よく「仕事は何をしてるのか」って訊かれるけれど、
確かに私のしていることは世間一般の「職業」の範疇に当てはまらないかもしれない。
今やお金を介さない「暮らし」のための「百姓」は、農業には含まれないようだし、
たつきを得るための業からすれば、
強いて言えば「何でも屋」みたいなものだろうか。
今まである仕事頼まれる仕事を、なりふり構わず「何でも」して来たようなものだから。
昨日からは暗きょを掘っている。
「暗きょ」は土木用語で、具体的には地中排水路とでも言おうか、
土地の排水をよくするために、地面の中に排水バイプを敷設する。
昨日から掘り始めたのは自分の畑の分だけれど、
その他に他所の暗きょ工事の依頼が今2件入っている。
「何でも屋」の立場から言えば、
暗きょ工事は機械作業が主だから作業に比して収入の歩がいい。
しかも自分の持っているコンマ1のバックホーでできる。
農用地の暗きょ敷設工事は、
今のところ私の収入源のかなりの部分を占めている。
ここに移住してやっと3年が経ったところだけれど、
幸いに、今のところ近在からの仕事の口が時々ある。
まず、私の仕事はプロに比べてとても安いし、
隣り近所から何度か小さな仕事を頼まれてしているうちに、
私の仕事ぶりなどが噂として流れたのだと思う。
田舎社会では、噂がとても大きな影響力を持つ。
ところで私が「何でも屋」を運営するに当たっては、
自分なりに幾つかの主義を持っている。
お金になれば何でも引き受けるというわけではない。
まず、特に依頼主からの具体的な注文がなければ、「我がことのように仕事をする」ということ。
畑で働くならばそれが自分の畑であるかのように、
暗きょを敷設する時は、自分の土地に敷設するようなつもりで仕事をする。
これは脱サラして農業実習を始めた時からの
仕事に対する自分なりの基本的な姿勢だ。
「お金」のためだけに働くことは、長い目では自分の資質を下げさせてしまう。
真剣に働くことによって働いた経験はみな自分に蓄積されるし、
結果的に「いい仕事」や信用に結びつくから、一石二鳥にもなる。
でも中には手抜きしてできるだけ安く上げてくれ、とはっきり言うお客もいるので、
その場合は相談に応じて、自分の働く意欲を削がれない範囲で要望に応えてはいる。
第二に、能力以上の仕事は引き受けない。
私の持つ機械は小型のバックホーと、軽トラダンプ、
そして労働力は今のところ自分だけ。
しかも単なる事務系のサラリーマンだったのが
6年前に紙とポールペンをいきなりスコップと機械に持ち替えたのである。
技術的にも基盤的にも、プロの比ではない。
そんな自分の体力や能力を考慮して、
上手くできないと思われたり料金的に高くついてしまう場合は、
その旨を説明して断るようにしている。
そして最後に、これが一番大切なことだけれど、
相手も自分も喜ぶ仕事を心がけている。
とかくこのように自営で事業をしていると、
請負仕事として、始めに仕事内容と請負額が決められた上で工事に取り掛かり、
安く上げても長くかかって経費倒れになっても
請負業者が被るという仕組みで仕事をするのが一般的のようだ。
それはそれでメリットもあるけれど、当然デメリットもある。
例えば、不慮の出費に対処するためには、当初余分に見積もっておく必要がある。
つまり金額が往々にして割高になりがちだということ。
それから、やっつけ仕事になり易い。
どうせ貰う金額は同じなのだから、手の抜けるところは抜いて安価に決めてしまいたいと思ってしまう。
最初はそうでなくても、疲れて来たり経済的に苦しくなるとそのような思いに囚われてしまう。
元々土木建設業というのは、
その気になれば目に見えないところで幾らでも手を抜けるようなところがある。
でもそれは長い目で見れば相手の信用を無くすことに繋がるし、
先にも述べたように、自分の人間としての資質の低下にも繋がりかねない。
目先のお金というのは、時として大きな落とし穴にもなってしまう。
だから私はできるだけ「実働」で仕事を引き受ける。
あくまで自分も満足し、相手も満足するという理想の状況を目指さなければ、
私がこのように自営で事業をする意味はないような気がする。
そんなわけだから、私の引き受ける仕事はそこそこにできて、
しかも業者に頼むよりもかなり安い、という評判になっているようだ。
確かにほとんどの場合そのようにお互いに満足する収まり方をするのだけれど、
しかし中には、お互いに不満を抱いて終わるということも残念ながら時々はある。
まず、工事終了後に更に値切ろうとする人もいるし、
