阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
1942年生まれが江戸川区から。

東日本大震災が起こった後の [ 2011年08月01日(月)のブログ ] から     「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリー

2023年09月02日 | 東日本大震災ブログ
2011年08月01日(月)

ほぼ日の糸井さんが児玉龍彦教授のことを取り上げた
東京大学先端科学研究センター教授の児玉龍彦さんが、
 衆議院厚生労働委員会で、
 「放射線の健康への影響」という題で、
 「参考人説明」をしたときの記録動画が、
 どうして多くの人のこころによく届くのか。
 これからのさまざまな問題を考えるときに、
 とても重要なヒントがあると思います。
 
 1)ほんとうにこころのこもった発言に感じた。
  怒りも口惜しさも誠実さも、
  こころから自然に出ているものだということが、
  よく伝わってくる。
 
 2)伝えたいことが、具体的な提案になっている。
  敵を想定して、それへの攻撃するのではなく、
  「どうすればいいのか」を実現するための話である。
  敵か味方かを問題にするのでなく、
  「どうすればいいのか」が共有できて、
  その実現に向うことのほうが重要なのだ。
 
 3)現場を知っている感覚が伝わってきた。
  結論の出にくい問題についても語っているのだけれど、
  「いまそこにいる人の心を感じ取ってきた」
  という臨場感と自信があった。
 
 3つとも、とても大事なことだと思います。
 特に多くの人に届くためには、
 2)の「どうすればいいか」があるかないかが重要です。

 危険や不安について、どれだけ言っても、
 何が「悪」かについてどれほど説明しても、
 未来への夢をどんなに語っても、この児玉さんのように
 「計るしくみを確実につくる」
 「民間業者を入れて除染作業を進めるべきだ」
 「この法律を変える必要がある」というふうな、
 具体的な「どうする」がないと、残念ながら、
 「もっと怒りましょう」キャンペーンになっちゃいます。
 感情を揺さぶることが目的でなかったことが、
 見ている人や、会場の人たちの感情を揺さぶったのです。
 見て、知って、ほんとうによかったと思っています。

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
豪雨のこと大丈夫だろうか、花火中継の準備は進んでます。
 
人がさまよっているときに国会は何をやっているんですか!
筆洗 東京新聞コラム
2011年8月1日

 「七万人が自宅を離れてさまよっている時に国会はいったい何をやっているのですか」。

火を吐くような気迫に衆院委員会室は静まり返った。先週、厚生労働委員会に参考人として呼ばれた東京大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦教授の発言だ

▼教授の試算は衝撃的だった。福島第一原発の事故で漏出した放射性物質は広島原爆の約二十個分。一年後の残存量は原爆の場合、千分の一に減るが、原発から出た放射性物質は十分の一程度にしかならないという

▼福島県南相馬市で自らが手掛けている除染活動を通じ、内部被ばくから子どもを守ろうとする責任感が伝わる発言だった。国会の怠慢を厳しく批判する先には、動きがあまりにも鈍い国への憤りがある

▼細野豪志原発事故担当相は日本記者クラブでの記者会見で「除染作業こそ国家的プロジェクト。福島の皆さんに希望を持っていただける」と語っている。今後、除染作業が兆単位の公共事業になるのは間違いない

▼児玉教授は、民間の技術を結集し直ちに国の責任で除染研究センターを設置するよう求めた。避難住民を無視した利権まみれの公共事業にしてはならない

▼「人が生み出した物を人が除染できないわけがない。福島におけるセシウム除染は、次の世代への日本の科学者の責任である」。教授は医学雑誌にそう記した。学者の良心に希望を感じる。


