阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
1942年生まれが江戸川区から。

今日のランチは「ルッコラたっぷりのローストビーフ」

2013年08月24日 | ある日のランチ
昨日の夕食はハーブ野菜のうち、三つ葉、ルッコラ、シャンツアイ。キムチとシャンツアイの相性はもう一つだった。互いに喧嘩するようだ。
マイタケと三つ葉は極上のコラボだった。豚肉のバルサミコ酢ソース炒めとルッコラの相性も抜群だった。いずれもノモトファーム産の水耕ハーブです。
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江南スタイル

2013年08月24日 | びっくり画像・映像

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真夏の大阪・与力町「酒房 竹うち」でよく飲みよく食べよく喋りました。

2013年08月23日 | 食べる飲む
7月の例会と同じメンバー6人が「集まりました。M会会員5人プラスAtutyanです。店のほぼ対面の「のうぜんかつら」が満開でした。

JR天満駅から日本一長い天神橋商店街をぶらぶら歩いて、



時間があったので近所を歩きました。



酢〆さんまにも感激しました。



アルバムには全14皿の料理があります。▽をクリックするとスタートします。


◎ 酒房 竹うち

住所 〒530-0036 大阪府大阪市北区与力町4-8-102
アクセス 大阪市営堺筋線扇町駅   5番口 徒歩4分
      大阪市営谷町線南森町駅  3番口 徒歩8分
      JR環状線天満駅     徒歩13分
      JR東西線大阪天満宮駅  徒歩8分
TEL 06-6809-1661
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ハーブ5種類セットを頂きました。

2013年08月23日 | ゲストルーム
中津の水耕栽培農園「ノモトファーム」さんから昨日の午前中に宅急便が届きました。
開くと「コリアンダー4株とバジル・ルッコラ・三つ葉・イタリアンパセリ」が出てきました。
食欲が落ちる残暑にはありがたい贈り物です。ノモトファームさんありがとうございます。
 この日のランチの汁なし坦々麺に早速シャンツアイが登場しました。

 夕食のエビチリにはイタリアンパセリをつけました。

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今日のランチはメンクイシリーズ「生クリームボロネーゼ・バジル添え」

2013年08月23日 | ある日のランチ
ノモトファームさんのバジルと生クリームがしっかりコラボして何とも言えない旨さを感じました。
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ロシアの海水浴場に巨大艦艇が突如出現 

2013年08月22日 | びっくり画像・映像



8月22日 8時32分  NHKNEWSweb

多くの海水浴客でにぎわう日曜日のロシアの砂浜に、軍の巨大な水陸両用艦艇が突如現れた様子を撮影した映像が、インターネット上に投稿され、ロシア国防省は、人がいたのは想定外だったとして釈明に追われています。

この映像は、バルト海に面したロシアの海水浴場で18日に撮影され、21日、インターネットに投稿されました。
映像では、大勢の海水浴客でにぎわう、地元で人気の砂浜に、突如全長60メートルものロシア海軍の巨大な水陸両用艦艇が現れ、悠然と上陸する様子が撮影されています。
多くの海水浴客は突然の出来事にしばし立ち尽くして上陸の様子を見つめていましたが、けが人はありませんでした。
ロシア国防省は、軍の演習の一環としてこの砂浜に艦艇が上陸したことは認めましたが、海水浴客がいたことは想定外だったとして釈明に追われています。
地元のメディアからは、実際には艦艇が上陸する砂浜を間違えたのではないかという見方も出ています。 

指揮官は見たら海水浴場に来てしまったことはわかるはずだ。しかし変更はしなかった。阿保ちゃうか。
軍隊や警察という組織は、事前に指示された命令を現実に合わせて変更したら規律違反で重い罰を受けるようになっている。
軍隊は巨大化すると硬直化して国民を守るより、自分たちの規律を守ること、組織を維持する事を優先するようになる。
 それにしてもこの艦艇のデカさにはどぎもを抜かれる。どれだけ重油を喰い、自然破壊を行うのだろうか?
戦艦や軍用機には当然ながら経済性や環境への配慮は一切ない。
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母猫の必死さがモロに伝わる!

2013年08月22日 | びっくり画像・映像

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昨日のランチはメンクイシリーズ「かき揚げ冷やしそば」

2013年08月22日 | ある日のランチ
かき揚げは常備品のすぐれもの冷凍品。三時のお八つは三宮の輸入食品店「サンジルシ」で買ってきたタイ製の“トムヤムラーメン”が旨かった。
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お台場から日の出桟橋まで水上バスに乗りました。On 9th Aug.        

2013年08月22日 | 東京あちこち

水上バスの中は台湾の家族連れの団体客がたくさん乗っていました。日の出桟橋につくと観光バスが何台も待っていました。
円安でアジアからの観光客が増えているという事らしいです。ホテルや観光バス、お店などにとってはありがたい傾向なのでは。


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昨日のランチは「モッツアレラチーズと生ハムと絹かわなす」

2013年08月21日 | ある日のランチ
酒の肴はすこしづついろいろ。
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「もうこれはカレイってレベルじゃない…」世界記録となる大型魚!