また稀にではあるけれど、
いろいろなことを理由に当初約束の賃金を払わない人もいる。
正直言って、ただ働きになったことも今までに何度かあった。
そんな場合は、一応それに応じたりはするけれど、
もちろんそれを最期に同じ人の仕事は二度と引き受けない。
仕事はあくまでも、「人」とするのだから、
その人がどんなにうまそうな仕事を持って来たとしても、
「その人」がつき合えない人ならば仕方ない。
もともと自分の暮らしぎりぎりの線で料金をはじき出しているので、
これ以上安くしろといわれても残念ながらできないし、
働いた分お金にならないならば、直截的に私の家計は圧迫される。
そんな余裕の無い経営をしてるものだから、
いつまで立っても赤字続きなんだろう。
未だにサラリーマン時代の貯金を食い潰しながら暮らしている。
でも、まあいいか、と思っている。
このような生き方で今までとてもためになったし、
なにより、現実に6年経った今でもこうして生きている。
脱サラ後これほどの期間自分の夢を追えてるのは多分珍しいんじゃないだろうか。
どんなにお金にがめつく暮らしてもできるものではない。
生きている私の今時点での命題のひとつは、
「関わる人みんなで一緒に生きれないだろうか」
ということ。
自分だけ、自分の家族だけ得しようとする生き方ではなく、
相手も得して、自分も得する、
そんな生き方が、この世の中で成り立つだろうか。
それを模索するために、自分の人生の一時期を賭けてもいいと思う。
今日も私は自分なりの命題を持って生きる。
いつかそれに対して何らかの答えが出る時まで。
【写真は朝日の中の堆肥の山とバックホー】
確かに私のしていることは世間一般の「職業」の範疇に当てはまらないかもしれない。
今やお金を介さない「暮らし」のための「百姓」は、農業には含まれないようだし、
たつきを得るための業からすれば、
強いて言えば「何でも屋」みたいなものだろうか。
今まである仕事頼まれる仕事を、なりふり構わず「何でも」して来たようなものだから。
昨日からは暗きょを掘っている。
「暗きょ」は土木用語で、具体的には地中排水路とでも言おうか、
土地の排水をよくするために、地面の中に排水バイプを敷設する。
昨日から掘り始めたのは自分の畑の分だけれど、
その他に他所の暗きょ工事の依頼が今2件入っている。
「何でも屋」の立場から言えば、
暗きょ工事は機械作業が主だから作業に比して収入の歩がいい。
しかも自分の持っているコンマ1のバックホーでできる。
農用地の暗きょ敷設工事は、
今のところ私の収入源のかなりの部分を占めている。
ここに移住してやっと3年が経ったところだけれど、
幸いに、今のところ近在からの仕事の口が時々ある。
まず、私の仕事はプロに比べてとても安いし、
隣り近所から何度か小さな仕事を頼まれてしているうちに、
私の仕事ぶりなどが噂として流れたのだと思う。
田舎社会では、噂がとても大きな影響力を持つ。
ところで私が「何でも屋」を運営するに当たっては、
自分なりに幾つかの主義を持っている。
お金になれば何でも引き受けるというわけではない。
まず、特に依頼主からの具体的な注文がなければ、「我がことのように仕事をする」ということ。
畑で働くならばそれが自分の畑であるかのように、
暗きょを敷設する時は、自分の土地に敷設するようなつもりで仕事をする。
これは脱サラして農業実習を始めた時からの
仕事に対する自分なりの基本的な姿勢だ。
「お金」のためだけに働くことは、長い目では自分の資質を下げさせてしまう。
真剣に働くことによって働いた経験はみな自分に蓄積されるし、
結果的に「いい仕事」や信用に結びつくから、一石二鳥にもなる。
でも中には手抜きしてできるだけ安く上げてくれ、とはっきり言うお客もいるので、
その場合は相談に応じて、自分の働く意欲を削がれない範囲で要望に応えてはいる。
第二に、能力以上の仕事は引き受けない。
私の持つ機械は小型のバックホーと、軽トラダンプ、
そして労働力は今のところ自分だけ。
しかも単なる事務系のサラリーマンだったのが
6年前に紙とポールペンをいきなりスコップと機械に持ち替えたのである。
技術的にも基盤的にも、プロの比ではない。
そんな自分の体力や能力を考慮して、
上手くできないと思われたり料金的に高くついてしまう場合は、
その旨を説明して断るようにしている。
そして最後に、これが一番大切なことだけれど、
相手も自分も喜ぶ仕事を心がけている。
とかくこのように自営で事業をしていると、
請負仕事として、始めに仕事内容と請負額が決められた上で工事に取り掛かり、
