会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

市区長会

2011-05-31 23:52:42 | 地域情報
2011年5月31日(火) 曇り・晴れ
 月曜日午後からは雨も上がった。東日本大震災で延期になっていた会津若松市区長会定時総会が午後3時45分から、ワシントンホテルで開催された。西若松駅から会津鉄道で会津若松駅まで乗車しホテルへ(帰りも電車) 私が関係している団体ではこの総会が最後である。


 新任区長委嘱状交付式・市区長表彰式などの後定時総会だったが、報告事項と承認事項などあまり意見もなく終わった。
 昨年まで会津若松市には町内会が504あった。今年は503町内と一つ減った。
 高齢化が進み町内役員になる人がいなくなって他町内と合併したため。少子高齢化が一つの町内会組織を成り立たなくしてしまった。日本中で起きている過疎化が自治組織を崩壊させている。

 今回のような大震災が起きたら、地域のまとめ役がいなく混乱してしまうだろう。
会津若松市に避難された大熊町民のみなさんは、町長のリーダーシップのもとに一致して行動された。地震・原発震災などが収束するまで本市で生活されるであろう。
 仮設住宅の建設も進んでいる。今後は仮設住宅に入居される方、民間の住宅を借りる方など。その際、自分の町内にお出でになるかもしれない。いろいろな問題が発生するかも知れないが柔軟に対応していきたい。

~柔軟に 心を込めた お付き合い~


雨上がりの庭

2011-05-30 11:14:52 | 草花と花木
2011年5月30日(月) 雨 
 台風と梅雨前線の影響だろうか朝方から雨が降った。

 久しぶりの雨で畑の作物や花壇の草花や植木も雑草も生気を取り戻した。木々の緑も美しい。縁側に腰をおろしてぼんやり眺めていると時間が経つのを忘れたしまう。
愛犬ラッシュも一緒になって外を眺めている。
 
 雨降る日にのんびりと風情を楽しんでいるが昨年とは事情が違う。沖縄では台風シーズンでないのに1号・2号が同時発生し風速55mの突風が吹き荒れ土砂崩れや床上浸水が起きた。地盤沈下した被災地では道路が川になり水害が起きている。
 地震・津波・原発震災そして台風。いったい日本はどうなってしまうのだろうか。

 いろいろ考えると不安だらけである。しばし季節の花々を眺めて心を静めたい。
 
~草花は 雨に打たれて いきいきと~








菜の花鑑賞会

2011-05-29 16:39:26 | 地域情報
2011年5月29日(日) 雨 
 一昨年から会津若松市ではバイオマス資源活用事業の一環として「菜の花フェステバル事業」が実施されている。数年前より会津若松市農政課の地産地消サポーターになっていたのいでこの事業にも会員として関わることことになった。
 事業計画だと5月は昨年種蒔をした菜の花の鑑賞会を現地(湊の笹山原)で行うはずだったが、今年は東日本大震災で避難して来られた大熊町の町民の皆さんを励まそうと会津若松市文化センターの屋外と屋内でイベントを開催した。
 
 屋外では、使用済み天ぷら油でろうそく作成体験と廃油で発電機を回し菜の花プランターライトアップ。
屋内では、午後6時開演し下記のようなことを行った。
 1.開演、黙祷、あいさつ
 2.コンサート 
     ○大正琴(琴修会会津支部)  ○ギター(アントニオ・古賀)
     ○南米民俗音楽(アマンカエス)
 3.メッセージ朗読(大熊中学校の生徒のメッセージ)
 4.メッセージ布贈呈(来場者のンメッセージ)
 5.「ふるさと」大合唱
 6.閉会 菜の花ライトアップ終了





このイベントは天候に恵まれなかったことと広報の仕方がうまくいかなかったのか104名の参加者だった。はっきり言って大熊町の町民もあまりおいでになっていない。支援とは一気にするのでなく長いスタンスでするべきなのだろう。
 
 町長さんはおいでになって挨拶をされた。また、中学生のメッセージには会津若松市に対する謝意と大熊町の復興への強い思いが伝わった。
 
~被災者の 癒しと思う 押し付けか~



絵手紙

2011-05-28 23:21:50 | Weblog
2011年5月28日(土) 快晴 
 「花っこカフェ」の第二回活動日。昨年までは「園芸療法クラブ」に所属し、苔玉、笹まき、押し花、Tシャツデザィン、手づくりおやつ、野外活動、シイタケ採取、ケナフで紙を、しんごろうつくりなどの活動をした。
 今年は50才の手習いでなく70才の手習いとなるが「絵手紙クラブ」に所属した。絵は「へのへのもへじ」しか描けない。絵が描ける人はいいなぁと常々思っていた。
 
講師は現職の校長先生。今日は運動会で来られないので自主学習日。
 私は全くの初めてである。絵手紙の道具も持っていないので事務局に頼んで手配してもらい、昨年から活動している皆さんの様子を参観した。
 毛筆(文字用と彩色用)、青墨、水入れ、硯、梅皿、顔彩、下敷、文鎮、画仙紙ハガキ、筆拭きなどを出してそれぞれが描きたいものを自由に描いていた。
 
 みんな実にたのしそうである。 6月は講師がお出でになるので指導を受けながら「絵手紙」を描いてみよう。 年賀はがきは「絵手紙」で・・・・・???。    

~絵手紙は まずへたでいい へたがいい~



政治家は?

