アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

鳥の矜持

2005-12-19 17:05:07 | 
左手に持った大皿には鶏肉とカボチャ、それに熱い野菜汁がかけてある。この寒さでは外に出たとたんに汁は急速に冷めるのでスヌーピーが食べる頃にはちょうどいい温かさになっているはずだ。それと右手に鶏小屋の水鍋を溶かすための熱湯の入ったやかん。
犬に餌をやり終えてから今朝から気にかかっていたあの姿を捜した。
白一色としか形容の無い世界。その中で吹雪に晒され雪の貼り付いた鶏小屋の床下だけが黒い地面を剥き出しにしている。私はその隅に少しだけ盛り上がった箇所を発見した。
近づけば、それは骸だった。
生きようとして生きれなかったいのち。生きさせようとして生きさせられなかった小さな私の家族。
拾い上げれば右手の赤黒い素肌に乾いた黒い羽がパサリと落ち、それは中身の無いただの羽の塊ほどの重さしかなかった。

          ☆        ☆        ☆

この秋に貰われてきた雌チャボの哀しみはその勇気と利発さにあった。

我が家では雪が積もるようになってからは鶏たちを庭に放さない。唐丸もチャボもこれからの長い冬の間は彼らにとって決して広いとはいえない畳二枚分の囲いの中を、首を突き出し爪で藁を掻き分け白い樹海に浮かぶ孤島に取り残された不遇をかこちながら、ひたすら春の雪解けを待ち続ける。それが我が家のしきたりであり鳥たちを唯一賢しいキツネやイタチから守る堅実な方法でもあった。それまでの半年の間彼らが青春を謳歌しただろう緑の楽園は今や雪に覆われて、続く一年の半分を木枯らしに嬲られ厚い雪の層に包まれる。
もっともそんな季節に小屋の扉を開けたとしても、鶏たちは外に出ようとはしない。夜通し吹き抜ける西風に体が凍えているのだろうか。それとも曙光を浴びて虹を含んだ銀色の世界には自分たちの望むクローバーやアブラナの葉は無いことを知っているのか、高床の敷き藁の上から下を見下ろして、グルッ、グルッとものぐさに呟くだけである。よほど日当たりのよい日に誤って仲間たちから突き落とされた雌鳥が地面に降りることはあるのだが、これも少しだけ雪の感触を楽しむとそそくさと再び小屋に帰っていく。冬の戸外はいかに日差しが強かろうとも、決して長居するほど心地よい場所にはなり得ないのだろう。鶏にも、私たち人間にとっても。

ある朝鶏小屋の戸を開けて水鍋の氷を溶かしている時に、そのチャボはけたたましい声を発して羽ばたいた。
ケッケッケッ、キェーッ!
彼女は私の首と肩と扉の開放口とで作る僅かな三角形の隙間を目がけて飛んだ。実に鳥一羽分の小さな空間である。よくもそんな冒険を犯すものだと思う。また小屋の中にはその時それをせざるを得ないような何の切羽詰まった状況も無い。両手にやかんと水鍋を手にしていた私は、咄嗟のその動作に対応できず、雌チャボをみすみす戸外に逃がしてしまった。
「またお前か!」
実は彼女は数日前にも同様の手口で脱出を達成している。それで味をしめてしまったのだろう。時々こういう鶏がいるものだ。野性味が強いと言うのだろうか。大人しく小屋の中にいればいいものをなぜかそのような人工物を好まず自由で開放的な戸外に出たがる。またそのような鶏に限ってなかなか捕まらないものだ。

案の定その雌鳥は捕まらなかった。前回は小屋の屋根で休んでいるところをなんとか捕えたのだったが、今回はどうしても捕まらない。彼女もそれ相応に学習しているということだろう。

私は諦めてそのまま放って置くことにした。なあに、急がず騒がず何日かするうちに腹が減れば餌に釣られて小屋に戻ってくるさ。

          ☆        ☆        ☆

黒い羽に極彩色の艶を浮かばせた唐丸の家長が見下ろして言った。
「お前、なんだか羨ましいな。そんなにも自由に出たり入ったり、どうも俺には望んでもできそうにないよ。あの人間には昔挑みかかって、反対にこっぴどくやられてるからな。一家の首長の俺にしたって、あの人間に逆らって自由に出たり入ったりすることはできない。」
「お空の月が満ちてくると私の体の血が騒ぐのです。元来鳥はこんな風に生きるものではなかったと。狭い箱に押し込められて朝夕人間になけなしの餌を与えられそれを仲間内で争うように食べつくす、太古の昔から私たちはそんな生き方をしてきたのではなかったのです。
鳥は自由に思いのままに生きなければいけません。例えそれが少しばかり寒い吹き晒しの野原だとしても、山から下りてくる凶悪な外敵に身を晒す山間の川べりだとしても、あくまで大空を背負って自由に生きる、それが鳥の身上なのです。」
「そりゃそうだが・・・しかし今この雪の原じゃ、外に出ても粟粒ひとつ見つからないだろうが・・・」
「そう、私もあなたみたいにぶくぶくと太ってしまう前に、ただ毎日餌と性交だけを考える頭になる前に、私たち鶏として生きた証をこの地面の上に記さなければならないの。」

