こす。
 脱水症状とは体液に含まれる水分と電解質が同時に失われることである。汗と一緒に流れ出た体液がその後供給されず、不足した状態で起きる。つまり脱水症状は、単なる水分不足で起こるのではない。

 水分と電解質は生命の維持に不可欠で、体液が失われると、体に様々な支障を来す。
 例えば、血漿(けっしょう)が減り、血圧が下がる。消化管の血液が減ると食欲不振となり、肝臓や消化器などの臓器を巡る血液量も減る。すると必要な栄養素が全身に供給されず、老廃物の回収や排せつがされなくなる。
 一方、脳の血液が減ると集中力の低下も起こる。電解質の損失はナトリウムイオンの不足を招き、体内の浸透圧の正常な働きを阻害する。
 これを予防するためには炎天下での労働や運動をさけること避けること。スポーツ飲料など電解質成分を含んだ飲み物をこまめにとることも必要である。

寒暖差疲労

2018-07-19 23:08:46 | 健康
2018年7月19日(木)晴 35.2℃~22.6℃
「健康状態が何か変?」

 福島気象台は、今後一週間の県内は高気圧の影響で、引き続き最高気温が平年より高くなるとみている。仙台管区気象台が十九日に発表した東北地方の一ケ月予報では、平均気温が平年より高くなる確率は60%。平年に比べ晴れの日が多く、気温も上がる見込み。沖縄周辺では台風が発生したが、西へそれてしまった。まだまだ猛暑が続く。
 昼間はなるべく外出を控え、野菜や植木、草花の水やりをしない。冷房のある部屋でパソコンをしたり、本を読んだり、テレビを視聴したり、コミセンの会報づくりなどをしている。、朝は食事前午前8時ころまで、夕は6時ころから7時半くらいまで外仕事をする。
 熱中症に気をつけて生活をしているのだが、この頃、なんとなく体がだるい。やらなければならないことが沢山あるのだが気乗りがしない。このような状態を寒暖差疲労というらしい。みなさんはどうですか?
 
また、インターネットで調べてみました。
 『寒暖差の激しい環境にいると、その気温差に対応しようとして、私たちの身体は必要以上にエネルギーを消費してしまいます。この“寒暖差疲労”が蓄積すると、“冷え”が深刻化します。
人間の身体は本来、寒い環境では熱をつくり、暑い環境では熱を逃がそうとします。
よって、気温差のある環境にいると、頻繁に熱をつくったり逃がしたりするため、身体はより多くのエネルギーを必要とします。
エネルギーを過剰に消費してしまうことで“寒暖差疲労”に陥り、自律神経が乱れ、自分が意識している以上に冷えの症状が急速に進行する危険性があります。
最近は空調が完備された環境が増え、寒暖差への耐性が弱い人が増えている傾向が見られます。さらに、“寒暖差疲労”は冷えだけではなく、肩こり、めまい、顔のほてり、食欲不振など、さまざまな不調を連鎖的に引き起こす可能性が高いので、本格的に寒くなる前に対策をとることが重要です』

 

猛暑

2018-07-18 21:28:02 | Weblog
2018年7月18日(水)曇 35.2℃~23.4℃
「今夏、日本列島の気象も何か変?」

 多数決による安倍政権の強権政治は、国会軽視、日本の議会制民主主義の危機を招いているといっても過言ではない。
政党支持の世論調査では国民の3/1強が支持している。不思議でならない。3本の矢の経済対策はどうなっている? 年金を株投資に使い、株価が安定しているように見せかけているだけではないか。株が暴落したら年金制度は成りたたない。リーマンショック以上の混乱が起きないだろうか。年金生活者としては危惧してならない。
 政治が何か変?と思ったら豪雨・猛暑と気象が何か変?

