会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

峠の会長を辞して

2012-02-23 18:38:15 | 会津の峠テクテク会
2012年2月23日(木) くもり 小雨 
 会津の峠テクテク会の総会があった。会員30名中23名出席。会は解散せず継続と決定。 この総会は私にとって会長を辞する大きな転機であった。
前年度の総会で次のような挨拶をした。

『先程は大勢の方に出席いただき総会が無事終えることができありがとうございました。
総会は終了しましたが、来年は役員改選となっていますので今後の会の活動について若干私見を話したいと思います。
この会津の峠テクテク会は発足して10年以上経ちました。
その間会員の異動がありましたが常に30名前後で活動できたこと大変うれしく喜ばしくいことと思います。
印象に残っているのは数多くありますが、一番多く訪ねたのは束松峠でした。孫松?の写真です。
 
 故蓮沼洋子会長の後を引き受け長い間役職を務めました。この間会の目的に沿って峠を訪ね先人の姿に思いをはせました。その後、遊歩道、温泉と行き先が変わりますが、その都度原点に返り峠をいくつか訪ねるようにしました。昨年の反省会は32名会員中29名の参加を得て大いに盛り上がりよかったと思います。

 23年も全員継続を希望されて素晴らしいと思います。ただし個々人においては体調のこと、家庭のことなどで退会の意思を持っている方も数名おられます。その一人が私です。発足当時と比べ加齢による気力・体力の衰えは止めることができません。
会長として万難を排し毎月参加するように努力しました。会員の皆さんも峠の活動を最優先にされておられると思います。

発足時は入会希望者にはオリエンテーションをして会の活動についてお話ししました。
「いろいろな活動と重なったとき何に軸足を置くかです。峠の活動に置いてもらいたい。」と話したことがあります。
現状はどうでしょうか、一番大事な総会に欠席される方には申しわけありませんが、私のところには一人だけの連絡です。会の活動とは自主活動、全員一人ひとりの自覚です。一人ひとりが会を盛り上げ活発にする気構えと努力が必要です。酷ないいかたをするならばお客さまではないのです。役割をしっかり引き受け進んで活動に参加すべきだと思います。

向き不向きがあるといいますが大人です。やってできないことはないと考えておかしいでしょうか。
私も10年以上この会の役職を引き受けてきましたが、マンネリ化しました。この辺でバトンタッチをし、新しい風を吹き込んでさらなる発展をしていただきたいと思います。
役員改選は来年ですので今年は任期をまっとうしますが、来年は退任したいと思います。
今年一年間 皆さんが進んで役を引き受け会を継続するか、役員がいなければ解散も考えて活動しなければなりません。
私の強い思いを語りましたが、23年は楽しく思い出多い年にしていきましょう。』

 今回の総会で会長職を辞することができてほっとしている。
残った会員の方々がこの「会津の峠テクテク会」を継続し、発展してくださることを願っている。要請があれば軌道に乗るまでは前会長として相談にのり責務は果していきたいと思ったいる。
 今は正直いってほっとした安堵感で心穏やかである。
 

気負いすぎ、一手引き受け 悔い残す



美女峠

2011-11-10 19:37:46 | 会津の峠テクテク会

2011年11月10日(木) 晴れ  
 今年度会津の峠テクテク会最後の例会。お天気が心配であったが小春日和の最高の日であった。4月「花見山・信夫山」(福島市)は震災と原発事故で中止。5月「銀山峠」(柳津町)晴天。6月「尾瀬沼裏遊歩道」(檜枝岐村)小雨後晴れ。7月「青松ヶ浜」(湖南町)快晴。8月「銚子ヶ滝」(郡山市)快晴。9月「裏磐梯デコ平」(北塩原村)快晴。10月「あだたら遊歩道」(二本松市)快晴。11月「美女峠」(三島町)快晴。
 毎回参加者は20数名。皆勤者が13名もおられた。12月の反省会(忘年会)で表彰をする。
 
 今年は本当にお天気に恵まれて活動できてよかった。「美女峠」は名前に惹かれて一度昭和村野尻から峠を目指した。実際登って見ると高姫清水までは電力会社の送電線管理のため道はあった。しかし、その先は笹ヤブで歩けない。断念して引き返した。

 3年前から地域興しとして峠を歩くイベントが行われるようになったので、私たちもさこの峠を歩くことにした。

 今回は三島町間方から峠を登り昭和村の野尻へ降りるコース。約8km。
紅葉は終わりに近づいていたミズナラやブナ、ほうの木等の広葉樹の落ち葉の絨毯を歩き、澄み切った青空を眺め、野外でお弁当を食べた。「会津の峠テクテク会」にふさわしいすばらしい一日であった。