          ☆        ☆        ☆

逃げたチャボはいつまでも捕まらなかった。やがて私は諦めてさも彼女がいないかのように毎日の日課をこなすようになった。餌は小屋の中の箱にやる。水は一日二回は湯で溶かす。なあにもっともっと腹が空いて、機会さえ作ってやればそのうちまた小屋に戻ってくる。どんな動物でも空腹に勝てる者などいないのだから。

2日が過ぎ1週間が過ぎた。少し心配になった私はある時鶏小屋の戸を開け放して遠くに立って様子を伺ってみた。例のチャボが食べもの欲しさに小屋の中に入らないかと思ってのことだったが、案に相違してもう一羽のオスチャボが庭に下り立っただけに終わった。これ以上雪の原に手に余る鶏を放すのに躊躇いがあったのでその午後には再び小屋の戸は閉めてしまった。
庭のチャボにもちろん餌はやらない。いずれ折を見てまた小屋に戻るチャンスを与えてやろう。
外はしばれる。セーターを通して零下8度の木枯らしが身に突き刺さる。こんな日にも鶏は平気なんだろうか。気象庁によるとこれから今年最大の寒気が上空を通り過ぎるという。

私は毎朝庭に出てあのチャボの姿を雪上に捜す。10日が過ぎて2週間が過ぎた。相変わらず彼らは無事だ。この雪の原でどこに彼らの餌があるというのだろう。また元々野生に近い品種のことだから、戸外でもそう簡単にキツネやイタチにやられることはないのかもしれない。後から放れたオスチャボもなぜか容易に小屋に戻ってくれなかった。雄鶏として雌を守ろうとしているのだろうか。

2週間目の朝を迎えて、私は外のチャボたちに餌を与える決心をした。なに、このまま無事ならば何も無理して中に入れる必要も無いかもしれない。
その前にもう一度扉を開放してみる。太った唐丸のオスが一羽逡巡しながら庭に下り立った。他の鶏たちは相変わらず小屋から出ようとしない。このまましばらく置いといて、夕刻の餌時に彼らが一緒に小屋に入るか見てみよう。3羽いっしょならば、もしかしたらつられて入るかもしれない。
メスチャボはやはり小屋の床下を歩いていた。体調は?と見てもそんなに具合が悪そうには見えない。それどころか寒さの生で羽を思いっきり膨らませてるのでかえって太って見える。それで少し安心してしまった。しかしこの時安易に安心するべきではなかったのだ。この時には既に彼女の見かけ上膨らんだ羽の下にはもういかほどの筋肉も無かったに違いない。

          ☆        ☆        ☆

家長の唐丸が言った。
「おい、もういい加減小屋に戻ったらどうだ。いくら強がったとしても歩くお前のその千鳥足や顔色を見ればわかるよ。お前はもう体力の限界にあるはずだ。わかったろう。極寒のこの空の下にお前の体を養ってくれるものなんかどこにも落ちていない。さあ、一緒に小屋に入ろう。これだけ長い間歩き回ったんだから、もうお前の自由願望も充分に満たされただろう。」
「唐丸さん。あなたはなんのためにここに生きていて、私はなんのためにこの足と体とを持っているのでしょう。私の体は確かに弱っています。でもこのところの断食のお陰で今私の神経は凍った湖面を滑る鋭利な雪の結晶のように澄み切っているのです。私は確かに飢えてますが心はかつて感じたことの無い斬新な鋭気に満ち溢れている。ああ、この至福を私は忘れることができない。もう二度と手放すことができない。ああ、もしこの誘惑から誰かが私の命を救ってくれるとするならば、抗い切れない非情の暴力でもって私の体ごと連れ去るしかないのです。つまり私は今、大昔の私の先祖たちと歩調を揃え翼を触れ合って生きる喜びにうち震えているのですよ。そう、私はこのまま死にたいのです。」

          ☆        ☆        ☆

日の暮れかかる頃私がもう一度裏庭に顔を出した時には、唐丸とオスチャボは小屋に入って夜を越す体勢になっていたが件のメスチャボだけは相変わらず小屋の床下にいた。
私は用意してきた少しばかりの籾とジャガイモのかけらをパラパラと庭に撒いてやった。すると彼女はトコトコと来て嬉しそうに啄ばむ。まあ、これで一応餓死する線は免れるだろう。
「お前、中に入れよ。外は危険だからよ。」
その日も私はいつもと同じ言葉を投げかけた。彼女は捕まらない。今も私の移動に合わせて縁の下を右に左にと逃げて回っている。
しかし思い返せば、この時メスチャボには自力で小屋の入り口まで羽ばたく力さえ無かったのだと思う。私はこの時どうして暴君になって彼女を追い回し捕まえなかったのだろう。いや、その時にはもうすべて手遅れだったのかもしれない。

          ☆        ☆        ☆

翌日庭に出た時に、彼女は死んでいた。
空ろな羽の骸を手のひらに載せて私はまたひとつ自分が大切な過ちを犯してしまったことを知った。彼女には既に籾一粒さえ消化しエネルギーに変える余力が残っていなかったのだ。いつだってそうだ。私がそれに気づく時には、間一髪の差で事態は取り返しのつかない状況に陥ってしまっている。
顔を上げると金網越しに唐丸の家長がこちらを見ていた。グッ、グッ、グッと3度鳴いてそのたびに首を振り、彼は重い体を揺すりながら床に爪を立てて歩いた。







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