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阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

有楽町の帝劇地下街からJR御茶ノ水駅までぶらぶら歩いた。   その2/全5回

2018年12月26日 | 東京あちこち
やや薄暮になってきた道をひたすらしかし楽しみながら歩いた。沢山歩いている外国人観光客も昔に比べるとその出身地がバラエティーに富んでいるのに驚く。
ユーラシア大陸の果てのこの遠い国へ、この人達は自分で船賃や飛行機代を払ってホテル代や食事費を負担してはるばる来て頂いているんやなと思いながら歩いた・・・。


























和田倉門のあたり



東京駅を望みながら歩き続けた











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有楽町の帝劇地下街からJR御茶ノ水駅までぶらぶら歩いた。   その1/全5回

2018年12月25日 | 東京あちこち
12月某日、日比谷通りのお堀端には冬にしてはおだやかな風が吹いていた。帝劇地下街にある六甲クラブで昼12時開始の襄山会の忘年会を楽しんだ後、
昭和62年に大阪勤務になるまで時々歩いたルートを30数年ぶりに歩くことにした。結果は1万歩ほどの距離だった。

歩きは帝国劇場の前からスタート。







東京会館は一月早々改装オープンのようだ。





















六甲クラブは東京勤務時代は別の名前だったが、今は卒業生の範囲を全学に広げて運営しているようだ。
昭和62年まで毎月一回の襄山会東京支部の支部長補佐をしていたのでこのクラブにはよく来ていた。

 

 
 











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役者「殿山泰司」のエッセイをずっと読んでいた。彼のベスト・エッセイという文庫本が出た。

2018年12月24日 | 乱読は楽しい

殿山泰司という俳優は主役をはる人ではなく、いつも脇役で出ていて、どんな映画でも彼の存在はその映画自体の出来が悪くとも
一応映画の体をなさせるという不思議な役者だった。
彼の演技、それは彼自身の体にまとわりついている日本の普通人や町人、庶民が持っている生きる力のような自然体のものだった。
時に男気、時に卑怯卑劣、時に勇敢、時に怯懦、時に弱気。一口で言えば「いやらしい役者」、それが殿山泰司だった。
彼のエッセイはほかの人には書けない意表を突く内容が多く、阿智胡地亭は昭和50年代には新聞雑誌に出るものは全て読んだと思う。
先日もう亡くなって長くなる彼の精選エッセイ集が出た。彼のような日本人が生きて物を書いていた時代があったことを
また人が思い出す必要がある時代になったからだろう。
 出演作に裸の島、黒い雨、生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言、伽耶子のために、楢山節考(1983)、泥の河などなど多数。
 




