12月31日(木) 大晦日
予報通り雪が降り出した。朝のうちはまだちらほらと小降りだったので、正月用のほうれん草とキャベツと山東菜を収穫した。外の水道で土を洗い流す。地下水なので水温が気温より高く作業はしやすかった。
神棚に注連飾、恵比寿、大黒と歳徳神を飾り、水、塩、米、さかき、灯明、餅、酒、鮭の頭をお供えして主人の年越し準備は終わり。
ラッシュは息子の車で孫達の待つ塙町へ。娘一家は明日帰省して来る。今宵は夫婦だけの年越し。年越し蕎麦も打たないで乾麺ですませる。年々このような年越しをするのだろうか。少し寂しい気がする。
京都一人旅はまだ3日目が終らない。元日もアップします。お付き合いしてください。
9日(水) 大徳寺の塔頭
京都ウオーキング講座の仲間と落ち合い蒲生氏郷公の墓がある「黄梅院」を訪ね、花と線香を手向けた。ここの住職は鶴ヶ城の修復工事に理解を示し、寄付者には自筆の書をくださることで会津若松市と関係が深い。8日で特別公開は終わっていたのだが、事前にお願いしたので蒲生氏郷公の墓参りが出来てよかった。
ここで仲間とは別れ、大徳寺で公開している塔頭を一人で巡ることにした。黄梅院を左に進んでいくと右手に大徳寺の総門が見える。総門に行かず境内を左に行くと、唐門、三門(金毛閣)、勅使門がなどが並び建っていた。
この金毛閣は天正17年(1589年)千利休が完成させて上層にわらじ履きの自身の木像を安置した。これが豊臣秀吉の怒りにふれ、利休は自決に追い込まれた。美しい二層の山門である。写生をしている方がおられた。
興臨院の方丈庭園は前日で特別公開が終っていて拝見できなかった。龍源院、枯れ山水庭の大仙院(撮影禁止)、細川家の菩提寺である高桐院にはガラシャ夫人の墓がひっそりと建っていたのでお参りした。
午後3時日暮れが早く薄暗くなってきたが、足を延ばして今宮神社方面へ。
予報通り雪が降り出した。朝のうちはまだちらほらと小降りだったので、正月用のほうれん草とキャベツと山東菜を収穫した。外の水道で土を洗い流す。地下水なので水温が気温より高く作業はしやすかった。
神棚に注連飾、恵比寿、大黒と歳徳神を飾り、水、塩、米、さかき、灯明、餅、酒、鮭の頭をお供えして主人の年越し準備は終わり。
ラッシュは息子の車で孫達の待つ塙町へ。娘一家は明日帰省して来る。今宵は夫婦だけの年越し。年越し蕎麦も打たないで乾麺ですませる。年々このような年越しをするのだろうか。少し寂しい気がする。
京都一人旅はまだ3日目が終らない。元日もアップします。お付き合いしてください。
9日(水) 大徳寺の塔頭
京都ウオーキング講座の仲間と落ち合い蒲生氏郷公の墓がある「黄梅院」を訪ね、花と線香を手向けた。ここの住職は鶴ヶ城の修復工事に理解を示し、寄付者には自筆の書をくださることで会津若松市と関係が深い。8日で特別公開は終わっていたのだが、事前にお願いしたので蒲生氏郷公の墓参りが出来てよかった。
ここで仲間とは別れ、大徳寺で公開している塔頭を一人で巡ることにした。黄梅院を左に進んでいくと右手に大徳寺の総門が見える。総門に行かず境内を左に行くと、唐門、三門(金毛閣)、勅使門がなどが並び建っていた。
この金毛閣は天正17年(1589年)千利休が完成させて上層にわらじ履きの自身の木像を安置した。これが豊臣秀吉の怒りにふれ、利休は自決に追い込まれた。美しい二層の山門である。写生をしている方がおられた。
興臨院の方丈庭園は前日で特別公開が終っていて拝見できなかった。龍源院、枯れ山水庭の大仙院(撮影禁止)、細川家の菩提寺である高桐院にはガラシャ夫人の墓がひっそりと建っていたのでお参りした。
午後3時日暮れが早く薄暗くなってきたが、足を延ばして今宮神社方面へ。