会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

入院

2012-03-31 21:20:24 | 健康
2012年3月31日(土)雨 くもり 
 癌告知を受け入院までに主治医や家族と話し合って心構えがしっかりできたはずだが、妻が入院のための準備をはじめると落ち着かなくなるものである。
 
 手術をすれば当分の間お酒は飲めないし、好きな物を好きなだけ食べることもできない。入院3日前会津ワシントンホテル10Fのレストラン「ガストウ」で、夜景を観ながらワインを飲みフルコースを味わった。
 入院前夜は息子達家族と一緒に“ふぐ鍋”をつつき、いろいろと話し合った。特に、手術をして癌の広がりと深さがあるとなった時、医師が全摘出をしますかと聞いても家族として絶対同意しないことと強く念を押した。
 
入院は明日5日の午後2時。手術は6日の午前9時からと決まっているので、入院前日の“ふぐ鍋”を囲んだ食事ではしっかりと酒を飲み、料理も十分食べた。
 スポーツの大会に出る前の壮行会みたいな晩餐だった。 

 5日入院の時は息子が年休を取って付き添ってくれた。
 6日手術の日は東京から娘も来て見守ってくれた。

5日 午後3時 診察を受けて入院手続きをする。
 部屋は6人、4人、2人、個室とあったので、差額ベット代を払って個室に入る。
テレビ、冷蔵庫、ベット、畳2畳、ロッカー2個の部屋。
 身長、体重、血圧、心電図、採血などをした。
 洗面道具、着替えなど持参した物を始末すると夕食まですることがない。
 日頃から私はテレビもあまり視聴しないので、時間をもてあました。
 午後9時 消灯。ベットに横になるが眠れない。ドアはカーテンなので廊下の看護師、患者の声や動きまわる物音がストレートに聞こえてくる。
 斜め向いがナースステーションなので夜中の患者の処置などもあるので静かになることはなかった。
  個室でも 廊下の喧騒 眠れない



 

入院まで

2012-03-30 23:25:06 | 健康
2012年3月30日(金)晴れ 
「癌告知」を受けて入院するまでは精神的な葛藤はなかったといえば嘘になります。
色々と思い悩みましたが、ただ「生きている」よりは胃全摘出しないで積極的に「生きる」を選んでからは迷いは少なくなりました。
良寛和尚さんが  「夏は暑きがよろしく、冬は寒さがよろしく候」  「病になるときは病になるがよろしく候」  そして、「死ぬときは死ぬがよろしく候」 と言葉を残しています。  また、W・S・モームは  「老後の最大の報酬は精神の自由である。元気ざかりの人びとが重要だと考えることに、ある程度無頓着になれることである」 といってます。    余計なことはできるだけ考えず、もっと素直に自然を受け入れて生きる。そして自宅で自然死を迎えることができたら最高に「いい人生」だったといえるでしょう。  私もそれを望んでいますが、まだまだ凡人で世俗のどろどろした世界からは抜け出せません。好きな物を食べ、好きな物を飲み、好きな所をへ出かけ、好奇心を失わず、多くの人と触れ合って生き、自分の始末をしたい。  

入院を前にして今まで考えもしなかった自分のエンディングを考えてみました。  とりあえずしたことは  1.自分が関係している団体の役職と組織、会計や庶務の仕事など誰がみてもわかるよ  うにしておくことであった。連絡先・連絡者も。  2.相続するものをきちんとしておくことであった。    ① 土地・家屋の権利書など    ② 生命保険など    ③ 預貯金・有価証券など      *借金はなし  癌告知が無ければ、まだまだ遠い先のこととして手をつけていなかったことである。 今回はこれだけで入院してしまったが、今後は遺言書(何度でも書き換え可能)、遺影写真、連絡先などをエンディングノートに書いていくつもりです。  