14~16日の3連休のころから東日本から西日本にかけての広い範囲が猛暑に見舞われ、数千人が熱中症とみられる症状で救急搬送され、十数人が死亡している。
 インターネットで調べると 
 今年の夏は猛暑日が続き、各地で観測史上最高気温が記録されるなどいつもよりいっそう暑い夏となった。また、集中豪雨や少雨、竜巻などといった異常気象も多く見られた。今年の夏の猛暑や異常気象の原因とメカニズムについて慶大自然科学研究教育センターの杉本憲彦さん(法学部専任講師)にお話を伺った。 (安田麻里子)


 今年の猛暑の原因は太平洋高気圧とチベット高気圧の勢力が非常に強かったことにある。太平洋高気圧は夏に日本全体を覆う高気圧であり、勢力が強いと気温が上がるといわれている。また、今年の夏は太平洋高気圧の上に、日本列島の西から張り出してくるチベット高気圧が重なりこのような猛暑となった。なぜ今年は太平洋高気圧とチベット高気圧が強かったのか、原因はアジアモンスーン域の海水温度の上昇にあると杉本さんは言う。赤道付近で暖められて上昇した空気が地球規模の対流を作り、日本に下降してくる際に太平洋高気圧となる。下降気流では温度が上昇し雲が消えるために晴天となる。海の温度が高いと、この循環が強くなるために、今年は高気圧が強まったという。またチベットにも同様の高気圧ができるが、高地であるため上空の高気圧となる。この高気圧も活発なモンスーンの対流活動により強化され、日本付近にまで東に勢力を伸ばしてきたことも原因の一つだ。



安倍政権の今

2018-07-13 23:37:22 | 時事
2018年7月13日(金)曇 29.7℃~22.5℃
「最近の出来事何か変?」

 政府が、西日本豪雨を「特定非常災害」に指定する方針を固め、連休明けにも閣議決定する見通し。震災により様々な手続きができなくなった住民の救済が目的で、運転免許証の有効期間延長など行政手続きの特例が想定される。
 指定されれば、住民も役所も生活再建や復旧・復興に集中しやすくなる。広範囲にわたる大規模災害である。今後とも国主導で復旧・復興にあたってもらいたい。

 反面、1年以上にわたり政治を揺るがした「森友・加計」問題が大きな節目を迎えた。官邸主導なのか忖度なのか。すっきりしない結果で国民は消化不良状態。公文書の改ざん、佐川元長官の不起訴。司法も期待外れの結論。この裁判長は北海道へ栄転?
 また、問題の多い「働き方法案」、「カジノ法案」、参院選の「一票の格差」を是正する選挙制度改革を巡り、定数六増案、衆院審議入り、17日採決を目指す。国会議員の定数削減が問題になっている時に「参院6増案」とは?党利党略にすぎない。国会議員増は沖縄が本土復帰した時のみである。
 官僚の女性記者へのセクハラ、東京医科大学への不正入学依頼など数えればきりがない。人事権を持っていいる官邸の責任は重い。
 安倍晋三自民党総裁3選の行方は??????????。
 
 

西日本豪雨災害

2018-07-12 11:06:54 | Weblog
2018年7月12日(木)曇 31.6℃~22.3℃
「首相ら酒宴」

 西日本の記録にないほどの大雨、河川決壊、濁流、土砂くずれ、交通網の遮断、断水・停電などライフラインのみだれの甚大な被害。亡くなられた方に合掌。行方不明の方の救出、被災された方々へお見舞い申しあげ、一日も早い復旧、復興をお祈りします。

 昨今の異常気象は何か変?
 
政権も何か変?
11日福島民報「豪雨被害迫る夜に・・・首相ら酒宴」の大見出しの記事。他の新聞にも同様の記事が載っていると思う。識者の「長期政権のぬるま湯に浸かり、たるみきいっている」と批判している。まったく同感である。みなさんはどう思われますか。
「西日本豪雨で被害が迫った五日夜、安倍晋三首相や自民党議員らが約50人が東京・赤坂の衆院議員宿舎で宴会を開き酒杯を傾けたいた。


