会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

韓国旅行8

2010-11-27 22:40:34 | 旅行
12月3日(土) 

  ブログ一週間のご無沙汰でした。12月になってしまいました。
  ブログアップ中断の言い訳をちょっと書いてから、韓国旅行記を再開します。

 25日に東山温泉「ホテル東鳳」で市区長会研修会と懇親会で1泊。26日午前7時に朝食をとり、自宅へ戻り、着替えてパソコン教室へ出かける。とブログをアップしたのだが来客がありアップを中断した。帰宅後はお天気が心配で雪囲いの準備をはじめてしまった。
 疲れて入浴し晩酌就寝となってブログ再開なし。

 27日(土)滅多にない晴天。竹材店に行き青竹3.8mを5本購入。昨年まで使用した雪囲い材料を出し、半日一人で作業。脚立や梯子を使うが毎年苦労する。
 白菜15個収穫。天日干し。
 
 28日(日)~29日(月)東京へ研修視察(会津鉄道関係者と)1泊
 30日(火)外の洗い場不凍栓が破損。業者に依頼し工事(路面を掘り起こし器具取替え)。午後 包括ケア会議(高齢者支援)に出席。 会津の峠会議要項・賞状作成。
 
12月1日(水)~2日(木)会津の峠テクテク会の反省会(忘年会)1泊
 2日(金)豊齢研ITサロン会津のパソコン教室。

とハードな日々を送った。 
 
以下は14日(日)の続きだが重複する所もありますが、了承してください。韓国旅行2日目夕方窯元を見学した。辺りは暗く登り窯は見えない。
磁器の作品を見てまわった。 ホテルに帰らず料理店へ。店では海鮮鍋が出た。別に「マッコリの酒」と「ちじみ」を注文。このお店のちじみはニラと小えびなどが入っていてとってもおいしかった。「コーロンホテル」に着いたのが午後6時20分頃。
温泉に入りリラックスした後、ガイドの勧めによる全身マッサージを郊外の施設へ乗用車で行き受けた。本当に疲れた日であったのでよかった。

15日(月)晴れていたが風が強く朝方は寒い。慶州から釜山へ。
 5時20分モーニングコール。午前6時20分ホテル発。釜山市内で朝鮮式朝定食を取る。

~ソウルから 縦断しての 釜山入り~

韓国へ来て3日目。北から南へやって来た
釜山は、現在韓国最大の港湾都市となっているが、15世紀の初めには、富山浦と呼ばれる一漁港に過ぎず、当時の中心は内陸の東菜付近であった。地名が釜山と改めらっれたのは16世紀以降のことで山の形が鉄釜に由来することから名づけられた。
 下関との間にはフェリーも運航し日本との関係は昔から深い。

釜山市内のどこからでも龍頭山公園の釜山タワーが見えて目印になる。国際市場では新鮮な海産物が 並び、チャガルチ市場は商店街となって賑わいを見せていた。市場周辺の路地には日本式の商家が軒を連ね、タイムスリップしたような懐かしさを感じさせてくれる。
また、繁華街の路面は世界各国の著名人の手形などがあった。ビートたけし氏の手形もありびっくりした。

観光旅行7

2010-11-26 20:16:17 | 旅行
11月25日(木) 

 熱い熱い長い長い夏だったので、秋が短く感じる。路面には落ち葉が舞い降りている。冬がもうすぐやって来る。やっと花壇の整理にとりかかった。枯れ草を取り除き、起耕してチューリップ50球とアネモネ20球を道端向きの花壇に植えつけた。屋敷内の花壇はこれからだ。
 午後は 会津若松市区長会研修会を東山温泉御宿東鳳で行った。「介護保険について」と市長の講話(市政報告など)、その後懇親会。約100名。情報交換の場として大事である。
 城西地区には市区長会長がいるので、2次会も我々の部屋に多勢集まる。3次会に出かける方もおられた。元気溌剌だ。
 重ちゃんは、翌日豊齢研ITサロン会津のパソコンの授業があるので自制していた。

 以下は14日(日)晴れ 韓国旅行2日目窯元見学で最終です。

~欲張りの 韓国ツアー 夜遅く~


仏国寺を見学後 窯元見学 陶磁器の制作過程を見学した。午後4時過ぎていたので外の登り窯をみることはできなかったので、店内の作品を見てまわった。職人の手作業で一つ一つ作品が仕上がっていた。それなりの値段がつくのは当たり前と納得する。