高齢者の皆さんはすでに自分のエンディングを考えておられる方も多いでしょうが、 超高齢者社会、老老介護の時代を迎えます。元気なうちに自分らしい「始末のつけ方」を考えておくのもよいと思います。  参考までに市販されているエンディングノートや葬儀社のエンディングノートをご覧になってみてください。
    早すぎぬ 自分の始末 考える



 

生きる・生きている

2012-03-29 21:45:28 | 健康
2012年3月29日(木)快晴 
 何日ぶりだろうか朝からからりと晴れたよい日であった。動き回りたくてうずずした。
しかし、退院してまだ10日あまりなので重いものをもったり、力仕事をしたりは差し控えた。雪が融けた畑の草が繁茂しないうちに鍬で土をくるめておきたいのだが我慢した。
 
 癌告知を受けて手術までの間は情報収集と癌に向き合う心構えをしっかり決めなかればならない。私の周りには、胃全摘出、一部摘出、内視鏡手術、腹腔鏡手術、抗癌剤治療などで胃癌と向きあった人達がたくさんおられる。不幸にして亡くなられた方、意欲体力が無くなった方、全治しなくても活動している方それぞれである。

 私の情報収集はこれらの方々との話と担当医との話し合い、義弟(外科医)への相談くらい。書物はNHKテレビテキスト きょうの健康の記事「胃癌」だけだった。
 情報不足で疑心暗鬼と悲観的な想像を生み出すことがなかった。
 それは自分の生き方に基因しているのかもしれない。  退職した時は還暦。 余生を悠々自適に過そうとは思わなかった。無報酬の第二の現役時代と考え10年間の計画を作ったことである。社会や地域への貢献、旅行など趣味を持つなど生き生きと活動すること、また、家の改築、車、テレビなどの変え買えの計画など時々修正しながら充実した期間を設定した。
 
 古希を迎えると5年間の計画を作成した。安全安心の家庭菜園。京都一人旅。また 昨年の年頭所感「ダンシャリ(断行、捨行、離行)」の考えで、必要なものを残しながら身辺整理をすることであり、今年の年頭所感は「ボケないこと」である。

 癌告知を受けた時、診療所の医師も竹田病院の主治医も胃全摘出をすればほぼ完治すると勧めた。完治するかもしれないが、全摘出は患者に大きな負担がかかる。  腹部を切開し、胃全部を切り取り、食道と十二指腸を繋ぐ。臓器が一つ無くなるわけである。術後の合併症の心配があり、食事制限など確実に基礎体力は落ち活動もにぶくなる。このようにして寿命が5年、10年延びてもこれは
 
生きているだけである。  

 
 私は癌告知を受けた時から、医師にも家族にも胃全摘出はしない。好物を好きなだけだけ食べ、好きな酒を飲み、旅行をしたりと生き生きと活動して生きてゆきたい。その期間が3年でも5年でもよい。

これが自分らしく生きる証である。   



 少し哲学的かもしれないが患者の考え方を治療方針に組み入れてくれる医師も増えている。主治医も家族も最後は私の考え方、生き方を理解してくれた。

  我が意思は 生きているより 生きるなり



 

癌告知を受けて

2012-03-28 21:52:56 | 健康
2012年3月28日(水)雨・くもり 
 11月21日特定健康検診で受けた胃カメラの結果は「胃潰瘍? 癌?」
 12月2日 診療所で組織検査の結果を聞いた。「胃癌 濃厚」
 12月27日 竹田総合病院で診療所の紹介状をもとに医師の診断を聞く。「胃癌」と告知される。陽性か悪性かもう少し詳しく検査が必要だが、今後のことを考えると早く手術した方がよいといわれた。