Wikipediaから部分引用。⇒ 殿山 泰司
(とのやま たいじ、1915年(大正4年)10月17日 - 1989年(平成元年)4月30日)は、日本の俳優、エッセイスト。
兵庫県神戸市出身。中央区立泰明小学校、東京府立第三商業学校卒業。終戦後の日本映画界において独特の風貌で名脇役として活躍した。ジャズとミステリーをこよなく愛し、趣味を綴った著書も多数残している。また、波乱万丈なその人生は、映画化もされている。
神戸の生糸商の長男として生まれる。父親は広島県生口島出身[1][2]。6歳の頃に父親の事業が破綻して両親は別居。父とその愛人(泰司の義母となる)について上京し、東京都中央区銀座で少年時代を過ごす。このとき父と義母が出したおでん屋が、今も銀座8丁目で営業をつづける「お多幸」である。屋号は義母の名前からとられている。幼名は殿山泰爾(たいじ)である。
中央区立泰明小学校卒業後、府立第三商業学校に入学。1933年(昭和8年)に父が亡くなり、家業を継がねばならなくなるが、弟に譲り、俳優の道を志す。
1936年(昭和11年)新築地劇団に入団する。同期入団者に千秋実、多々良純、小山源喜がいる。薄田研二につけてもらった「夏目銅一」の芸名で初舞台を踏む[3]。1938年(昭和13年)に劇団を一時退団し、同年復帰後は本名と一字違いの殿山泰二に芸名を変える。1939年(昭和14年)、南旺映画の第一作『空想』(千葉泰樹監督)で本格的な映画デビューを果たす。1942年(昭和17年)に京都の興亜映画に入所し、同年、内田吐夢監督作品『鳥居強右衛門』に出演、撮影終了と同時に召集されて出征。中国戦線を転戦する。
中国湖北省で終戦を迎えた殿山は復員後、興亜映画に所属していたスタッフや俳優を引き取っていた松竹大船撮影所で自身の所属を確認して俳優活動を再開、殿山泰司と芸名を改めて映画界に復帰する[3]。新藤兼人脚本・吉村公三郎監督作品への出演を通じて彼らと交流を深め、1950年(昭和25年)に新藤、吉村が近代映画協会を設立した際には創立メンバーとして参加した。以後、新藤・吉村の監督作品の常連をつとめ、新藤の『裸の島』では島の男の役で乙羽信子と共演(これは一言も喋らない、台詞の無い脚本)、同じく新藤作品の『人間』では漂流する漁船の船長役で、それぞれ主役をつとめた。
その一方、「お呼びがかかればどこへでも」をモットーに「三文役者」を自称して、様々な映画に脇役として出演。巨匠の作品から児童教育映画、娯楽映画、ポルノに至るまで名バイプレーヤーとして活躍した。独特な風貌や、巧妙な演技から性格、個性派俳優として黒澤明、今村昌平、今井正、大島渚など様々な監督に重用された。またフリー[4]で活動していたため、五社協定に縛られることなく各社の映画に多く出演することができた。そのため73年の生涯で約300本に上る映画に出演し、テレビにも頻繁に出演したため、その作品は膨大な数に上る。各作品で印象的な演技を残し、そのなか大島渚監督の問題作『愛のコリーダ』で局部丸出しで演じたことで知られ、ほかのシーンを含めてこの作品は映画の芸術表現と法の合否が裁判所で長く争われた。
私生活では、復員後に始まった「側近」と呼ぶ女性と正妻の関係は彼が没すまで続き、墓所は2箇所に建てられている。離婚再婚がままならずに陥ったその滑稽な経緯について自著「三文役者あなあきい伝」、新藤兼人の『三文役者の死』に詳しい。
映画では禿頭にギョロ目という老人的な風貌が特徴的だったが、私生活は流行に敏感でお洒落であり、公私にジーンズにサングラスがトレードマークだった。自著によると、日本映画衰退期で仕事が減った時には、家人に心配させまいと仕事に行くフリをして都内を彷徨い、実際、撮影オフには、ジャズ喫茶など頻繁に現れた。無類の酒好きだったが、後年病気から節制している。また、新宿ゴールデン街を愛し文士との交友も深く、ジャズやミステリー愛好家、読書家としても知られコラム連載を持ち、エッセイストとしても饒舌な素地となり、1970年代には「オレが」一人称で毒舌織り交ぜながら独特の口調で語るエッセイや自伝的文章を多数執筆し、トレードマークの禿げ頭、黒いサングラスをかけた殿山のイラストが添えられていた。のちに、「三文役者あなあきい伝」をもとに麦人が殿山に扮する舞台独談劇「タイチャン」が上演されている。
神奈川県鎌倉市には正妻(最初の夫人)と子による家族の趣味、料理、陶芸、酒などを前面に押し出した店、居酒屋「との山」がある。
1989年(平成元年)4月30日に肝臓がんで死去した。享年73。
2000年に盟友・新藤が彼の生涯を映画化し、『三文役者』という題名で公開された。殿山を竹中直人が演じた。


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居酒屋「きんめ家」のイナダと金目のカマ煮つけ昼食はおいしかった。

2018年12月24日 | 食べる飲む
夜のメニューの魚関係がなかなかおいしかったので、ランチタイムにも行ってみたところとてもいい昼食になりました。

阿智胡地亭はイナダのカマ定食

あいかたは金目のカマ煮つけ

それぞれ1000円と1100円。プロの板さんの魚の煮つけはやはり一味違う。昼のメニューには刺身定食や焼きサバ定食などもありました。
食べ終わったら二つの皿は猫またぎ状態で骨の山が残っただけでした。 下の画像はネットから引用

昼の外食はそうそう出来ないが、家から歩いていける範囲にこんなのが食べられる店があると月に一、二度はきたくなります(笑)。


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天皇陛下、平成最後の誕生日会見(全文)

2018年12月24日 | SNS・既存メディアからの引用記事


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クジラ肉は本当に必要?IWCを脱退して商業捕獲再開を目指す日本政府の思惑は