 その頃、京都市は八万人以上に避難指示。気象庁は五日未明、大阪府北部地震の被災地などに土砂災害警報を出し、昼には緊急記者会見で西日本での豪雨に警戒を呼び掛けていた。その後被害は六~七日に西日本一帯に拡大。
 安倍首相は失点を避けようとしたのか、欧州や中東の外遊を止め、被災地の岡山県の視察を決定し、11日視察した。
 首相は視察後の取材で、今回の豪雨に対数する初動対応について質問され、「発災以来、政府として一丸となって取り組んできた」と述べ、対応に問題はなかったとの認識を示した。ただ当日(五日)午後、気象庁は記録的な豪雨の恐れありとして厳重警戒を呼び掛けており、飲み会は被害拡大のさなかに行われていた。首相の「赤坂自民亭」参加は、9月の自民党総裁選を意識したものとみられることから批判されて当然。
首相をはじめ主な大臣達

画像をツイター人に載せた議員の一人、西村康稔官房副長官は会の趣旨を「党幹部と若手議員のざっくばらんに話す懇親会」として気さくな写真も撮り放題とつぶやいていた。
 ジャーナリスト大谷昭宏さんは「首相を含め、どうして誰も『中止にすべきだ』といえなかったのか。国民の皮膚感覚とあまりにもかけ離れている」と指摘している。
 その通りですね。安倍長期政権のおごり、強権的な姿勢が随所にみえる国政をどうにかしなければと思う。

西村康稔官房副長官は12日の参院内閣委員会で、「赤坂自民亭」と称した懇親会の写真を自身のツイッターに投稿したことに関し、「大雨による災害発生時に会合をしていたかのような誤解を与え、多くの方が不愉快な思いをされた。反省しているし、おわびも申し上げたい」と謝罪した。
批判されてから謝罪すればすむという問題ではない。安倍首相の取り巻きとして得々としている姿がツイターの投稿から窺える。 

戊辰150年 その20

2018-07-06 17:43:15 | Weblog
2018年7月6日(金)曇 24.5℃~16.3℃
「ヘンリー・スネルとおけい 」

園匠の目黒浄定が、小堀遠州の流れをくんで作ったのが会津の名庭「御薬園」。先月、 規模は小さいが同じ園匠目黒浄定が作った庭、可月亭で茶会があり、古川洋一郎氏の講話があった。
その講話の概要をアップします。
『首相官邸のホームページでは、明治150年施策として「明治の精神に学び、日本の強みを再認識すること」を挙げいろいろな事業に「明治150年」冠に広報されている。
鹿児島県、高知県などでは「平成薩長土肥連合」を結成し、明治国家は我々が作ったのだというキャンペーンが行われている。今更ながらまだ勝者気分なのかと思う。
わが会津は「義」の想いを脈〃と未来につなごうとシンプルだ。
戊辰戦争の結果、一般的に日本の近代国家へと転換されたのが明治維新だといわれてきた。が、しかしその反面、国内には「官軍と賊軍」「勝者と敗者」の構図が勝者側によって物語が作られてしまった。
その戦いではスネルは会津藩に武器・弾薬を提供、販売を商いとし、敗戦するや妻子や・おけいなどの会津人を率いて新天地を海外に求めた。入植後、経営に失敗、妻子を連れて現地を離れ戻ることなく行方はわからず謎のまま』

 ヘンリースネルはオランダ国籍、ドイツ・プロイシア人を自称。会津藩軍事顧問 日本名「平松武兵衛」と屋敷(現在古川洋一郎氏跡地所有者)を松平容保公から賜る。
 近所の大工(桶屋)伊藤文吉の娘おけいがスネル家の子守をしていた。スネルは容保公にゴールドラッシュに沸く米国/カリフォルニアで未来を開拓することを提案した。金鉱を探しながら、お茶を栽培し、桑の木を植栽して絹の産業を興そうとする案である。
 藩士と家族37名が、開拓団に加わった。その中に、子守役の“おけい”も加わっていた。アメリカ移民の日本女性第1号であった。
 通称は「若松コロニー」と呼ばれていた。しかし、お茶と桑の木は育たず、1年ほどで崩壊してしまう。
 スネルは資金調達をするとのことで“若松コロニー“を出たが、再び戻ることは無かった。
 藩士たちは、スネルの言葉を信じ、しばらく待っていたが、やがて1人2人と“若松コロニー“から出て行った。
 子守りの“おけい”と元藩士/桜井松之助の2人は残り、スネルの帰りを待ち続けた。
 まもなく資金が枯渇し、“若松コロニー“は解体されてしまう。
 “おけい”は急な高熱に冒され、19歳という若さで死去した。
 夢を描いた入植地“若松コロニー”の見える丘に、桜井松之助が葬ったという。
 ゴールドヒルのおけいの墓と同じような墓を会津若松市背炙山に建て、おけい顕彰会と東山小学校が中心になっておけいを顕彰している。

