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琵琶湖の東岸にある高月町には観音菩薩を祀ったお寺がいくつもある。無住のお寺でも ベルを鳴らすと、畑から人が来て門を開けてくれる。 そうか仏にも怒りや笑いや蔑みのこんなに沢山の顔があるのだと知った。もしかすると人間の本性を仏像の顔に仮託して表現したのかなとそのとき思った。 『 1, 頂上部 佛面(如来相)
「生命が30億年以上かけて太古の生命の母体から分化してきたことに由来します。 人間以外の生物や、森や海と一体となることを望み、それに心をいやされることです。」 「人間は他の動物を殺して食べたり、森を切り開いて住まいや畑を造ったりして、他の生物を利用することによって生き延びてきた。 自分の利益のためなら、他を犠牲にして利用し、搾取しても差し支えないと考える本性です。」 「人間が生き延びるためには、社会の人間関係の網の目の中で互いに支え合ってゆかなければならなかった。 困っている人間や動物などを、助けて力になってあげたいと思う本性です」
生命の誕生から死まで、科学技術がとことん介入しコントロールしようとする中で、『何でもできるけど、しない』ことをどこまで自分のこととして受け止められるか。 『足るを知る』哲学が一人ひとりに、一層強く求められる時代に既に入っています。 “生命観の行方” 森岡正博(大阪府立大学)へのインタビュー記事から引用。 |
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