夕食は海鮮鍋。4人で一鍋なので食べる時も同席の方に気を使った。
韓国のお酒「マッコリ」を飲んでみた。少し甘いが19度のアルコール分がある。
 お酒の他にも、名物料理「ちち”み」があった。

韓国旅行6

2010-11-24 22:58:58 | 旅行
11月24日(水) 

 熱い熱い長い長い夏だったので、秋が短く感じる。路面には落ち葉が舞い降りている。冬がもうすぐやって来る。やっと花壇の整理にとりかかった。枯れ草を取り除き、起耕してチューリップ50球とアネモネ20球を道端の花壇に植えつけた。屋敷内の花壇はこれからだ。

 以下は14日(日)晴れ 韓国旅行2日目慶州の仏国寺です。
ち寄る。
アメジストの原石をみたり説明を聞いたりした。ほとんど興味がないので上の空。
数人は宝飾品を買い求めたようである。約30分は長かった。



~仏国寺 我を迎えた 紅葉かな~


紅葉の盛り。夕暮れ時ではあったが紅葉狩りの人々で賑わっていた。









仏国寺の創建は三国が統一され、文化が発達した新羅時代。豊臣秀吉の出兵で焼失した。
1970年から復元と整備が行われ、今では世界遺産に登録されている。
 必見は仏国に上がる階段がある安養門と大雄殿前、三層石塔の釈迦塔と多宝塔。釈迦塔からは世界最古の印刷経が発見された。




韓国旅行5

2010-11-23 22:23:30 | 旅行
11月23日(火)勤労感謝の日 

 1週間振りにプールへ行く。筋肉が硬くなって身体の節々が痛かったのがすっきり。毎日ストレッチなどをして身体を動かすことが大事であると痛感した。

以下は11月14日(日)晴れ 韓国旅行2日目後半です。
世界遺産「海印寺」観光を終え、近くの食堂へ寄り昼食に「山菜ビビンバ」を食べた。お腹も空いていたのか美味しく食べた。
午後1時10分~3時40分の約2時間半バスで慶州へ。







~慶州は 文化遺産で 満ち溢れ~

慶州は長い歴史を誇る新羅の古都。紀元前57年頃朴赫居世が、ソラボルという新羅の前身に当たる国を建てた時に都となり、以降992年間、国王の数で新羅の政治、文化の中心となった。新羅は古代日本とも深いつながりがあった国だ」。古都慶州は、町全体が文化財396点を保有する巨大な遺跡地。



新羅の栄華を偲ぶ古墳公園(大陵苑)へ。新羅時代の古墳23基が散在する公園(12万3千平方メートル)である。ほとんど盗掘に遭っているのだが、「天馬塚」は棺の上を石積み、その上を漆喰で固め、芝を植えたので堅固であり盗掘されなかた。純金製の金冠など多数発掘され、新羅の歴史を解明する手がかりとなった。
誰の古墳だかわからないので塚となっている。この塚の内部は公開されていたので見学した。

韓国旅行4

2010-11-22 23:12:23 | 旅行
11月22日(月) 小春日和の後は雨、雨、そして寒い。今年は毎年室内暖房に使用していた富士通ゼネラル社の「温水ルームヒーター ホットマン」が作動しない。購入した量販店は撤去して市内にない。製造元の富士通ゼネラルへ連絡。やっとサービスセンターを見つ点検修理をお願いした。郡山から来てくれて修理完了。不凍液の交換などメンテナンスを一度もしていなかった。1台は基盤が破損。もう1台はほとんど使っていなかったので使用可能だった。購入月日をみて見たら1999年。電化製品でよくもったものだと我ながら感心した。

以下は11月14日(日)晴れ 韓国旅行2日目の続きです。
世界遺産「八万大蔵経と海印寺」へ。紅葉が美しかった。

~3時間 ドライブすると 海印寺~
公州の武寧王陵を10:30に発って海印寺に着いたのが13:20頃。約3時間のバスの旅。途中ドライブインへ寄る。
 大邱の西南、慶尚北道と慶尚南道のちょうど境目にあたりに海印寺がある。この山間の寺を有名にしているのは「八万大蔵経」とそれを納める大蔵経板閣。1995年には「八万大蔵経を納める伽倻山印寺」として世界遺産に登録された。



美しい色彩の紅霞門をくぐり、幾つかの建物や塔を見ながら一番奥の高台にある「八万大蔵経」へ。
 大蔵経とは仏教経典を集大成したもので、仏教国高麗がその全勢力を傾けて制作した。1231年にモンゴルの侵攻を受けた高麗では、翌年に従来所蔵の大蔵経が焼失。モンゴル退散を祈願しつつ臨時首都の江華島で新版の制作に着手する。