2013年08月21日 | びっくり画像・映像
これは大きい!

この巨大な大西洋オヒョウはなんと体重233kg(515ポンド)、体長2.6mを超えている。(それまでの記録は190kg)

釣り上げたドイツ人のMarco Liebenowさんは「潜水艦でも釣り上げたのかと思ったほどの手ごたえだった」と言ったらしい。
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トリオ・ロス・シンキンコウソクの集い@三宮     

2013年08月21日 | 食べる飲む

1人はIT企業の元経営者、1人はオフィス商品メーカーのIT部門の元主幹エンジニア―、1人は機械メーカーの元営業部員。このトリオにはそれぞれ、
現役時代はタバコを一日4箱以上吸い、毎晩の酒を欠かしたことがないという前科があります。そのツケがまわってくるのも当然のこと?二人は心臓のバイパス手術、
1人は冠動脈狭窄でステントが心臓の血管に3個。トリオの1人が最近検査入院して、当面再手術の必要がないという結果が出ました。暑い暑い終戦(敗戦)記念日の8月15日、
阪神三宮駅西口改札午後2時、三人の都合がおりあったので、集合しました。トリオはニューミュンヘン・フラワーロード店へ向かいました。
入院再手術がなくなった祝いという名目です。











ほんま、循環器系の凶状持ちトリオが昼からこんなに飲んでええんかいな??
お二人の先輩とは会社を止めてから知り合い、既に10年の付き合いになりますが、いつまでも飲み仲間が続きますように。

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買ったまま積んでおいた村上春樹が訳した「ロング・グッドバイ」がとても面白い。   

2013年08月21日 | 音楽・絵画・映画・文芸

この夏はあんまり暑いので「立ち飲み屋」に出かける気力もなく積んで置いた本に手を伸ばしています。
 この「長いお別れ」はこんなにこなれた翻訳だとは知らなかった。村上春樹はやはりただものではない。
579頁の厚い本だが読み始めたら面白くて5時間ほどで275頁まで読み進んでいます。


主人公の私立探偵フィリップ・マーロウのセリフで有名なのはレイモンド・チャンドラーが書いた長編シリーズの第7作にして、
チャンドラーの遺作となった『プレイバック』(Playback)の中の:
「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」だろう。
原文は「If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.」

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以下「村上春樹の西宮芦屋」から引用。サイト。

 

阪神間キッズ
   村上春樹の阪神間(西宮・芦屋)の記憶の集積が、彼の重要な資産として多くの作品の中に、隠し絵のように散りばめられていることは、同じ時期に、同じ場所で、同じ空気を吸っていたものだけにしかわからないことかも知れない。 このホームページは、彼と同時代に、この地で過ごした元阪神間少年達によって作られたものである。彼の作品の多くには、阪神間 特に西宮、芦屋の情景が多く描かれているが、その場所が具体的にどこということが書かれるケースは少ない。最新作の1Q84のように、”西宮のヨットハーバー”などと書かれていることは滅多にない。その他の場合は、どことは書いていないので、推測でしかないが、このHPで述べる状況証拠からして、これらが、彼が育った、西宮なり芦屋の風景であることは、間違いがないと阪神間キッズは信じている。 
   
         
      
  (辺境・近境)
 僕は戸籍上は京都の生まれだが、すぐに兵庫県西宮市の夙川というところに移り、まもなくとなりの芦屋市に引っ越し、十代の大半をここで送った。高校は神戸の山の手にあったので、したがって遊びにいくのは当然神戸のダウンタウン、三宮あたりということになる。そのようにしてひとりの典型的な「阪神間少年」ができあがる。・・・・
当時の阪神間は-もちろん今でもそうなのかもしれないけれど-少年期から青年期を送るには、なかなか気持ちのよい場所だった。静かでのんびりとしていて、どことなく自由な雰囲気があり、山や海といった自然にも恵まれ、すぐ近くに大きな都会もあった。コンサートに出かけたり、古本屋で安いペーパーバックスを漁ったり、ジャズ喫茶に入り浸ったり、アートシアターではヌーヴェルヴァーグの映画を見ることができた。洋服といえばもちろんVANジャケットだった。・・・・
 実家はずっと芦屋市にあったが、95年の阪神大震災でほとんど居住不能になって、両親はそのあとすぐ京都に越した、というわけで、僕と阪神間を結びつける絆は、今では―記憶の集積(僕の重要な資産)の他には―もはや存在しない。  
   
     
   
     
 
   
      
 
    
 
 
 
 
