会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

新装なった東京駅

2013-06-26 21:40:10 | Weblog
2013年6月26日(水)晴れ後雨 25.7.4℃~19.1℃
   
 今回の<歌舞伎座杮落しツアー>の最後は新装なった東京駅丸の内駅舎であった。昨年、約100年を超えて蘇った東京駅丸の内駅舎。駅としての存在感はもちろん、芸術作品としても価値がある。
 また、ホテル、オフィス、商業施設などが集約された、多彩な魅力と先進の機能を兼ね備えた駅で東京駅街となっている。あっちもこっちも見て歩きたいが迷子になってしまいそうだった。
 
 何度も東京へ行くがわざわざ新装なった駅舎を見るために東京駅丸の内口に行ったのは初めてであった。
 駅舎全体をざっと見ただけで、大ドーム、小ドームなど屋根の形が多様で激しく凸凹している。設計した辰野金吾は、王冠のような派手で目立つ屋根を載せることにより、首都・東京の建築の王様としての東京駅を見せたかったのだろう。
 壁面に目を移すと、赤レンガの赤と石の白のコントラストの鮮やかさが目立つ。屋根には天然スレートと銅板が使われている。
 駅の周りはカメラ付き携帯電話やタブレット、デジカメで撮影する人で混雑していた。

 内部の見どころは大ドーム。八角形の隅には十二支のレリーフが用いられている。見上げたがよくわからなかった。

 駅舎全景や大ドームはデジカメではうまく撮影できなかったのでフリー百科事典の写真を借用しました。
 

 
 




スカイツリー

2013-06-25 20:08:29 | Weblog
2013年6月25日(火)晴れ 31.3℃~18.1℃
   
 今回の<歌舞伎座杮落しツアー>で歌舞伎以外にも築地本願寺・スカイツリー・東京駅へ寄ることであった。東京スカイツリーは完成前に2度ばかり見学に行ったことがある。周辺は工事現場のようなところであり、仮設トイレが少し点在していた。
 

2012年5月に東京タワーに代わる電波塔として開業。「東京 ソラマチ」ができ観光施設、商業施設が併設され、周辺は東京スカイツリータウンと呼ばれ賑わっていた。
 「東京スカイツリーにのぼろう! 下町散策プラン」(東武トラベル)でクーポン券を購入していたので、東京スカイツリーの北側「スカイツリーアリーナ」を経由し、係り員の誘導に従って「4階正面エントランス」から入場。4階出てロビーのチケットカウンターで、入場券と引き換える。その後入場列に並び、入場ゲートからで入場券をタッチする。ここまでは団体なのでスムーズ動けた。そこから【東京スカイツリー天望デッキ(350m)」行きのエレベーターに乗るまでが随分と時間がかかった。
 

上りのエレベーターは40人乗りで分速600メートル。第一展望台まで50秒弱で到着した。エレベーター内は鳳凰のモチーフがデザインされていて「秋」がテーマ。4台あるエレベーターには「春」「夏」「冬」の四季がテーマ。

天望デッキは2,000人収容できる。江戸一目図屏風、東京時空ナビ、ガラス床などがあったが、大混雑でゆっくり見ることができなかった。少しかすんだような天気だったが、隅田川、浅草などがみえた。またアサヒビルの金色に輝くビールの泡の広告を写真にとることができた。この後天望回廊450mに行くには、チケットカウンターに並ばなくてはならない。上って天望回廊を歩いたり、ソラカラポイントを体感したかったが帰りの時間の関係で上らず下りた。
  

 


築地市場

2013-06-24 21:44:13 | Weblog
2013年6月24日(月)晴れ 30.4℃~16.1℃
   
 築地本願寺を見学後すぐ近くの築地市場へ寄った。

築地市場(つきじいちば、つきじしじょう)とは、東京都中央区築地にある公設の卸売市場。東京都内に11か所ある東京都中央卸売市場のひとつだが、その規模は日本はおろか世界最大(広さでは大田市場のほうが広いが、取引金額は大田市場より大きい)であり、代表的な卸売市場である。外郭に存在する築地場外市場商店街(通称:場外、場外市場、築地場外、築地場外市場)何度も市場を訪れた方はおわかりでしょうが、築地市場は場内と場外がある。
場内はマグロのセリなどが行われ、卸・仲卸・買付人など商売関係者が早朝から賑わい午前中くらいで店を閉めるところが多い。場外は食堂や物販の店が開いており、観光客で賑わっている。


