 経は1251年に完成するが、その願いも空しく高麗は元に服属することになったしまった。この版木で刷られた大蔵経は日本にも古くから招来され、東京の増上寺に納められたいるほか、北朝鮮の看よう妙香山普賢寺にあるのも有名。
 大蔵経の版木は塩水に1年浸し、乾燥させて彫る。
11年かっかった。膨大な経を多くの職人が彫ったのだが、字体は一人で彫ったごとく全く同じ。また、通風、湿気、窓の大きさなど保存のための工夫がされていた。 海印寺の奥に「大蔵経板閣」はあり、急な階段を上って見学。写真撮影は禁止。
 版木の一部は公開されていた。すばらしい字体である。

韓国旅行3

2010-11-21 22:36:25 | 旅行
11月21日(日) 
~小春日和 猫の目天気 山茶花雨~
 この時季のお天気は変わり易く猫の目天気という。雨は山茶花雨ともいう。これはテレビのお天気キャスターが言っていた表現です。連続して小春日和が続くのは珍しい。明日からはまた雨、曇りと天気は猫の目となる。そして霜が降り、雪が降る。
 君子ラン、野ボタン、サボテンなどを小屋にしまって少しずつ冬支度をした。

 ~観光は 早起き遅寝 体力で~第1夜は、土曜日で交通渋滞もあり夕食を済ませて「ホテル スパピア」へ着いたのが午後10時半。儒城温泉は午後8時30分まで入場。間に合わない。温泉がでる部屋のバスで我慢した。荷物の整理などをして寝たのが24時を過ぎていた。翌朝は午前5時20分モーニングコール、午前6時20分出発。
街中の大衆食堂みたいなところ。店内は先客20名位。我々38名はプレハブ工事現場みたいなところで朝食。午前6時40分。まだ、夜が明けない。
ソウルから公州へバスで移動。約1時間30分。

公州は日本と最も関係の深かった百済があった所。日本の仏教・文化・技術はこの国からといっても過言ではない。多くの渡来人が日本に来て多大な貢献をした。
 また、百済の要請で日本から援軍がやって来てこの百済の「白村江」で戦ったのかと思うと感慨深いものがある。7世紀=今から1300年も前の出来事ですよ。
 時間的余裕がなかったので古戦場を見ることはできなかった。少し心残り。

 百済の歴史は、資料も乏しくよくわからなかった。だが、1971年に発掘された武寧王陵は盗掘に遭わずに保存されていたため、金冠をはじめとする豪華絢爛装飾品が出土した。
被葬者は出土した墓誌により百済第25代の武寧王とその王妃と判明した。この一体には7つの墳墓があり、全体として宗山里古墳群と呼ばれている。
内部には彫刻が施されていた。副葬品の数々は公州博物館に展示してある。
今回は、「宗山里古墳群模型館で当時の様子を知ることができた。

仲間

2010-11-20 15:29:39 | 料理と酒
11月20日(土)
~久しぶり 小春日和が 連続で~

 お天気がよいと気分も爽やか。一日が充実して活動できる。
 午前中は菜の花フェステバル事業の「菜の花間引き体験会&新そば会」に参加。過日種蒔した笹山の畑で作業。(会津レクレーション公園の近く)菜の花サポーター会員は笹山産の菜種油300ml 1本をいただいた。昼食は湊基幹集落センターで新そばと菜種油で揚げたサツマイモの天婦羅、手作りの漬物。本当においしい。
 
帰宅後はポット植えしておいたえんどう豆を畑に植える。霜が心配なのでポットのまま土の中に植え、来春植え変える。
 夜は、喜多方のほまれ酒造の受賞お祝いへ。酒づくりした仲間との久しぶりに出合いが実に楽しい。多くの皆さん酒づくりは楽しいですよ。
参加方法は、喜多方市中央公民館の「酒づくり講座」からできます。
日本酒 最高です。韓国旅行続きは明日からまたアップします。

韓国旅行2

2010-11-19 20:45:51 | 旅行
11月19日(金) 
~ライトアップ 箇所は見えても 視界不可~  
ソウル空港よりバスで約1時間10分位で世界遺産「水原華城」に着いた。辺りは暗闇。ライトアップされた明かりで歩くことはできた。
 水原は美しい城郭残す町として有名だが、暗闇ではよくわからない。城郭の上から夜景を眺めた。李朝22代国王・正祖は父の墓を楊州から水原郊外の崋山へ移したが、その父の眠る場所へ都を移したいと遷都計画が持ち上がった。まずは城郭が必要だったため、莫大な費用と労力をつぎ込み1796年に完成したのが華城だ。しかし、遷都の直前、正祖が病死してしまい城郭だけ残して遷都計画は中止に。水原は幻の首都となってしまった。
 城郭は周囲約5km、1周すると2~3時間かかり、アップダウンがかなりある。時間がないのと夜ということで北門、長安門から入り、正門、八達門から出た。