2011-05-27 15:00:07 | 時事
2011年5月27日(金) 快晴 
「止めろと言った」「言わない」で国会論戦にまでなった東京電力福島第一原発1号機への海水注入問題は一転、現場の所長が独断で注水を継続していたことが26日判明。
 原子力安全委員会の班目春樹委員長は「55分間の命令を誰が出したのかどうかという話しをしていたのに、停止していなかったと。私の頭の中はクイスチョンマークだらけで相当混乱している。いったい何がどうなっているのか教えてほしい」の記事。
 内閣、経産省原子力安全・保安院、原子力委員会、東京電力、学者、マスコミ等の情報が二転三転している。一番困惑しているのは国民である。

 「やってられんわ」と本社とのテレビ会議で言ったといわれる東京電力福島原子力発電所の吉田所長の親分肌、頑固に期待し原発現場の指揮を委ねている関係者に責任逃れだけはしてほしくない。原子力発電の推進と発電と送電の地域独占の法律を決め政治を行ってきたのは前自公民政権である。

 指揮系統無視に対しては組織としての処分はあるかもしれない。
 しかし、目の前に燃えさかる家屋があれば指示がなくても人命救助を最優先して行動する。遠く離れた東京本社の役員・学者は現場の状況を知らない。知らされていないのかも?これは情報を開示しない東電の隠蔽か?
 
 自民党総裁谷垣氏は何処からの情報で菅首相の中断指示を追求したのか?中断していなかった事実を知ってどう対応するのか。自分達の情報収集のまずさを棚にあげこの時期に内閣不信任案を提出するらしい。この時期に政局を混乱することが本当によいのだろうか。公明党も賛意を示している。与党の中にも小沢氏を中心としたグループが菅下ろしと動いている。
 
 対抗して衆議院解散をしたら約1ヶ月以上の政治空白が出来てしまう。この大震災の復興や原発が収束しない時期に内閣不信任を提出して本当によいのだろうか。東京電力より利益供与を受けた議員はいないのだろうか?
 国政を担う国会議員諸氏の発言と行動を注視したい。

 しばし茶花を眺め抹茶を飲む。


  
~永田町 足元見つめ 総選挙~



癒す

2011-05-26 19:57:51 | 草花と花木
2011年5月26日(木) 快晴 
 東日本大震災後の原発事故で大勢の方が二次避難されている。
復興の歩みは鈍い。しかし、多くのボランティアが現地に入りそれぞれが出来ることを支援したり、天皇陛下はじめ皇族の方々、音楽家・落語家・俳優などの芸術家、野球・サッカー選手等がそれぞれの分野で被災者の見舞いと激励に訪れている。
被災者の心を癒すことが出来ただろう。

 
~皇后に 差し出す花に 感無量~


 ガレ地に咲いていたスイセンを皇后陛下に差し上げたニュースがあった。心を癒すには音楽、ペットなどいろいろあるが草花もそのひとつ。
 大雪、震災、放射能汚染などがあるが、草花は季節が来れば花を咲かせる。花を眺めていると心が癒されほっとする。
 手入れもあまりしない庭だが今、藤・ボタン・アマナ・エビネ・シャガなどが咲いている。








西若松駅を愛する会

2011-05-25 13:39:21 | 地域情報
2011年5月25日(水) 快晴 
今日も本当によいお天気。豊齢研ITサロン会津のパソコン教室の日。早朝に起きて入浴。そして授業の予習をする。そして会員の皆さんの前にたつ。私自身も初めてのソフトリブレオフィス。前回の宿題(文章入力)は数名除いて30名以上やってこられた。学習意欲に感激した。表の作成と写真の挿入を戸惑いながら一緒に勉強した。

 午後は豊齢研ITサロン会津の授業を休み城西地区各種団体の名簿作成印刷。
その後「西若松駅を愛する会」の総会会場である釜飯が名物の「亭車場」へ。この会でも議長を頼まれ議事進行をした。限られた時間内での進行だったが会員の協力で無事終わる事ができた。


総会終了後は和やかな懇親会。市長と市会議員2名が来賓として臨席された。
 市長は東日本大震災がなければ4月26日で任期が終わるわけだが、このような事情で7月の選挙まで役職を全うすると話された。