6月9日は日曜日であり、波除稲荷神社のお祭りだったので物販の店は半分くらい休みだった。
寿司など食べ物屋は相変わらずの賑わい。1億円以上でマグロを落札して超有名になった「寿司ざんまい」は、本店を含め3店舗とも長蛇の列。案内所は祭り関係の詰所になり使用できなかった。また、この周辺は人込みで大混雑。この混雑をかき分けながら少し離れた通りに出ると人込みは少なくなり寿司店に並ぶ人もパラパラであった。

昼には少し早かったが店構えが新しい「寿司清」へ立ち寄る。タイミングよく6名全員カウンターに座ることができ、すぐに寿司をつまむことができた。後継者がいなくて店は無くなったが会津若松にも同じ名前の寿司屋があった。何となく懐かしい。
何度か築地市場(場外・食堂街)へ寄って食事をするが並ばないで食べれたのは初めてだった。お土産には「玉子焼き」を買うのだが暑かったのでやめた。また、鰹削り節を築地鰹卸問屋「秋山商店」で買うのだが休みで買うことができなかった。これがちょと心残り。この商店の鰹削り節は絶品です。お奨めです。
 

波除稲荷神社は築地市場の海幸橋門(かいこうばしもん)に隣接している神社。埋立地の別称である築地の地名からも解かる通り、この付近一帯は埋立地である。江戸時代初期、万治元年(1658年)に築地本願寺からこの付近にかけて埋め立てが開始されたが、次々と波に洗われて工事は難航していた。しかし海中から発見された稲荷神の像を祀ったところ、風波が和らぎ工事が完了したとされている。これが「波除」の由来で、厄除けや航海安全の神として信仰されている。また、築地市場に隣接していることから「海老塚」「すし塚」「玉子塚」などの水産物や食品に関わる霊を祀る塚がある。

築地本願寺

2013-06-22 21:27:09 | Weblog
2013年6月23日(日)晴れ 27.2℃~16.8℃
   
  今回の<歌舞伎座杮落しツアー>で歌舞伎以外にも築地本願寺・スカイツリー・東京駅へ寄ることであった。特に築地本願寺は会津若松市の福照寺住職が修業した場所であり、その紹介で堂内を見学ができ説明も受けることができた。
 
築地本願寺は江戸時代の1617年に、西本願寺の別院として浅草近くの横山町に建立。「江戸浅草御坊」と呼ばれていた。しかし明暦の大火(振袖火事)により本堂を焼失。その後、幕府による区画整理のため旧地への再建が許されず、その代替地として八丁堀沖の海上が下付された。そこで佃島(現中央区佃)の門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き(この埋め立て工事が地名築地の由来)、1679年に再建。「築地御坊」と呼ばれるようになった。なお、このときの本堂は西南(現在の築地市場)を向いて建てられ、場外市場のあたりが門前町となっていた。その後関東大震災による倒壊は免れたが、すぐ後に起こった火災により再び伽藍を焼失。又、58ヶ寺の寺中子院は、被災後の区画整理により各地へ移転。
現在の古代インド様式(天竺様式)の伽藍は当時の浄土真宗本願寺派法主・大谷光瑞と親交のあった東京帝国大学工学部教授・伊東忠太による設計である。当時の宗教施設としては珍しい鉄筋コンクリート造で、松井建設の施工により1934年に完成している。伽藍には大理石彫刻がふんだんに用いられ、そのスタイルは現在においても斬新かつ荘厳で、築地の街の代表的な顔である。本堂と石塀が国の登録有形文化財に登録されている。 浄土真宗本願寺派の新体制移行(2012年4月1日付)に伴い、正式名が従前の「本願寺築地別院」から「築地本願寺」になった。これにより、築地本願寺は全国唯一の直轄寺院となる。
本尊は聖徳太子の手彫とされる阿弥陀如来立像。
 
