時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

大分の教員採用試験:不正合格者の採用を取り消し

2008年07月16日 | 政治問題
大分県の教員採用汚職事件をめぐり、贈収賄などによる不正な得点操作で採用された教員や、合格だったのに不合格とされた受験者への対応をどうすべきか、県教委が苦慮しているという。
収賄容疑で再逮捕された県教委義務教育課参事江藤勝由容疑者の供述などによると、2008年度の小学校教員採用試験だけでも、合格者41人のうち10人ほどが点数を加算されて不正に合格したとみられるという。
江藤容疑者は合格圏に達していた受験生の得点を故意に引き下げたとも供述しており、文部科学省は県教委に対し、対象者への適切な措置を検討するよう指示した。小矢文則県教育長も「法的にはどうすればいいのかなど、早急に考え方をまとめていきたい」としている。
しかし、パソコンなど採用関連の資料は警察に押収されており、肝心の試験の答案や面接の評定票も、内規では保存期間を10年と定めながら県教委自身によって破棄されている。「現時点では事実関係の把握が難しい」(県教委)のが実情という。
1990年に同様の贈収賄事件が発覚した山口県教委は不正合格者が特定できず、合格取り消しや不合格者の救済は行われなかったそうだ。
今回はどのような措置がとられるのだろうか?
そもそも、教員採用試験のあり方や採用の基準にも問題があるのかもしれないが、有力者の口利きで合格するような人物がまともな教育ができるわけがない。昨今は、教員の質が問われる事件も多いが、教育委員会や有力者の言いなりの教育しかできない人間が、子供の成長に責任が負えるはずがない。
子供たちに、何をどのように教えるつもりなのだろうか?まさか「あまり勉強しなくても、有力者のコネがあったら大丈夫だよ」とでも教えるつもりなのだろうか?
10年の保存義務がある採用試験に関するデータもわずか半年で処分されているというが、関係者の記憶の範囲でも、不正採用者には厳格な処分を行うべきであろう。
また、不正採用の陰には、合格していながら、教員になれなかった人たちが存在するということである。この人たちへの救済も責任を持って行うべきである。
さて、なぜ日本ではこのような前近代的な「口利き」が未だに行われるのだろう。
土地の有力者や権力者に媚びへつらう風潮が残っていると言えばそれまでだが、なぜ、こういう悪弊を断ち切れないのだろうか?
本当の意味での「民主主義」、「平等」、「公正」といった精神がまだ根付いていないことを残念に感じるとともに、不正を断ち切り、それを告発する勇気を持ってもらいたいと思っている。

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1 コメント

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Unknown (菜魔)
2008-09-09 06:27:25
これ流行の大麻とか強姦とか万引きとか、生徒側の犯罪だったら、どうなりますか?そこには警察のごとく、勝ち誇った教師の厳格な取り調べがあります。例えば、くるくるぱーの暴力にものを言わせる犯罪者顔の体育教師なら、刑事ドラマもどきの横柄な態度をやらかすだろうし、その後は事があれば嫌疑をかけるだろう。頭でっかちの国語教師ならば、犯罪贖罪後も、陰湿に生徒側をイジメたり、無視を決め込むだろう。特に嫌いな生徒ならば、後々の人格形成に多大な影響を与えることも考えもせずに、執拗ないやがらせを続けます。
そういう教師に限って「犯罪は、殺人であれ、盗みであれ、すべて平等である」とかいって問題の本質を遠ざけます。理解力、想像力も当然欠けるものです。教わった生徒側は、そうとうな心の傷がつくでしょう。感受性とロゴスの海を繊細に渡ろうとする多感な生徒ならば。あほはだめかもしれないけど(笑)。そういうクソ教員は、即刻、社会的精神的に殺せばいい。被害者の気持ちが分かるまで教師たちを精神的に殺しまくる。くるくるぱーは死ぬまでわかりませんので。誤謬性をでっち上げ頑固な理解に固執します。
そこには日本の教育の欠陥と問題点が存在しているように思います。
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