 「美女峠」は(びじょとうげ)と呼ばず(びんじょうげ)と読む。
 この峠は、その昔、平家が寿永の乱に破れ平維盛の将目指左衛門慰知親が愛姫高姫と横深の山林にかくれ、生みとき同じ平家の落人で兎窪に住む中野丹下との悲恋の物語から美女峠と名づけられたという。
 藩政時代から昭和初期にかけて南会津から本村を経て、会津若松地方に至る由緒ある峠路で頂上からの眺望はすばらしいものがる。(案内板より)
 


美女峠

あだたら遊歩道

2011-10-20 19:05:00 | 会津の峠テクテク会
2011年10月20日(木) 晴れ
 10月例会は「あだたら渓谷自然遊歩道と菊人形観賞」であった。
朝方はガスがかかっていて土湯峠道の駅からの眺望はよくなかった。晴れていると安達太良連峰や吾妻連峰の紅葉が眼前に広がって見える。残念だがしかたがない。
 予定通り(10時20分)奥岳バス停に着いた。


 この遊歩道は平成18年に安達太良山の奥岳登山をした後歩いたコース。会員も高齢化しているので今回は登山を止めて遊歩道をゆっくり歩くことにした。
「あだたら渓谷自然遊歩道」は安達太良山の奥岳登山口の手前から同山が源流の原瀬川沿いの山道をさかのぼる。

 順路で行くと、千鳥滝、二階滝、魚止滝、昇竜滝と続き、それぞれの木橋で右岸、左岸へと交互に渡る。魚止滝は十メートール以上の落差があり、撮影スポットとして人気がある。
 急斜面では木の階段が整備され、変化に富む。五月下旬から深緑の中に点在する山ツツジやシャクナゲが咲き始める。紅葉シーズンは特に評判がいい。終点で登山道に合流して烏川橋にでる。

 

 

私たちはこのコースをゆっくりゆっくりと谷筋の紅葉や滝を左右に観賞しながら歩いた。遊歩道入り口の広場でベンチに座り昼食を済ませた。紅葉は見頃であった。できれば青空がのぞき、木漏れ日が差し込むと紅葉は一段と映えただろう。
 昼食を終えて二本松霞ヶ城の菊人形展鑑賞に向った。(つづく)
 
 

初秋のデコ平

2011-10-17 15:45:07 | 会津の峠テクテク会
2011年10月17日(月) 晴れ・くもり
 連日福島民報には「2011紅葉紀行」で県内各地の紅葉の様子を写真と記事で伝えている。山の樹木は秋色に染まってきた。今日は「デコ平」の記事。
 
ふと9月29日に会津の峠テクテク会9月例会「初秋のデコ平を歩く」のことを思い出した。


早稲沢・デコ平自然ふれあい探勝路は、グランデコスキーリゾートからデコ平湿原、吾妻川上流にある布滝を経て檜原湖北東の早稲沢に至るコース。自然林を通り、湿原の植物、名水、そして布滝を巡る約5.3kmノコース。広葉樹が多く、初夏の新緑、秋の紅葉がすばらしい。夏・秋にグランデコのゴンドラが運行されている。
 今回もこのゴンドラを片道利用した。

 お天気は最高。高原の清々しい風を受けながら足取り軽く百貫清水まで歩き、予定より40分も早く着いた。この時期に探勝路を歩く団体も無くゆっくりと昼食をとる事ができた。

 

 百貫清水は全国水百選の一つに数えられている「小野川湧水の水源」。その昔「百貫に価にも換ふるべからず」とたたえれたこの泉は、古来絶えることなく水底の白砂をふきあげ神秘的な姿をみせている。


 湿原植物観察池は標高1,300m、亜高山性の樹木に囲まれた湿原。ミズバショウ、ワタスゲ、モウセンゴケ、ウメバチソウなどの湿地性植物が自生している。
 ブナの原生林をはじめアオモリトドマツ、キタゴヨウマツなどの針葉樹が繁り、森の中にはオオルリ、コルリ、キビタキのさえずりが響き、コマドリ、ホシガラスなど高山性の野鳥にも出会える手付かずの自然が残されている。

 百貫清水からこの探勝路の最大の難所である布滝への長い長い階段を慎重に下りた。布滝は吾妻川が50mの標高差を何段にもわたり一気に流れる吾妻川随一の滝。
 ここで記念撮影をした。10年前(平成十四年)にこのコースを歩いた時も布滝で記念撮影をした。懐かしい思い出の写真を送ってくれた会員がいたので載せました。