 築地本願寺では葬儀はもちろん結婚式も行われる。雅楽やパイプオルガンの演奏もある。私たちのためにわざわざパイプオルガンで演奏してくれた。曲目は分からないが荘厳な響きに心打たれた。
築地本願寺には仏教寺院としては大変珍しくパイプオルガンが設置されています。
このオルガンは音楽を通じた仏教伝道と仏教音楽の普及の願いのもと、1970(昭和45)年、(財)仏教伝道協会によって寄進されました。
このパイプオルガンは旧西ドイツのワルカー社製で、約1年をかけて製作されました。
長いものでは約3メートル、短いものでは約1センチほどのものまで、大小約2,000本のパイプ(笛)で構成され、このパイプを伝い演奏者が奏でる「風」が、繊細で荘厳な音色を織りなします。
法要や儀式、結婚式や2006年1月より開催されている毎月最終金曜日のパイプオルガンランチタイムコンサート等、その他様々な場面で演奏され築地本願寺の象徴的存在として多くの方々に親しまれています。




ホテル??

2013-06-22 21:03:38 | Weblog
2013年6月22日(土)晴れ 25.9℃~17.5℃
   
 歌舞伎観劇の高揚した気分でタクシーを拾い宿泊するホテルへ向かった。着いたホテルは荷物を預けたホテルでない。予約し荷物を預けたホテルは「銀座キャピタルホテル(本館)」だったのに本館の近くの「銀座キャピタルホテル(新館)」だった。
 


 東京の週末はビジネスホテルは混んでいるのだろうか。本館は満室になってしまったので新館への移動となったらしい。引率者とは了解事項であった。私たちは言われるまま行動した。部屋はベットが3つもあるがやや手狭な感じ。それでも他の部屋よりは広かった。
 午後10時を回っていたが飲みたい気分。最近はホテルに冷蔵庫はあるが空でなにもない。その代り、自販機があったり近くにコンビニがあったりする。このホテルの隣はローソンだった。つまみと缶ビールを買い求めいっぱいやって寝た。
 第一日目の<歌舞伎座杮落しツアー>は終わった。







歌舞伎 「助六由縁江戸桜」

2013-06-21 21:11:08 | Weblog
2013年6月21日(金)曇 23.7℃~19.0℃
   
 前にも書きましたが歌舞伎をよく理解するためには、今回のように事前の講演を聞く方法やパンフレットを購入してあらすじを読むなどがある。また、インターホン案内や新開場で初めて導入された字幕ガイドを利用す方法もある。
 
 今回の<歌舞伎座杮落しツアー>の目玉は十二世市川団十郎に捧ぐ歌舞伎十八番の内『助六由縁江戸桜』河東節十寸見会御連中の観劇であった。また、休憩時間にお弁当を食べるのも楽しみの一つであった。
「鈴ヶ森」が終わって「助六」が始まるまで30分の休憩時間。予約しておいた店にいって食事する人、持ち込んだ物を食べる人、弁当を食べる人等場内が賑やかで会話も弾んだ。着物姿もあちこちに見受けられ伝統文化である歌舞伎観劇に華を添えている。


 
午後7時10分いよいよ『助六由縁江戸桜』の開演。
 この演目は300年続いている歌舞伎十八番の内で、本来ならば十二世市川団十郎が花川戸助六を演じるところであったが急逝したのでで息子の市川海老蔵が演じた。
 三浦屋揚巻は中村福助、通人里晩は三津五郎、朝顔仙平は又五郎、福山かつぎは菊之助、三浦屋白玉は七之助、曽我満江は東蔵、髭の意休は左團次、くわんべら門兵衛は吉右衛門、白酒売新兵衛は菊五郎。その他大勢の役者が出演し熱演。