「戊辰150年シリーズは20回で一度休みます」


戊辰150年 その19

2018-07-03 04:14:14 | Weblog
2018年7月3日(火)晴 35.5℃~21.3℃
「会津戊辰戦争 会津藩士の母たち 」

数日 35℃以上の真夏日が続いている。今年は空梅雨だろうか? もう梅雨は開けたのだろうか? 近郊の菜園場の農家は悲鳴を上げている。雨が欲しい・・・。

六、会津藩の母たち
  ・母や祖母たちの権威が過程全体に根を張っていた。
  ・会津藩では戦場の心得を息子に諭すのは男親ではなく多くは母親であり、祖母だった。
 ①柴四朗の母 ふじ
病気で寝ていた十六歳の四朗は顔面蒼白、歩くこともやっとだった。母は「いやしくも武家に生まれた者ではないか、芝家の男子なるぞ、急ぎ父の
 もとに参じて家の名を辱めなかれ」と言って家族全員が自刃した。

 ②白虎隊生き残りの飯沼貞吉の母、飯沼ふみ(山川唐衣の妹)
 「戦場に臨んだら決してにがかくれしてはいけない。鉄砲で敵を狙う時は、必ず臍の当たりを狙って撃て。太刀打ちする時は、臆せず愧じずに思い切って先々と心がけて切り込め」

 ③少年高木盛之輔のこと
  母の命により入城せり。母の言葉に曰「父は自己の持ち場を破られ城下に生還せらるる事万なかるべし。汝は人に遅れず戦死すべし。もし負傷せば自殺すべし。決して生捕りせらるる勿れ」との厳命也。祖母にも決別して銃を荷ふて入城したり。予は、一分銀にて拾弐両三分を貰い胴財布に収め携帯せり。


 

戊辰150年 その18

2018-07-01 21:43:46 | Weblog
2018年7月1日(日)晴 35.5℃~21.3℃
「会津戊辰戦争 会津の女子教育 」

数日 35℃以上の真夏日が続いている。今年は空梅雨だろうか? もう梅雨は開けたのだろうか? 近郊の菜園場の農家は悲鳴を上げている。雨が欲しい・・・。

五、会津の女子教育
 ・その底流に流れていたのは「恥辱」(辱めにあってはいけない)
 ・「天が下轟く名をばあげずとも遅れなとりそもののふの道(山川唐衣)
 ・会津藩の家庭教育ー識字・習字・和歌・裁縫・礼儀作法・薙刀
 「父はなかなか躾が厳しく、何か言われる時は、両手をきちんと畳につき、聞かねばなりませんでした。後添えの継母なども、実子と義理の子とに対してはいささかも差別待遇することは許されませんでした。したがって私などは継母から可愛がられもせず、憎まれもせず育ちました。その頃から「いろは」を習いました。十歳から十二、十三歳頃まで高木のお婆さんから針仕事を習いました。その頃山本覚馬の妹のお八重さんも高木に来て一緒にお針を習ったものです。十二歳から一年ばかり日向信介先生に一と六の日に家へ来ていただき、習字を習いましたが、当時は女は学問は要らぬとて、他のことは何一つ習わせていただけなかった。それに平素でも女子は一人で門から外へ出ることは許されませんでした。必ず供を連れて行かなければならなかった。
(日向ユキ『万年青』)

ユキは1944年 94歳で天寿を全うするのですが、晩年になると自らの人生を振返り口述をはじめます。それを息子さんが筆記してまとめたものが「萬年青(おもと)」として残されています。当時の出来事を知る上で貴重な史料となっています。