 癌という診断は誰にとってもよい知らせではありません。それほどショックなできごとですし、「何かの間違いではないか」、「何で自分が」などと考えてしまう。

癌はどのくらい進んでいるのか、果たして治るのか、治療費はどれくらいかかるのか、家族に負担や心配をかけたくない・・・・・、考えてしまった。

 サードオピニオンとして大学病院での検査も考えたが、予約をとり検査入院で1ヶ月はかかる。主治医との話し合いの結果とりあえず胃カメラで精密検査をして進行癌かどうか調べることにした。
 1月12日 精密検査。1月24日結果について話し合いすることにした。


 ここまでは一人で行動。1月14日心配していた妻に「癌告知」と今までの経過を話した。一人であれこれ考えていたのが妻と一緒に考えることで幾分落ち着いた。
 1月24日 妻と一緒に精密検査結果を聞く。間違いなく「胃癌」と告知された。  病状、手術、治療方針、今後の見通しなどを話し合った。  2月中は諸会合、役職辞退、事務処理などで時間的余裕がない。  
3月5日入院 6日手術と決めた。  1月28日 息子夫婦と娘夫婦に癌のことを話した。  11月に癌?といわれてから一人で情報収集などして悩んでいた期間、妻とともに相談した期間など約4ヶ月は病気に対する心構えを決める期間でもあった。
    癌告知 エンディングノート 1ページ



 

思わぬ雪

2012-03-27 22:11:52 | Weblog
2012年3月27日(火)雪・晴れ 
 朝方外を見ると一面銀世界。かなり積もった。

しかし、太陽が出て明るく照り輝くと跡形もなく春の淡雪は消えた。そんなに気温の上昇はないのだが、寒い時と暖かい時の温度差で今日はぽかぽかと暖かく感じた。

 時として思わぬことが起こる。この雪も春を待ちわびて雪囲いを外したり、鉢物を外に出した時に降った。玄関前のツゲの雪つりはまだ外さなかったが、裏庭の椿、ドウダン、レンギョ、南天、ユキヤナギ、ハナズオウ、ツツジ、キンモクセイなどの雪囲いは取り除いてしまった。幸い濡れ雪の重さでも枝が折れなくてほったした。  

室内から外に出したキンセンカは不順なお天気にもかかわらず茎を伸ばし花芽も膨らんで間もなく花開くところであった。軒下で管理していたのだが、一昨日雨にあてようと軒先にだした。それがわざわいしてこの雪で5本とも真ん中の茎が折れてしまった。  暖かくなれば早春の花である。脇芽が伸びて花を咲かせてくれるだろう。  

時として思わぬことが起こり困惑することもある。  それが「癌がみつかった」ことである。  明日は「癌告知を受けて」について書いてみたいと思います。
    早春の 淡雪融けて 晴れ晴れと



 

癌が見つかる

2012-03-26 21:39:40 | 健康
2012年3月26日(月)雪・くもり・小雪 
 昔は「癌」は余命○○年といわれ、本人への告知はほとんどなく家族が知って気配りをしていた。抗癌剤の副作用で苦しみ、傷みに耐えかねてモルヒネに頼る。そしてやせ衰え末期を迎えた。
 現在はどうでしょうか。医者は診断結果を患者と家族に「癌」ですと告知するのが普通になってきた。

 日本人にとって、癌は、身近な病気で、男性の2人に1人、女性の3人に1人が一生のどこかでかかるといわれている。診断技術や治療法の進歩により、完治する割合は、早期に見つかればほぼ9割以上、癌全体で見ても6割程度まで向上した。しかし、癌はまだまだ怖い存在です。

 私の場合は「体調がおかしいな」といって受診して見つかったのでなく、特定健康検診の際にみつかった。毎年巡回車の検診でなく診療所で心電図、エコー、胃カメラなども検診してもらっている。

 今年は胃カメラの検査が長びいていた。モニターをみていると噴門(胃の入り口)を何度もカメラが上下左右に動いている。そして組織を採取した。
 検査終了後の医師の説明が奥歯に物が挟まったような言い方だった。血液検査や組織検査の結果をみてみないとなんとも言えないが、潰瘍があるみたい。