安く上げても長くかかって経費倒れになっても
請負業者が被るという仕組みで仕事をするのが一般的のようだ。
それはそれでメリットもあるけれど、当然デメリットもある。
例えば、不慮の出費に対処するためには、当初余分に見積もっておく必要がある。
つまり金額が往々にして割高になりがちだということ。
それから、やっつけ仕事になり易い。
どうせ貰う金額は同じなのだから、手の抜けるところは抜いて安価に決めてしまいたいと思ってしまう。
最初はそうでなくても、疲れて来たり経済的に苦しくなるとそのような思いに囚われてしまう。
元々土木建設業というのは、
その気になれば目に見えないところで幾らでも手を抜けるようなところがある。
でもそれは長い目で見れば相手の信用を無くすことに繋がるし、
先にも述べたように、自分の人間としての資質の低下にも繋がりかねない。
目先のお金というのは、時として大きな落とし穴にもなってしまう。
だから私はできるだけ「実働」で仕事を引き受ける。
あくまで自分も満足し、相手も満足するという理想の状況を目指さなければ、
私がこのように自営で事業をする意味はないような気がする。
そんなわけだから、私の引き受ける仕事はそこそこにできて、
しかも業者に頼むよりもかなり安い、という評判になっているようだ。
確かにほとんどの場合そのようにお互いに満足する収まり方をするのだけれど、
しかし中には、お互いに不満を抱いて終わるということも残念ながら時々はある。
まず、工事終了後に更に値切ろうとする人もいるし、
また稀にではあるけれど、
いろいろなことを理由に当初約束の賃金を払わない人もいる。
正直言って、ただ働きになったことも今までに何度かあった。
そんな場合は、一応それに応じたりはするけれど、
もちろんそれを最期に同じ人の仕事は二度と引き受けない。
仕事はあくまでも、「人」とするのだから、
その人がどんなにうまそうな仕事を持って来たとしても、
「その人」がつき合えない人ならば仕方ない。
もともと自分の暮らしぎりぎりの線で料金をはじき出しているので、
これ以上安くしろといわれても残念ながらできないし、
働いた分お金にならないならば、直截的に私の家計は圧迫される。
そんな余裕の無い経営をしてるものだから、
いつまで立っても赤字続きなんだろう。
未だにサラリーマン時代の貯金を食い潰しながら暮らしている。
でも、まあいいか、と思っている。
このような生き方で今までとてもためになったし、
なにより、現実に6年経った今でもこうして生きている。
脱サラ後これほどの期間自分の夢を追えてるのは多分珍しいんじゃないだろうか。
どんなにお金にがめつく暮らしてもできるものではない。
生きている私の今時点での命題のひとつは、
「関わる人みんなで一緒に生きれないだろうか」
ということ。
自分だけ、自分の家族だけ得しようとする生き方ではなく、
相手も得して、自分も得する、
そんな生き方が、この世の中で成り立つだろうか。
それを模索するために、自分の人生の一時期を賭けてもいいと思う。
今日も私は自分なりの命題を持って生きる。
いつかそれに対して何らかの答えが出る時まで。
【写真は朝日の中の堆肥の山とバックホー】
このところみんな、BLOGでの自分のペースを見つけて来ましたね。
やはり偏るとどこかで修正の波が来るようです。
私もいろいろなことをしてみて、自分の時間、自分の能力でできることを少しずつ見つけていってますよ。
BLOGのいいところは、暮らしている距離に関係なく出会いがあってつき合えることですね。
しかもみんなある程度表現力のある人ばかりだから、
意思疎通がし易い気がします。
これが住む場所が同じ地域の人を集めても、
全然話が噛み合わなくなったりしますよ。
場所に囚われずに人間関係を広げていける時代になったのですね。
これもひとつの共同社会。
しかも関わり方によってはほとんどリスクがないと言えるから、
お互い思い切ったことをし合えますね。
何でもじゃんじゃんやって行きましょうよ。
ここもみんなで生きてるじゃないですか。
みんなでね♪
でもちょっとさぼり過ぎの生活に反省しなくちゃ。
私もこういう暮らしをしていると、
たまに昔よく食べたコンビニの食べ物や
出来合いの物を食べたい衝動に駆られたりするのですよ。
そしていざスーパーやコンビニに行って棚の前に立つと、
見てるだけで、もうあまり食べたくなくなるのです。
いざ食べると、美味しいと思うんですけどね。
この辺の心理、自分のことながら一体なんなんだと思いますが、