2018年12月24日 | SNS・既存メディアからの引用記事


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2011年02月28日(月)阿智胡地亭の非日乗に掲載

 南極の調査捕鯨ですが、マルハなどの民間漁業会社4社がとっくに捕鯨事業を止めたあとも、水産庁の遠洋課捕鯨班というお役人の職場と、

日本捕鯨協会、日本鯨類研究所という水産庁が所管官庁である公益法人がそのまま存続しています。法人の理事さんたちは当然ながら水産庁のOBさんたちです。

調査捕鯨では日本捕鯨協会に所属する「共同船舶」が船を運航し、捕鯨そのものを行っています。


 このところ、日本捕鯨協会が冷凍保存している鯨肉はなかなか売りさばけないため溜まる一方で、保管倉庫料もかさんでいます。
 協会には国から補助金が年間4億円出ており、3億円は捕鯨を続けるための広報費に充てられているとか。

いったん出来たお役所の組織は、当初の存在理由がなくなっても今度は組織を維持するのが目的になる・・その見本が水産庁遠洋課ご一家のようですが、

確かに例えば明日、水産庁遠洋課が廃止されても困るくにたみは誰もいない、と言うのが現在の実情でしょう。


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柚子湯の香りが広がった 今年の冬至は22日。

2018年12月23日 | 身辺あれこれ
図書館の往復のしもたやの町並みの中に一軒だけポツンと八百屋があります。本を返して新たに借りた帰りにその店で初めてミカンと柿を買ったら、
柚子があるのに気が付き買いました。
例年のように柚子を風呂に入れたら、風呂場のドアをあけたとたん、いい匂い!と一人が大声をあげました。彼の嗅覚は爺ちゃん譲りでとても鋭い(笑)。

 
図書館の運営は区から民間企業に委託されています。おかげで夜は9時半まで利用可能なので縁者は会社から帰宅後に子供を連れて行けています。
またネットで読みたい本を申請すると貸出の準備ができた時点でメールを入れてくれるのも便利だ。



 
なぜゆず湯(柚子湯)に入るの?(ネットから引用)

【ユズ】ミカン科の常緑植物。耐寒性に優れているので東北地方でも栽培。表面がでこぼこしていて大きなオオユズ、小ぶりのハナユズがある。
柚子(ゆず)=「融通」がきく、冬至=「湯治」。こうした語呂合せから、冬至の日にゆず湯に入ると思われていますが、もともとは運を呼びこむ前に厄払い
するための禊(みそぎ)だと考えられています。
昔は毎日入浴しませんから一陽来復のために身を清めるのも道理で、現代でも新年や大切な儀式に際して入浴する風習があります。冬が旬の柚子は香りも強く、
強い香りのもとには邪気がおこらないという考えもありました。端午の節句の菖蒲湯も同様です。

また、柚子は実るまでに長い年月がかかるので、長年の苦労が実りますようにとの願いも込められています。

もちろん、ゆず湯(柚子湯)には血行を促進して冷え性を緩和したり、体を温めて風邪を予防したり、
果皮に含まれるクエン酸やビタミンCによる美肌効果があります。さらに、芳香によるリラックス効果もありますから、
元気に冬を越すためにも大いに役立ちます。引用元


12月22日は冬至。「冬至の日にゆず湯に入ると風邪をひかない」というのは本当?
 ⇒こちら
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統計データが明らかにする日本の課題    日本人がまだ活用できていない2つの「資源」

2018年12月23日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・人口100万人当たりの新刊点数のランキングを見ると、日本は並みいる先進国を抑え、1万点を超え世界1位となっている。これには再販制度(定価販売する制度)という特殊な流通制度が影響していることは否めないが、仮にそれが一因だとしても、これほどの新刊流通を支える豊かな出版文化があることは確かだ。


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「異例中の異例」元検察官も驚いた東京地裁の”勾留却下”

2018年12月23日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・成城大学法学部の町村泰貴教授も「再逮捕を繰り返し、起訴前の取り調べを続けるのが日本の検察のいつものやり口。その意味では今回の再逮捕にはあまり驚きはない。

ただ、勾留延長請求が認められなかったということにびっくりした。昨年の統計では99.8%が延長を認められており、却下されるケースは本当にごくわずか。

裁判官が良心に目覚めるなにかがあったんだろう(笑)」と話す。


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「お散歩会」の忘年会 中野を歩いて飲む     その4  哲学堂公園⓶と忘年会  

2018年12月22日 | 東京あちこち

哲学堂公園の創建者井上円了さんのレリーフは哲学堂の後進である東洋大学が建てたとあります。



明治時代に植えられた桜らしく私の好きな貌を見せていました。





哲学堂を正門から出て新青梅街道を歩いて中野駅に戻る途中に、友人の磯のすーさんが四日市市の納屋小学校に転校する前の昭和25,6年に通ったと聞く新井小学校がありました。
磯のすーさんとは尼崎市立塚口小学校から6年生の時に転校した阿智胡地亭が納屋小学校で同じクラスになったのが付き合いの始まりです。