『 特に被災者の大熊町住民を受け入れるにあたっては、大熊町長や教育長が「子どもを守りたい」と懇願されたのでこの言葉に胸を打たれて全面的に受け入れたと・・・。
 現在旧河東三小には約700名の児童と葵高校2階には中学生約200名が学び、約4,000人の町民が会津若松市におられる。
 大熊の人々の行動については色々と風評があるが、明治維新で会津藩が故郷を離れ斗南藩へ移住したと同じように帰る故郷が無い。暖かく見守り接していきましょう。』

私も同じ気持ちである。
 
~避難者と 同じ立場で 考えよう~



農作物作付け

2011-05-24 20:26:01 | 家庭菜園
2011年5月23日(火) 快晴 
田に水が入り数日前とは違って涼しい。農作業に精をだした。
会津若松市農業振興協議会発行の『農作物安全情報お届け便(創刊号)』が市内の各家庭に配られた。その要旨は
「3月11日に発生した東日本大震災以降、福島県産一部野菜の出荷および摂取が制限され、皆さんには何かとご心配をおかけしております。
 ご存知のとおり本市農産物については、キャベツなどの結球性葉菜類やホウレンソウなどの非結球性葉菜類が出荷制限が解除され、一歩一歩ではありますが地元で採れる美味しい野菜が店頭に顔を出しはじめています。今後、会津若松市では『農作物安全情報お届け便』により食に関する情報や農作物の栽培に関する新鮮な情報を発し、農家の皆様には安心して安全な農産物をつくっていただける、また市民の皆様には安心して会津の農産物を食べていただける環境づくりに全力で取り組んでいきます。・・・・・・・共に手を携え、会津から福島県を元気にしていきましょう。」と市民への訴え。
 
裏面には「農作物の生産および出荷制限等について」情報が記載されていた。
 特に農作物の作付けについて
 「国や県による土壌の放射性物資に関する調査の結果、会津若松市は水稲作付けが制限されませんでしたので、水稲・野菜・果樹等の農産物について、例年通り作付け作業をしてかまいません。・・・・」の情報が記載されていた。

~風評に 負けるな会津の 農産物~




 今までも農薬を使わず安全・安心の野菜づくりをしてきた私としては一安心。この情報が出る前から、家庭菜園のくきたちなどは採って食べていたし、夏野菜の苗の植え付けはしていた。
 絹さやエンドウやインゲン、キャベツ、エダマメなどは苗を購入せずポットで育て植え付けた。


 

突然死

2011-05-23 17:15:44 | Weblog
2011年5月23日(月)曇り
 一昨日町内のI.Sさん(86歳)がお亡くなりになり今日告別式であった。
 町内を代表して告別式に参列しご冥福をお祈りした。
 I.Sさんは3年前ご主人を亡くされて独居生活であった。2ヶ月前地震のこと、灯油のことなどでお邪魔して色々なお話しをした。
 時折妹さんが訪れI.Sさんを気遣い世話をしておられた。
 民生児童委員や老人相談員も訪問し話し相手になっていた。

 色々な機関や近所でサポートをしていたが、一昨日玄関前で午前5時クモ膜下出血で亡くなられた。発見者は午前9時頃ディーサービスで迎えに来た運転手さん。警察の検死が入ったが病死ということであった。
 
 このように4時間も発見されず亡くなった故人を早く発見し救急医療を受けさせれば・・・・・。という思いになった。

 昨年から地域包括センターを中心に「地域情報シート」を作成し、高齢者や独居者への支援をしようと動きはじめた。調査の結果町内にも支援を必要とする高齢者や独居者が増えている。行政よりも「遠い親戚より近くの隣人」という。隣近所の絆が一番であると思った。故人に献花。合掌。


~高齢者 突然死でも 孤独死か~

SL只見号

2011-05-22 21:54:04 | 地域情報
2011年5月22日(日)曇り時々雨
 昨日までのあの暑さは何処へ? と思うほど今日のお天気は4月初旬頃のように気温が低く寒く感じた。昨日と今日のの温度差が10度くらいあり雨も降っていたためだろう。

 久しぶりにSLの汽笛を聞く。
「SL会津只見号」が鳴らした汽笛であった。

 JR東日本と只見川ライン観光協会主催で21日と22日の二日間、JR只見線の会津若松ー只見駅で運行を開始して十周年。記念のヘッドマークを付けて走った。
 乗客は新緑に輝く奥会津の山々や田植え真っ盛りの田園、只見川の眺めなどを楽しまれたことだろう。一日1往復。沿線では歓迎行事が開催された。
 二日間の乗車券は完売だった。赤字路線であってもいろいろなイベントや仕掛けをしていけば観光客は舞い戻ってくるだろう。是非そう願いたい。

~懐かしい 汽笛いっせい シャッター音~