 布滝から楽な道を下り吾妻川渓流探勝路(2.3km)をせせらぎの音を聞きながら早稲沢まで歩いた。そしてバスに乗り北塩原村ラビスパで温泉に入る。疲れをとって帰宅。
 お天気に恵まれ参加者22名が怪我も無く歩けたことを会津の峠テクテク会の会長として本当にうれしく思い出に残るトレッキングであった。

下記スライドはデコ平の一コマです。

デコ平自然探勝路














山歩き下見

2011-09-08 23:23:21 | 会津の峠テクテク会
2011年9月 8日(木)快晴 
会津の峠テクテク会9月29日例会で「デコ平トレキング」をする。この会は当番班が事前に下見をしトイレから休憩場所、見どころなど距離と時間を計り計画を立てる。20名以上の団体を引率するには事前の下見が重要である。

 今日はその大事な下見。私は会員3名を乗せグランデコの駐車場まで運転。パノラマゴンドラに約15分乗り山頂駅に着く。
「早稲沢・デコ平自然ふれあい探勝路」は、デコ湿原、百貫清水・吾妻川上流にある布滝を経て檜原湖の北東の早稲沢に至るコース。自然林を通り、湿原の植物、名水、そして布滝を巡る。
 このコースは平成14年に実施している。随分昔のことであるが標識などもしっかりたてられているので、湿原の分岐点まで行き引き返した。


 山頂駅近くまで来たら驚異の飛翔2000km以上(台湾2,231km)する蝶アサギマダラが舞っていた。この蝶の食草ピンクの花「ヨツバヒヨドリ」も咲いていた。
 この蝶の観察会は8月で終わったので、もう見れないのかなと思ったら、まだ飛び立たず残っている蝶もいた。

その上、アサギマダラの研究者栗田昌裕先生(観察会のオフィシャルアドバイザー)とお会いすることが出来た。実際に網で捕獲しているところ、マーキングをしているところなどをみせてもらったり、お話を聞くことができた。

 山頂レストランで昼食をすませゴンドラで下山。小野川不動滝に寄ってみたが急な階段もあり往復40分もかかるので魅力ある豪快な滝だが例会の計画からは外す。
滝をみた後は、車で「デコ平トレキング」の下山口早稲沢へ行き、ラビスパ温泉により喜多方を回って会津若松へ帰った。
 午前9時に自宅を出て帰宅は午後5時30分。走行㌔は120,9km。疲れた。
 


銚子ヶ滝・布引高原

2011-08-04 22:31:23 | 会津の峠テクテク会
2011年8月4日(木) 快晴 暑い
 会津の峠テクテク会8月例会 涼を求めて「銚子の滝」そして「風車の布引高原」へ。
久しぶりに雨の心配をしなくてもよい例会。21名参加。
はじめに「銚子ヶ滝」へ。この滝は安達太良山(1709m)山麓の石筵川源流にある滝。JR磐越西線磐梯熱海駅から9.7kmで石筵ふれあい牧場へ。そこから2.9kmで銚子ヶ滝登り口(東屋)。ここから1.4kmで滝に到着する。日本の滝百選、ふくしまの水30選に選ばれた豪快な滝。
高低差48メートル・幅27メートルで安達太良山麓屈指の大瀑布。酒を入れる銚子の形に似ている事からこの名が着いた。
 私たちバスを利用し磐梯熱海ICから石筵公衆トイレに寄り、銚子ヶ滝登り口(東屋)の駐車場まで行き、平坦な雑木林を過ぎ滝への降り口までで歩いた。滝まで300メートルは階段があり、手すりや鎖をつた伝わって降りた。瀑布のしぶきが満点の涼であった。マイナスイオンをいっぱい吸って英気をもらった。ここで食べた昼食は実にうまい。

 しばし休憩した後、急な階段を登り、東屋まで歩いてもどった。駐車場で待っていたバスに乗り布引高原へ移動した。
 途中国指定文化財「赤津のカツラ」(樹高30m、目通り幹囲11.2m、推定樹齢400年)を車窓から眺めた。秋の紅葉はきれいだろうなと想像しながら・・・・・。
布引高原とは郡山市の西部猪苗代湖南側に広がる会津布引山(1081m)を中心とした標高1080mの台地状の高原。磐梯山や猪苗代湖が一望できる絶景の地。山頂には国内最大級の風力発電施設「郡山布引風力発電所」が建設され、高さ100mの風車33基がクリーンエネルギーを作り出して、私たちに風の恵みを与えてくれる。発電量65,980KWで約35千世帯分の年間消費量に相当する。
 また、布引大根の産地としても有名である。