<あらすじは>
曽我五郎時致(そがのごろうときむね)は、花川戸の助六(はなかわどのすけろく)という侠客となって、源氏の宝刀友切丸(ともきりまる)を探し出すため吉原に出入りしています。三浦屋の傾城揚巻(あげまき)と恋仲になった助六は、吉原で豪遊する意休(いきゅう)という老人が、この刀を持っていることを聞きだし、奪い返すというストーリーです。

助六の「花道(はなみち)」からの出は、紫の鉢巻の由来を含めた助六の自己紹介ともいえる「河東節(かとうぶし)」の語りに合わせ、颯爽(さっそう)と舞踊のように演じられます。このくだりは、「出端」とばれており、助六を演じる俳優の最初の見せどころです。助六という役は、荒々しく豪快な「荒事(あらごと)」とやわらかく優美な「和事(わごと)」の要素を兼ね備えた役で、出端の振りにもこの役の性格がうかがえます。
なお「河東節」は、市川團十郎家(いちかわだんじゅうろうけ)の俳優が助六を演じるときに限って使用されます。その他の家の場合は、尾上菊五郎家(おのえきくごろうけ)では清元(きよもと)、片岡仁左衛門家(かたおかにざえもんけ)は「長唄(ながうた)」を使用し、作品タイトルも変えて上演します。

前半には、助六との仲を意休に責められた揚巻が、悪態(あくたい)[悪口]で言い返す場面があります。前半には、助六との仲を意休に責められた揚巻が、悪態(あくたい)[悪口]で言い返す場面があります。揚巻は、助六と意休を雪と墨に例え、また「くらがりで見ても助六さんと意休さんを取違えてよいものかいなァ」と命がけで言い放ちます。ここは、揚巻を演じる立女方(たておやま)の貫禄を示す重要な場面です。
2時間近い舞台には、助六に喧嘩の稽古をつけてもらう白酒売り[実は五郎の兄の曽我十郎(そがのじゅうろう)]、助六の喧嘩を戒めて紙衣(かみこ)を渡す母の満江(まんこう)、助六に喧嘩を吹っかけて返り討ちに合う意休の子分かんぺら門兵衛(かんぺらもんべえ)・朝顔仙平(あさがおせんぺい)など多彩な役が登場し、観客を飽きさせません。

 観劇する前に中村福助氏の講演を聞いたり、助六や揚巻のの衣裳や小道具などを見ていたのであらすじがわかり、あっという間の2時間であった。歌舞伎観劇がくせになりそうです。歌舞伎俳優は、もって生まれた家が人生を左右するのだろうか。幼少の時から生まれ育ち歌舞伎の世界で過ごせば、歌舞伎役者になるのは当たり前と思っておれれるのだろうか。






歌舞伎 鈴ヶ森 

2013-06-21 00:04:48 | Weblog
2013年6月20日(木)曇 26.4℃~19.0℃
  
 午後6時松本幸四郎の口上で開演。「歌舞伎座新開場のこと、勘九郎や団十郎が亡くなったこと、今後ともご支援を・・・・など。切々と語る言葉に胸を打たれた。第3部はじめに「御存 鈴ヶ森
休憩うを挟んで「歌舞伎十八番」の1つで、通称「助六」とよばれている『助六由縁江戸桜』が上演される。


先ずは歌舞伎の人気狂言・「鈴ヶ森」(鶴屋南北 作)。午後6時~6時40分
 播随院長兵衛=松本幸四郎 白井権八=中村梅玉 その他大勢
 狂言と言えば、能狂言を思い浮かべますが、歌舞伎舞踊と区別する為、歌舞伎で演じられる芝居の事を歌舞伎狂言と呼ぶのです。
あらすじや画像についてはパンフレットを買わなかったので【青い鳥の幸せさがし】さんのブログ内容を借用しました。