基本的に自分の嗜好や欲求が変わってしまったのかと思います。
そんな時思いますよ。
健康になる食べ物を美味しく食べさせてくれる
そんな食堂があったらいいなって。
いつかそんな場所を作りたいなと思っているのです。
確かに私の見方は、安直に過ぎたのですね。
読み直してみて、駆け出し事業者が経験足らずで言っていることのように思えてきました。
BLOG友の存在のありがたさを感じます。
私もいろんなことをやっているとは言え、
百姓も、土木も、解体も大工仕事も、みんな浅いものしか持ってません。
機械の修理もある程度自分でしますが、これもお金がないから必死になって覚えたもので、胡椒の度ごとに代理店の技術の方に頼み込んで教えてもらってます。
土建業の現場も興味深く見たりしてるのですが、
一度「ちょっと雑だな」と思える現場を見てしまったものだから、
ここで殊更それを言ってしまったのですよ。
ただ持てる技術やノウハウは凄いものがあるので、
プロの方々には、折に触れ教えていただいてます。
一方、経費削減の努力こそ経営者の腕ですね。
加えて技術者や現場の人たちが思いっきり力を出せる、
そんな環境を作るのも、経営者の力量でしょうか。
私もずっと現場に憧れて来たんですが、
実際全部やってみて、経営や管理というのは現場に比べて目立たず面白くないけれど、
それでいて背骨のように大切で難しいと思いましたよ。
職人と裏方、技術と事務ががっちりと手を結んで初めて「いい仕事」ができる。
どちらが欠けても事業は成り立たないのですね。
飲食もお客様の命を預かってると思ってやらなきゃ・・・。
そんなこと、あぐりこさんには解っておられることでしょうから、今さらな話ですけども。
俺も、似たような業界の人間ですが、経費問題と手抜きとは別ものですよ。
経費を安くしようとするのは努力です。
手抜きは努力のカケラもないですよ。
で、本質的には、手抜き=経費削減ではないはずでしょう。
手抜き工事をした業者は、いずれは消滅しちゃってるのが事実です。
ギリギリでやってばかりでも大変でしょうが、あぐりこさんなら大丈夫でしょう。
それにしても、事務職から転身し、バックホウ操作するまでになられているとは、凄いです。
俺、工事場にいって、いつも思うんですよ。
「物を作っているのは設計者や監督ではない。職人だ」ってね。
重機オペレータとか鳶とか見てると、ほんと、かっちょいい!と思います。
もちろん、飲んでてもありがたいです。
私もいつも飲みながら書いてますよ。
プロの世界では、信用を含めた実力で生き残っているのでしょう。
飲食店と同じで淘汰の激しい業界のようですからね。
私は今まで転々と引越を続ける中で、
主に農業・建設業関係の機械を使った雇われ仕事で食いつないできました。
専属オペレーターや正社員として雇われたことはないので、
事業や業界、経営や技術などみんな中途半端な知識しか持ってません。
その分幅広い職種を歩いてきたので、
その半端を繋ぎ合わせてあれこれとやってます。
だから周囲からは、器用な何でも屋に見られてますね。
この地に落ち着いた3年前から、
やっと機械にも投資した本業的なものとして始めてます。
でも、まだ3年、
未だにすることなすこと勉強続きです。
その道の人から見れば、遊びみたいかもしれません。
実際土建業の人からは、私の積算単価ではやっていけるはずがないと言われたりしてますよ。
多分その通りなんだと思いますが、
でも、やってみたいんです。
そして大切なことをひとつひとつ身につけていきたいんですよ。
その意味では、本当に遊びの感覚が入ってますね。
真剣で面白い遊びです。
実際私の周りの人たちも、賢い人ほど実益のある部分をしっかり掴んでいて、
私はそれ以外の「人助けにはなるけれどお金にならない」ことばかりしたりしてますよ。
賢くなく生きてみるのも、
人生の中では面白いかもしれません。
でももしこれで生きて行けたら、
私の命題のひとつが、理想的な形で解答が出るのです。
時折修正しながらも、やるだけやってみますよ。
このバックホーは2台目で、
1年前に中古で買った三菱のMM35Bです。
我が家の稼ぎ頭ですよ。
足し算引き算嫌いな人ってどこか頑固(笑
手抜きは土木の常套と思っている人がいるかも知れないけど、じつはそれでは渡っていけないことも事実。
しかし頂ける所からはしっかり頂くも生きる法。
丁寧な仕事こそ次の依頼が来る。
これは仕事の常識である。
手抜き=倒産、である。
可愛いショベルだね。
しらふで書いてみる、うひょ~ぃ!