 例年咲いているひまわりは今冬の大雪で種蒔が遅れたため咲いていなかった。
 今日は、滝の涼と高原の爽やかな風で猛暑も忘れた日であった。
 来月は初秋のグランデコ平遊歩道を歩く予定。

青松ヶ浜を歩く

2011-07-14 22:17:56 | 会津の峠テクテク会
2011年7月14日(木) 晴れ・真夏日
梅雨明けと同時に暑さが厳しく蒸し暑い。そんな蒸し暑い会津若松市を離れて、会津の峠テクテク会では7月例会「湖の風に吹かれて湖岸を歩く」(郡山市湖南町~青松ヶ浜や舟津公園)を実施した。 3班作成の資料によると
「青松ヶ浜」は、福良浜の一番の名勝地で、会津と二本松の藩領堺の起点となる立石があるところから、昔は立石浜と呼ばれていた。対岸長浜に御用邸天鏡閣が誕生した明治41年(1908年)湖上遊覧の皇太子(後の大正天皇)が福良浜に向われた際、布引山を背景としたたて石浜を見てその絶景に感嘆し「青松ヶ浜」と命名されたということです。

 青松ヶ浜は猪苗代湖の鬼沼、中野沢湖岸と共に宮家のご用地として献上された地である。深い緑と砂浜の白さが美しく映える浜、目の前に広がる猪苗代湖、そして名峰磐梯山とと共に四季折々の豊かな景観美を見せ、自然の素晴らしさを語りかけてくれます。
このようなすばらし自然景観と生活環境をドッキングさせ、みなさんが楽しく過ごせるようにと、平成6年~7年度で生活環境保全林として整備された。


 松林の一隅に湖南の生んだ劇作家 眞船豊の代表作「鼬(いたち)」の一節を刻んだ文学碑が昭和54年に建立された。

 この青松ヶ浜の景勝地の他「鬼沼」「舟津公園」「日本一の観音堂」「中地の大仏」「三代の一里塚」「福良の四季の里」「千手観音」と見学したりお参りしたりした。

 今回の例会はアップダウンもなく、磐梯山を眺めながら猪苗代湖を吹き渡る涼風を肌に受け、松林のひんやりした木陰を歩き避暑気分を満喫した。参加者は21名と少なかったがみんな満足した一日であった。



ミニ尾瀬

2011-06-25 21:12:36 | 会津の峠テクテク会
2011年6月26日(日) 雨・曇り
 アメシロが発生し町内の樹木に被害が出ている。今日3台の機械で一斉消毒の予定だったが生憎の雨。来週の日曜日に延期する。
 午前中は久しぶりにゆっくりと過した。午後からは城西地区区長会の庶務の仕事をこなす。地区に15ある各種団体の名簿づくり、会議の資料づくりなどでパソコンに向き合っている時間が長かった。この他第24回湯川灯ろう流しの事務局の仕事がどっさり。

 気分転換にブログをアップします。
 23日(木)大雨の中出かけた会津の峠6月例会「尾瀬の奥街道を歩く」の続きをアップします。天気予報250mmの雨量。一日中雨。無謀としかいえない。
 前回アップしたように現地に着いて木道を歩いているうちに雨は止み湿原と周囲の木々のの色とりどりの緑がとっても美しい。遠く越後の山並みもみえた。マイナスイオンを胸いっぱいに吸い込んで身体中に生気が漲った。

御池駐車場にもどりバスに乗るとまた雨が激しく降り出した。20分位で「ミニ尾瀬公園」に着いた。下車する時は雨が止んでいた。インフォメーションセンターで昼食を取り、公園内を散策。雨はすっかり止み濡れた傘を干しながら歩くほどの陽が射していた。
「ミニ尾瀬公園」には壮大な尾瀬の魅力が凝縮されている。--尾瀬の湿原に、山々に可憐な彩りを添える植物たち、耳を澄ませば、瀬音の瑞々しさに心が洗われるように・・。
ーーー。



 この尾瀬の魅力を体感できるのも尾瀬の“水先案内人”ミニ尾瀬公園です。
 今が一番色々な花が見れる時期。ニッコウキスゲ、カキツバタ、キンロウバイ、ヒメサユリ、コバイケイソウ、コマクサ、ミズバショウ、チングルマ、クリンソウ・・・など