幕が開くと背景には黒い幕、舞台の上は紙で覆われた薄暗い照明のみで役者さんの顔もはっきりとは見えない中で芝居が演じられていきます。
ところどころにNHK朝の連続ドラマの方言「じぇ じぇ じぇ」やCMの「いつですか?」「今です」などのセリフが出てきて会場がどっと笑いに包まれた。また、雲助役の若手が切られるとバク転など身軽にやっていたのにびっくりした。
 場所は品川宿付近の鈴ヶ森、
刑場に近くて薄暗く、旅人から金品を巻き上げる雲助達の溜まり場。
通りかかった飛脚から金を奪い取ろうとしたのに、金目のものはなく、身ぐるみを剥ぎます。
その時出てきた書状から、雲助達は因幡の国の家臣(実は悪人)を殺害して江戸へ逃げる
白井権八を捕まえれば賞金が貰える、また権八は丸に井の字の紋どころと知ります。
そこへ籠が通りかかったので中の客を下ろしたところ、着物の紋が丸に井の字。
雲助達は一斉に権八に襲いかかりますが、権八は雲助達を見事に斬り払ってしまいます。
この立ち廻りは小道具を巧みに使い、なかなかユーモアのある動きで、一つの見どころです。

この様子を籠の中から見ていたのが幡随院長兵衛で、立ち去ろうとする権八を呼びとめます。
「お若えの待ったせえやし」、幸四郎の声かけ、声の調子は高低入り混じりそれは見事でした。
「待てとお留なされしは拙者がことでござるよな」中村梅玉の権八の受け応えも
聞きどころです。

長兵衛は雲助太刀を一人で始末した権八の腕前を褒め、身の上を尋ねます。
権八も正直に自分の素姓を明かし、江戸へ出て奉公先を探すと話します。
長兵衛は権八が追われる身であり、困っている事を見抜いた上で、
「いつでも自分の所に尋ねてくるように」と伝え、江戸での再会を約束して
夜明けの東海道を別れて行きます。

この最後の別れのシーンで夜明けを表す為に黒幕が落とされると同時に
ライトが一瞬にして明るく舞台を照らします。
先程まで分かりにくかった役者の表情や衣装が眩しく輝いて見え、
客席からどよめきの声が上がりました。
実に見応えのある演出でした!


 

歌舞伎を観るには

2013-06-19 21:33:27 | Weblog
2013年6月19日(水)曇 24.1℃~18.4℃
  
歌舞伎をよく理解するためには、今回のように事前の講演を聞く方法やパンフレットを購入してあらすじを読むなどがある。また、インターホン案内や今回初めて導入された字幕ガイドを利用す方法がある。
 
下手側の桟敷は、扉を出ると右手に売店、左手にイヤホンガイド、字幕ガイド貸し出し、目の前の階段を降りるとトイレ、コインロッカー、 と至れり尽くせりの場所でした~。妻はイヤホーンガイド(1,700円でイヤホーン返却で1,000円バック)、私は字幕ガイド(1,000円 返却金なし)。開演5分前に1階897席(桟敷席40、一等席857席)、2階441席、3階A席470席 計1808席が満席。3階B席一幕席156席は予約なし当日売り出し。 桟敷席は22,000円だが売りで買えなかったので1等席20,000円を購入して観劇。
歌舞伎を初めて観劇する人にはイヤホンガイドがお勧めです。昭和50年、第四期歌舞伎座にて放送開始してから38年が経っている。創業当初は数名の利用者しかいなかったが今では「観劇には無くてはならない物」になっている。舞台の進行に合わせて、あたすじ・配役・衣裳・道具・独特な約束事などを、タイミングよく、楽しく説明してくれる。
 歌舞伎座新開場にともなて今回歌舞伎の裾野を広げるということを目指して字幕解説「字幕ガイド」が導入された。椅子の背もたれに字幕ガイドのデスプレイを取り付けて読むことができる。実際取り付けて感激したが、舞台をみたり字幕を読んだりと落ち着かない。私にはイヤホンガイドが観劇にはよいように思えた。