   
   阪神間(西宮芦屋)の市民文化
   村上春樹の作品と阪神間
      
 
  阪神間少年・村上春樹 故郷の山と海      西宮芦屋研究所  小西巧治
 
2014年9月28日、兵庫県阪神南県民センタービジョン委員会のあにあんクリエイトのみなさんの企画で阪神西宮駅から阪急芦屋川駅まで70名の参加者と一緒に歩いた。このコースは、阪神淡路大震災のあと作家の村上春樹氏が歩いた道だ。紀行「辺境・近境」の「神戸まで歩く」にこの時のことが書かれている。
 1995年1月17日、未曽有の大地震が、神戸市を中心とした兵庫県南部を襲った。この阪神大震災によって6千人を超える犠牲者が出た一帯は、作家村上春樹氏が幼少期から少年時代を過ごした西宮、芦屋、神戸の市域とほぼ一致する。
  私は、芦屋市で被災したが、その年の8月に勤務先の社命で香港に駐在、その後のシンガポール勤務を含めて計7年の単身赴任を経験した。この間、村上作品の英語版や中国語版が現地で平積みされているのをしばしば見かけた。これを機に、現地の日本人会の図書館で借りたり、古本市で手に入れたりして、発表済みの作品をほぼ読破した。そのうちの一冊が「辺境・近境」で、この本から私は村上氏が隣の小学校に通い、同じ時期に、同じ地域で、同じ空気を吸っていたことを知った。
 村上氏自身、自らを「阪神間少年」だったと「辺境・近境」で語っている。
「静かでのんびりとしていて、どことなく自由な雰囲気があり、山や海といった自然にも恵まれ、すぐ近くに大きな都会もあった。コンサートに出かけたり、古本屋で安いペーパーバックスを漁ったり、ジャズ喫茶に入り浸ったり、アートシアターではヌーヴェルヴァーグの映画を見ることができた。」(「辺境・近境」)
 
 1999年ごろ、村上氏と読者との交流サイトが開かれ、私が送ったEメールに返事をもらったことがある。
 「僕は今、神奈川県の海岸の町に住んでいますが、ここはずっと昔の阪神間の町に雰囲気が似ています。散歩なんかしているとほっとします。逆に今の芦屋や夙川あたりからは、昔の面影がずいぶん消えてしまったような気がします。ほんものの海がなくなったのもさびしいですし。」   村上春樹 拝

 村上氏が小学校高学年から中学生だった1960年代、西宮市沖を埋め立てて石油コンビナートを造成する計画が市議会で可決されたが、地元の酒造メーカーや多くの市民の反対運動により、誘致は白紙撤回された。一方、村上氏が大学に進学した頃から始まった芦屋市浜の埋め立てが1975年に完成し、1978年に高層建築が建てられた。  この海がなくなった失望と喪失の気持ちは、短編集「カンガルー日和」の「5月の海岸線」や「羊をめぐる冒険」など多くの彼の作品に現れている。
 震災から20年が経過した。被災者や遺族の心の傷は計り知れないが、見る限りにおいては、この町のどこが被災したのか、震災のモニュメントだけからしか分からないほど復興した。 確かに、開発で変わった海はもとには戻らない。しかし、自然の甲子園や香櫨園の砂浜も残され、毎年、晩秋から春先までは渡り鳥のサンクチュアリになっている。村上氏が愛した山と海をつなぐ川には、清流にしかすまない鮎が遡上し、山からはカワセミが鉄道の駅や人家の近くまで飛来する。
 そこには、以前とは少しは姿を変えても、多くの村上作品の原風景がある。その作品の中に、隠し絵のようにちりばめられた阪神間の情景を、これからも探し出していきたい。

 

Copyright Since 2009 OFFICE ATSURO KAWAUCHI. All rights reserved.

 

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月刊『神戸っ子8月号(2013年)』は読みどころ満載  

2013年08月20日 | ゲストルーム

◎「神戸っ子8月号」の表表紙から裏表紙までの全ページの記事と写真を、『神戸っ子』のHPで読むことができます。読みどころ満載です。
HPはこちらです。目次を見てHPの興味のある記事にアクセスしてください。

















阿智胡地亭も何回か飲んだことがあるバーです。

注)本エントリ作成にあたり「神戸っ子」顧問、かつM会会長の森岡一孝さんのご協力を頂きました。
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千賀ノ浦部屋の夏合宿が印旛沼のほとりでありました。

2013年08月20日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集
印旛沼の近くにある里山の住人Kさんから便りがありました。
「千賀ノ浦部屋の関取 舛ノ山関はわが印旛郡栄町の出身です。
そんな縁もあり千賀ノ浦部屋の夏合宿がわが町で行われています。












7時から10時まで稽古、午後は近隣の施設訪問が主なスケジュールです。
稽古終了後には後援会によるチャンコが振る舞われました。
ただし調理はお相撲さんですから本格チャンコで、今日は醤油味でした。」
合宿の多くの写真や町の皆さんとの交流の模様はこちらのfacebookにもあります。
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