 11月21日に検査したので2週間後の12月2日に検査結果を聞きに来るようにといわれて帰宅した。このことは妻には話さないでいた。
 検査結果は「胃癌です」だった。毎晩晩酌は欠かさないし、食事もおいしい。体重もへらない、胸焼け、嘔吐もない 、自覚症状は全くなかった。
 医師は紹介状を書くからセカンドオピニオンは何処がよいかと聞く。すぐには答えられない。大きな病院で詳しく検査し、早く手術した方がよいと言う。
「胃の全摘出になるかも」と追い討ちをかけるような言葉。
戸惑いながら医者の勧める「竹田総合病院」の予約をとり紹介状をもらって帰宅した。
このことも妻にはいわないでいた。その晩から不安を消すかのように晩酌の量が増えた。


  診療所 見つけた癌は 本当か



 

病後食

2012-03-25 19:46:03 | 健康
2012年3月25日(日)晴れ・くもり・雪 
 つかの間の晴れ間に心が和み、裏庭へ出てみる。クロッカスがあちこちに咲いていた。
水仙もチューリップもヒヤシンスも蕾が膨らんで気温が上昇すれば一気に花を咲かせることだろ。しかし、午後からは曇天となりみぞれ混じりの雪が降り出した。

 春はそこまで来ているのに足踏みしている。百花繚乱の春が待ち遠しい。 その頃になれば、体力もつき手術の経過もよくなり戸外を歩き回り、食事も普通食となるだろう。これも春待つ心と同じで待ち遠しい。
 「腸に春滴るや粥の味」この句は、夏目漱石が43歳の時、胃潰瘍を患い療養先の伊豆修善寺でひどい吐血に見舞われる。生死をさまよった後に詠んだ句です。絶食の末に許された粥は、歓喜のうちにのどを抜け、食道を震わせて下り、腸に春を届けた。五体に染みたことだろう。病床の漱石は「夜は朝食を思い、朝は昼食を思い、昼は夕食を思う」と当時の日記に書いている。

 病気も漱石ほどひどくなかったが、2週間の入院生活で、絶食・絶水の後の水とおもゆはなんともいえない食事であった。3ぶ、5ぶ、7ぶかゆそして全粥となった時はうれしかった。帰宅してからの食事は、全粥でおかずは細かく刻んだり、煮たりと妻が作ってくれる病後食である。もう何を食べてもいいのだが、手術後の胃壁の潰瘍の状態がわからないのでもうすこし我慢している。

  漱石と 同じ病か 病後食



 

議会とは

2012-03-25 16:00:04 | 時事
2012年3月24日(土)晴れ・くもり 
 今日もまたついテレビのスイッチをONにしてしまう。そして、普通は斜め読みしている新聞をいつもより丹念に読む。
 
 地方にはこんな素敵なことを決議した議会もある。(福島民報3月23日 こけし)
『二本松市議会は22日までに、東日本大震災の被災地のがれきの積極的な受け入れを決議した静岡県島田市に感謝の手紙を送った。
 ▽1月に視察でお世話になったお礼とともに、1日も早い復旧・復興を願い、岩手県二町を支援する島田市民の気持ちを「同じ東北の被災地として大変うれしい」とつづった。」』地方紙のコラムだがこのような記事は心を打つ。
    
 それに比べて国会はどうでしょうか。国会議員はどろどろとしいて口先では復興優先を唱えながら、一向に行動を起こさない。消費税問題では民主党内の事前審査会の議論が休日を挟んで何日も続いている。国の借金がGDPの倍もある国は世界中どこにもない。欧州金融危機の一つであるギリシャよりひどい。国債を国民の9割が(現在は8割強?)保有しているから国家破綻はないといって反対している政治家、消費税増税に賛成すると政権与党を助けると反対している野党。与党離脱をほのめかす亀井静香氏・・・など。