中野のサンモールの横町を入ると驚くべき飲み屋街が展開していました。その集積の規模は新宿や大阪のミナミに負けていないかも。
皆さんのお話では中野にはキリンビールや丸井の本社もありサラリーマンの街でもあるそうです。
 古くから中野に住み最近中野で著名なマンションに移った友人のKさんに事前に縄張りに伺う仁義を通したら良きアドバイスがありました。
中野で飲むなら必ず予約を入れておくようにと。
なるほど今回の世話役が6人の予約で電話を入れたら4軒が満席でようやく5軒目に4時から7時までならという予約がとれたそうです。
 世話役のKさんにもお礼申し上げます。 下の3枚の画像はネットから引用。





仕入れの材料が良くて全ての料理に満足できる店でした。中野にはレベルの高い居酒屋があるなあと思いました。

 

 






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──市民社会とテクノロジー  中国の「監視社会化」の現状と将来

2018年12月22日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・次に、カメラを使った文字通りの市民に対する「監視」をめぐる状況についても触れておきましょう。近年中国の大都市を訪れた機会がある人なら、駅などの公共施設及び信号機周辺、さらに商業施設の出入り口などいたるところに多数の監視カメラが無造作に設置され、通行する人々に向けられているのにぎょっとした人も多いでしょう。もちろん、日本だってすでに街中に多くの監視カメラが張り巡らされているのですが、日本では人々に威圧感を与えないようなるべく目立たない形での設置が好まれるのに対し、中国ではむしろこれ見よがしに「監視しているぞ」ということを誇示するような設置がされていることが多いように思います。


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検察組織内での判断だけで行える「逮捕権」。権力者ゴーンの「日産私物化」の批判に同じく「権力を私物化」批判に耐えられるか?

2018年12月22日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・上記のような捜査の経緯から、特別背任での刑事立件には問題があり、再逮捕は予定されていなかったが、勾留延長請求却下、準抗告棄却で、ゴーン氏の保釈が不可避となり、追い詰められた検察が、急遽、「無理筋」を承知で、しかも、捜査班の年末年始休暇をも犠牲にして、特別背任による逮捕という「暴発」に至ったということが考えられる。

上記のとおり、今回の、ゴーン氏の再々逮捕は、検察組織内での判断だけで行える「逮捕権」を、検察が「組織防衛」の目的で使ったとすれば、「権力者ゴーンが日産を私物化している」と批判している検察こそ、「権力を私物化」したことになる。


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読売新聞「値上げ」の理由は新聞販売所の人手不足。   東京都内には配達員全員がベトナム人留学生という販売所まである

2018年12月22日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・なかでもインパクトがあったのが12月11日付の「“奴隷労働”が支える全国紙の配達網」という回。現在の新聞の宅配制度は留学生なしではありえない現実が書かれていた。

《新聞配達は今、留学生なしでは回らない職種のひとつだ。特に都市部の新聞販売所では人手が足りず、留学生頼みが著しい。東京都内には配達員全員がベトナム人留学生という販売所まである。》(12月11日付)


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 「お散歩会」の忘年会 中野を歩いて飲む     その3  哲学堂公園①

2018年12月21日 | 東京あちこち
新井薬師を出て何となく懐かしい古い街並みを歩いていくとこんもりした森が見えてきました。哲学堂公園です。

自分の想像より大きな大きな公園でした。

シラサギもいました。

ツワブキが咲いていました。







かなり流れが速い妙正寺川があって水があると何となく落ち着きます。川は神田川と合流し、隅田川へ流れるそうです。

春になると見事な桜が咲きそうな古木が並ぶ一画がありました。

ここが公園のシンボルタワー?でした。





続く








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相変わらず❝男女平等度ランキング❞で日本はG7最下位 

2018年12月21日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・世界経済フォーラムは18日、世界各国の「男女の平等ランキング」を発表し、日本は149カ国中110位と、G7の中では最も低かった。(中略)

「政治家、とりわけトップの政治家にどれだけ一般の人が入っていけるかということ。仮に女性の国会議員をみても、

実は親が国会議員だという人も多い。21世紀の歴代総理も、民主党政権時の2人を除けば親が国会議員だったり、地方議員でキャリアが

ある人だったりする。みんな世襲議員で、一般の人の政治参加が日本は遅れているのは明らか」と述べた。


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