~雨も止み 奥尾瀬歩き 一呼吸 ~

 見学の後 最近建て変えられ檜枝岐村の共同浴場ロッジ風の「駒の湯」で汗を流し帰宅した。バスに乗っている間は雨。帰若すると雨は止み自転車の乗って雨にも会わず帰宅できてよかった。行く先々で雨が小降りになったり、止んだりした。不思議な一日であった。

尾瀬の裏街道

2011-06-24 22:51:22 | 会津の峠テクテク会
2011年6月25日(土)雨・曇り
 23日 会津の峠テクテク会の6月例会があった。今回は奥尾瀬と呼ばれている燧裏林道とミニ尾瀬公園を巡る。
『燧裏林道』は燧ヶ岳の北側の裾野を巻いて通る比較的平坦なコースです。(このへんは奥尾瀬と呼ばれています)比較的訪れる人の少ない少ないルートですが木道の上の霜や夜露、山道のぬかるみなどが結構あるので滑らないように注意が必要です。
 尾瀬御池奥の入山入り口からスタート。入り口には入山者の人数を調べるカウンタがあります。右側通行!センサー前を通りましょう。ここでは尾瀬入山者40万カウント分の1がカウントアップされます。御池の駐車場からなだらかな山道を5分位歩くと、御池田代、さらに20分歩くと姫田代があり、さらに20分歩くと上田代です。・・・・。
「田代」の名前の由来は湿原中の池塘が並んでいる状態が、小さな田んぼの苗代が並んでいるような感じなので田代と名づけた、とか5月下旬に雪代による水位の上昇で泥田状態なるためといわれている。<6月担当班の資料より>

 天気予報は最悪。梅雨前線があり新潟、福島(特に会津)は250mmの降雨量。22日は梅雨の合間で快晴。それに比べて一日中雨。決行するか中止するか前夜から悩んだ。
 朝方の天気予報図は大雨を降らせる雨雲が去り、次ぎの大きな雨雲が来る狭間。尾瀬は小雨かもしれないと思い実施を決断した。
 
遠距離なので大型バス55人乗りを予約した。参加者は20名。一人ワンボックス占有。鶴賀保育園午前6時出発。市内数箇所で会員を乗せ、檜枝岐村御池駐車場へほぼ予定通り午前9時20分頃到着。しっかりと合羽を着て雨対策をした。横殴りの激しい風雨。天候が回復しなければ引き返す積もりで出発。




姫田代に着いた頃には雨が止んでいた。雨上がりの湿原の緑の美しさと爽やかさを胸いっぱいに吸い込んだ。来てよかった。


~雨上がり 尾瀬湿原の 魅力増す~


5月例会銀山峠

2011-05-19 19:38:45 | 会津の峠テクテク会
2011年5月19日(木) 快晴
会津の峠テクテク会5月例会の日。昨年11月で野外活動を終え、今年2月に総会。3月講演で4月から野外活動の計画であった。しかし、今回の大震災で計画の変更をせざるをえなかった。講演はガソリン不足の最中で福島市に居られる講師も来若が難しいので中止。4月例会は福島の花見山と信夫山の散策だったが原発事故発生で中止した。

 活動再開を会員は待っていた。お天気は最高。新緑の木立の中をマイナスイオンを胸いっぱい吸い込んで心地よい汗をかく。
 会員32名中27名の参加。途中講師も乗ったので中型バスは補助いすを使って満席。

 訪ね歩いた峠は「軽井沢銀山・銀山峠」。この峠については担当班長が作成してくださった資料を下記に載せます。
「永禄元年(1558)村民松本左文次の発見したもの。翌年から採掘が始り、閉鎖される明治29年までの340年の間、閉山・再開を繰り返し、実際採掘されたのは200年間ほでだった。本格的に採掘したのは、会津三代藩主松平正容の時代で、良い鉱脈にあたり最盛期には、従業員宿舎だけでも1000軒余もあったそうである。」


 明治12年大島高任、古河市兵衛らによって再会された。採鉱・製錬技術の進歩で算出量も向上した。明治20年には昼夜三交替体制での稼働であった。その電力は、湯八木沢の水力発電でまかなった。会津盆地の各地から、西部山地に突如現われた不夜城の閃光」に見物人まで現われたそうである。
 銀山峠は、湯八木沢から田代・松ヶ下に至り、高尾嶺の北鞍部(620m)を越え軽井沢銀山に下る峠をいう。(笹川 寿夫著「新編会津の峠」下より抜粋)

 ガイドは「銀山峠を復活させる会」の会長の佐等さんにお願いした。昨年から道の整備をし農作業の忙しい所を案内してくださった講師に会員一同感謝している。 

~閉山し 残る廃炉の 無常かな~