節電でも景気は大震災前より回復

節電でも衰えない日本経済

一部引用・・

気温が32度を上回る蒸し暑い日が何日も続いた7月が終わりに近づき、実験の暫定結果を確認するときがきた。答えは「機能できる」だ。

東京電力が7月中一度も停電に踏み切る必要がなかったのみならず、ほとんどの日においてニューヨーク市に供給できるほどの電力が余った。

 多くが懸念していた電力不足による経済への影響も特になかった。日本の株式相場は震災前の水準近くにまで上昇し、経済は再び成長し始め、

省エネグッズの需要拡大でむしろ活気づく企業さえ出ている。

全文はこちら

日本企業、業績回復に向け前進-海外M&Aは急拡大  こちら
 



取材記事の劣化と手抜き  大手新聞は撒かれたエサに飛びつくだけ。

慰霊式は報道向けにセットされていた?
「セレモニー記事」が覆い隠すニュースの本質

一部引用・・

世界史に残る悲劇に目を向けず、「イベント」を報道

フォトオプ記事は、記者が能動的に探してきたネタではない。行政や警察などが用意した現実を受け取り、報道する。そもそも作業が受動的なのだ。

 ここでは、報道のアジェンダを取材先が決めている。本来、「社会が何を議論すべきかという議題」(=アジェンダ)を決めることこそが、報道の責務なのだ。

その「アジェンダを決める報道の責務」(アジェンダセッテイング)を報道が放棄しているのがお分かりだろうか。

セレモニー記事は報道に「受け身」で「能動的にネタを探さない」ことを習慣付けてしまう。

「取材先にネタをもらう」のだから、取材先に心理的に借りができる。考えてみれば、これはものすごく危険な罠だ。

  誘惑は強い。手配が簡単だ。短時間の取材、少ない取材人員で紙面が埋まる。つまり低コストだ。しかも写真が絵になる。記者やデスクが飛びつきやすい。

「今日はトップ記事がない」「今日は写真ものがない」と憂鬱なデスクは、まるで砂漠で冷たい湧き水を見つけたかのように吸い寄せられる。

「効率がいい」「能率的だ」という点で、セレモニー取材には誘惑がある。もちろん、セレモニーをセットする側は、そういう報道側の力学は承知でやっている。

「こうした方がお互いにとっていいでしょう」と善意でセットしてくることだって多々ある。この「誰も悪いことをしているつもりがない」のが怖いのだ。

 しかし、報道が原義の「報道」であるためには、能率や効率が最優先にされてはいけないことがある。

手間暇がかかっても、独自のネタを発掘し、それを深く掘り下げる作業が必要な重大ニュースはある。

世界最悪の原子力発電所事故で住民が故郷を追われることが、その重大ニュースでなくて、何だろう。

全文はこちら
 


やってみなければ始まらない
 

一部引用・・

「ぐちゃぐちゃ言ってないで、リスクをとって何かにチャレンジしなさい」。これがハーバード・ビジネススクールの哲学だ。

 その哲学とは一言で言ってしまえば、「ぐちゃぐちゃ言ってないで、リスクをとって、何かにチャレンジしなさい」という、夢と希望と勇気と情熱に満ちたもの。

 エリートなんだから現在の「システム」を利用してその仕組みの中で上手に無難に出世していきなさい、ということとは真逆の「何かを変えなければ意味がない。

だからこの学校で、いろいろなことを教えよう。そして、それを身につけて羽ばたくときがきたら、リスクを取って新しいことをやりなさい。

既存の仕組みをぶっ壊しなさい。世界に影響を与えなさい」

 そんなまっすぐで勇敢な哲学が、この学校を支配し、全員がそれを真剣に信じている。それがこの学校の最大の強みなのでは、と感じていた。

「大企業の出世階段を上ろうなんて安易なことは考えるな」と教わった。

「毎朝鏡を見て、げんなりする日が続いたら、ドキドキ、ワクワクしていない自分を見る日が続いたら考え直して、心がときめくことをやれ」とも教わった。

「リスクをとってチャレンジしない人生を送ることこそ、年をとってから後悔するという、人生最大のリスクを背負っているんだ」とも教わった。

全文はこちら

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