歌舞伎を観る前に

2013-06-18 23:15:46 | Weblog
2013年6月18日(火)雨23.4℃~20.8℃

 12年前歌舞伎座の4階で急な階段を上り一幕を見たことがあった。その後、何度か歌舞伎座の前を通るが観劇したことはない。8年前5月に桧枝岐村に宿泊して防寒具をまといながら歌舞伎を観たことがある。歌舞伎専用の劇場で本格的な歌舞伎を観るのは初めてなのでわくわくしていいました。

 昨日も書いたが新しい歌舞伎座について歌舞伎座のホームページにも設計した建築家の隅研吾氏の思いが下記のように書いてありました。
「第四期歌舞伎座の瓦屋根、唐破風、欄干等の特徴的な意匠を踏襲、従来通りの存在感ある和風意匠の趣とすることにより、歴史と景観の継承を図りました。
同時にバリアフリー対応や耐震性の向上、緑化をはじめとする環境対策など様々な機能を兼ね備え、背景には、日本建築の捻子連子格子をモチーフとした品位あるデザインのオフィスタワーが建ち、銀座の街並みと調和する端正な建物となりました。
伝統と創造が融合した、新しい時代に相応しい劇場です。」


建物の外観に感嘆しました。内部は開演すると写真撮影ができません。始まる前に少しだけ写真を撮りました。
全体的な画像は、歌舞伎座のホームページの画像を借用しました。
客席や舞台は、横長のスケール感と舞台への近さ、音響にこだわっていた。客席にあった柱をなくし、上階席からも臨場感を感じられるような角度が工夫されていて花道をみることができるようになった。一方、歌舞伎俳優の要望を聞き、楽屋からの通路など疲れにくいよう苦慮されていた。
下記の画像は開演前に急いで撮ったものです。落ち着いて撮れば場内の様子をよく伝えられるのですが・・・・・・。

実際に観劇すれば歌舞伎の素晴らしさを実感できます。言葉でよく表現できませんが次は観劇したことをアップしたいと思います。



歌舞伎新開場

2013-06-17 19:43:05 | Weblog
2013年6月17日(月)晴れ 31.8℃~20.4℃

老朽化した歌舞伎の殿堂、東京・東銀座の歌舞伎座がこの春、新しくなった。象徴的な様式美はほぼそのままに、だが現代的な魅力をまとって新開場した。福島民報6.12「ルポ 日本の新景」に歌舞伎座新開場についての記事が載っていたので借用します。
1889年に開場。以来建て替えを重ね、現在は5代目。吉田五十八設計による先代の特徴的なデザインを基本的に踏襲し、地下鉄東銀座駅に直結した。

 設計した建築家の隅研吾さんは、これまで国内外で手掛けた建築とは正反対に「基本的に新しいデザインをしないで、歴史を継承すること」に心を砕いたと述べている。
まずは唐破風(からはふ)の屋根。モダニズム建築ではタブーだが、歌舞伎関係者はもちろん、隅さんもその重要性を感じていた。「屋根が作る影に守られている感じ。日本の気候に合っている。

 もう一つこだわったのが色だ。これも近代建築ではタブーとされる赤と金をふんだんに使いつつ「歌舞伎が持つ派手さと品のバランスを考えた。また、地下鉄から歌舞伎座に直結する広場には大きな提灯がぶら下がる。観劇の前後に訪れる人や通りかっかった人でごった返し。五階には屋上庭園やカフェ、ミユージアムもある。「前よりももっと街に対して開き、一体化させた。」
 
「あくまで脇役に」と空に溶け込む色とデザインで歌舞伎座背後に建てた高層ビルも含め、歌舞伎座は突然出現する異質のものだ。その混乱がかえって驚きがあって魅力だと感じた。これからは、日本らしさで勝負するときである。」
 少し長く「ルポ日本の新景」の記事を載せましたが、実際歌舞伎座の正面に立ってみると以前とあまり変わりがないような気がした。道路隔てて高層ビルも含めて1枚の写真におさめようとしたができなかったのでホームページの写真を借用しました。(続く)