時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

お金の話

2007年07月14日 | 経済問題
貨幣、いわゆるお金の存在意義などについて考える機会は少ないが、天下万民がこぞってコレクションしたがるこのお金というものについて、少し考えてみよう。
お金というのは、簡単にいえば、商品と商品の間を取り持つ交換手段としての役割と富の蓄蔵手段としての役割を持っている。
お金は、国ごとに発行されており、国がその価値を保証するものであるが、商品の価値を厳密に保証するものではない。A店では1000円で売っているものが、B店では1100円で売られていることがよくある。また、長い時間経過の中で、昔は高かった物が安くなることもある。そうすると、交換手段としての役割を十分に果たしているとは言えないのではないかという疑問に突き当たる。
しかし、特定の時代や地域という範囲で見ると。商品のおおよその価値を表わしているということはどうも確からしい。何しろ、国がその信用を保証しているものなのだから。
逆に言うと、財政破綻などで国が破産すると、貨幣価値は大幅に下落する。
人類の歴史をみると、文字通り、国がなくなり、それに伴って貨幣そのものが無価値になることはよくある。
日本でも、幕末から明治初期の動乱期、太平洋戦争末期から終戦後の混乱期などには、貨幣そのものへの信用が下落し、物価上昇を招いたことはよく知られている。
貨幣という「資産」は所詮、国の信用力を背景にした「幻」に過ぎず、未来永劫にその価値を保証するものではない。
したがって、どういう形で資産を保管するかは、なかなか難しい問題であるが、資産の一定部分を現物資産に交換しておくことがもっとも確実な資産保全策であると思われる。
もっとも、土地や建物以外は、あまり大きなものは保管に困ると思われるので、必要最小限とし、それ以外のものは、できる限り場所を取らず、保管が簡単で、容易に換金できるものが良いであろう。
昔から資産家が、貴金属や宝石、美術品などを好むのは、比較的に高価で財産価値が高く、保管が簡単で、しかも場所を取らないという理由によるものと思われる。
実は、編集長も、日本国が発行する紙幣というものをあまり信用していない。年金問題を見てもわかるように、そもそも今の自公政権に、財政や経済の運営能力があるとは到底思われない。
いつ紙切れになるかもしれないものを必要以上に持っていても仕方がない。資産はできる限り分散し、各人がこれはと思う物を居心地の良い比率で、所有するのがもっとも良いということだろう。
お金というものは、なければないで困ったものだが、十分すぎるほど持っていても、悩みが尽きないものなのかもしれない。
お金とは上手に付き合っていきたいものである。