 城壁なので要所に見張り台がある。壁は石とレンガで組み合わせてあった。







韓国旅行1

2010-11-18 20:32:44 | 旅行
11月18日(木) 
~韓国は 近くて遠い 国だった~
  韓国(大韓民国)は、韓流ブームで女性が押し寄せる国になる前から興味があった。
 特に、半島に新羅・百済・任那があり日本との交流も盛んであった頃にすごく関心をもっていた。百済から仏教が伝来(538年頃)、任那には日本政府があり、北の高句麗侵攻では百済の要請で那津(博多)から援軍を送った。残念ながら白村江の戦いで大敗(663年)し、朝鮮半島から撤退した。

 後年豊臣秀吉が朝鮮出兵を試み敗退する。
その後日韓併合で植民地化、太平洋戦争で敗戦、現在に至っている。

 今回“KTXで行くよくばり韓国縦断紀行4日間”の旅行を友人から誘われた。かなりハードな内容である。3大都市(ソウル・釜山・慶州)と6つの世界遺産(水原華城・海印寺・古墳公園・仏国寺・宗廟・朝鮮王陵ー宣陵)を巡る。

 13日会津若松午前7時36分出発し新幹線で上野で下車。京成急行で成田空港へ。午前11時45分第一ターミナル北ウイング集合には余裕を持って間に合った。
 午後1時55分フライト。午後4時35分着。現地ガイドの出迎えを受けてバスに乗る。
 時差はないので日本と同じ。夕闇が迫っていた。まず世界遺産水原華城へ。ライトアップした城(ほぼ復元)を見てまわり、夕食(サムギョブサル=豚の三枚焼肉)を済ませて名湯儒城温泉へ。
 午後9時を過ぎていたので、ホテルから離れている温泉入浴はせず部屋のバスで我慢した。

 この旅行は 「よくばり韓国縦断紀行4日間」 なので朝早くて夜遅い。地図にも書いたがソウル着→水原華城温泉→公州→海印寺→慶州→釜山→韓国高速鉄道「KTX」でソウル発とすごい行程であった。詳しいことは明日から少しずつアップします。ご覧ください。 

ゴルフ納会

2010-11-11 00:02:57 | ゴルフ
11月11日(木) 
~年重ね ゴルフに興じ 友集う~
今日は11月11日と1111が続く日。1という数字は縁起がよい。
某会社社長を囲むゴルフ会の納会。数字的には縁起の良い日。朝方は前日までの雨が上がって太陽が眩しい。晩秋漂うゴルフ場で1組3人で3組 計9人でコンペをした。
優勝を狙うのかパターの練習に余念のない人もいた。練習もしないでぶっつけ本番の人もいた。
 このゴルフ場は河東町にある「ナリ会津カントリークラブ(旧河東ゴルフ場)」です。
 コースはダイヤモンド、エメラルド、サファイアと3コースがあり、宿泊施設も備えている。過日、85歳になられた方の祝賀ゴルフコンペを行った。90台のスコアでまわられた。110台前後のスコア(百獣の王などと自虐的な言い方)の重ちゃんとしては85歳の先輩のように元気でゴルフを楽しめたいと思った。

祝賀懇親会は写真のような白亜の宿泊施設の部屋でおこなった。多くの方が参加し、先輩を祝福した。


 今日のゴルフコンペも85歳の先輩にあやかりたくて参加した者もおおい。
 晩秋の朝のゴルフ場は、シーンと静まりかえっていた。磐梯山には少し雲がかかっていたが、芝の緑、木々の紅葉、そして山の雪。
午前8時スタートし、OUT9ホール、IN9ホール 計18ホールを途中休憩しないでプレーすると12時前には終わる。食事をしても午後1時頃まで帰宅し、仕事ができる。
 

ゴルフ場のモミジが光を浴びてとってもきれいだった。 
今日で納会。このモミジも見おさめ。記念写真をここで撮った。
来春までゴルフ道具はしまっておこう。
 冬の間に体力づくりでもしようかな。
明日から16日まで旅行に行ってきますのでブログを休みます。
帰国したら旅行記をアップします。