 数日前は「子ども手当」「子どもおうえん手当?」「児童○○」という語句で数日予算員会を空転させ、結局自公政権時代の「児童手当」になった。

 あきれて物がいえない。この頃は政策よりも政局にのみで動いている既成政党に国民が背を向けている世論調査が出ると、あれほど解散を叫んでいた自民党や公明党は鳴りを静めているように思える。

 消費税増税については国民の半数以上は止むを得ないと思っている。
 もっと国民に解かるように
 「消費税増税のメリットとデメリット」を説明し、将来どんな国家を目指すのか明確なビジョンを示して欲しい。政治家はそれが大きな責務と認識して政治活動をして欲しい。アメリカの倍もいる国会議員は80議席減の実現に本気で取り組んで欲しい。本気でビジョンを持ち活動している議員は国民が応援する。選挙の当落だけ気にしている議員は応援しないようにしましょう。

    志 何処に消えたの 議員諸氏




高校球児

2012-03-23 19:20:10 | 時事
2012年3月23日(金)くもり・雨 
 外出や外仕事は極力さけて静養している。時間があるのであまりテレビを視聴しない私ですが、ついテレビのスイッチをONにしてしまう。
 第84回選抜高校野球大会が21日、兵庫県西宮市の甲子園で開幕した。出場32校の選手の場内一周の入場行進は正々堂々として爽やかで、溌剌としていて素晴らしい。

 また、石巻工の阿部翔人主将の選手宣誓は落ち着いて、はきはきとした口調で見事であった。選手宣誓が抽選で石巻工が引き当てるとは偶然ではない何かを感じる。神が存在するとは信じがたいが、やはり何か運命的なものがあるのだろう。
 部員全員で考えた言葉をまとめた選手宣誓「・・・届けます。感動、勇気、そして笑顔を。見せましょう、日本の底力、絆を」は、被災地の皆さんのみならず全国民に大きな感動を与えてくれた。

 高校球児の直向きなプレーはテレビの前に釘付けになるほど熱気あふるるもので勝者にも敗者にもおしみない拍手を送りたい。

    全力で 投げ打つ走る 球児達 



 

雪下野菜

2012-03-22 18:30:39 | 家庭菜園
2012年3月22日(木)晴れ・曇り・小雨  
 彼岸が過ぎたのに晴れたり、曇ったらり、雪が降ったり、雨が降ったり、時には強風が吹き荒れて日替わりのお天気が続く。
 それでも確実に日の出の時間は早まっており、朝6時頃には東の空がオレンジ色に染まり始め、夕刻5時を過ぎても真っ暗にならなくなりました。
 季節はいつのまにか静かに移り変わってきている。

 大型店には県外の春野菜やハウス栽培の春野菜が並んでいる。青々として新鮮でおいしそうである。県外産は何日も前に収穫して冷蔵し、市場への出荷調整をして店頭に並んだものである。特に海外産などは何時収穫したものかわからない。また、ハウス栽培の野菜は重油で温度管理し、蛍光灯などで日照時間を管理したものである。経費がかかりすぎて高い。
 家庭菜園をしている私としてはできるだけ、保存していた「ダイコン、白菜、じゃがいも、長ねぎ、玉ねぎ」を食べるようにして来た。3月中旬を過ぎると保存した物も少なくなってきた。毎年実施していることだが、敷地内の畑にはダイコンと白菜を取り残して置いて雪中野菜とか雪下野菜として今頃掘り起こして食べる。

 
今冬は屋敷から離れた畑に「キャベツ、ブロッコリー、芽キベツ」を植えてみた。  晴れ間を見つけて畑にいってみた。植え付けが遅かったのと大雪のせいもあるが生育不良である。その上、越冬した青虫、ナメクジの食害、モグラのいたづらで無残な状態であった。ふきのとうを採って天婦羅で春を味わうことにする。
 

    雪下の 野菜は虫の 命はぐむ