阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

錦糸町に崎陽軒のシュウマイを買いに出かけた。

2021年07月06日 | 東京あちこち

久しぶりに錦糸町の街に出た。直近の錦糸町⇒両国駅から北斎通りを通って錦糸町駅経由 蔵前橋通りを亀戸駅まで歩く    その2 - 阿智胡地亭のShot日乗 (goo.ne.jp)

亀戸までは時々出るが亀戸の隣の錦糸町は最近は行ってなかった。錦糸町の街はいつもと変わらず賑わっていた。

 

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歩行数 5775歩 歩行距離 3.7km

 

 

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今日のシャンツアイ(パクチー)

2021年07月06日 | 花・草・木・生き物

順調に育っている。

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文春リアリズムはいま――バズーカを人々の手に」    リベラル21

2021年07月06日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・・ 文春の「野次馬精神とファクト発掘」は大宅壮一と半藤一利のチームによる作品「日本の一番長い日」として見事に結実した。1945年8月14日から15日の「聖断」に至るドキュメンタリーであった。

《スキャンダル重視に傾いた文春》
 しかし60年以降に時代精神は「経済成長」へと変わり戦後の主流たる進歩的知識人の言説と読者層の現状認識とのズレが拡大した。現在に至る半世紀間のメディア世界の変貌を一行で述べれば、言説の拡散、左翼の退潮、グローバリゼーションの圧勝である。


 「文春リアリズム」における二つの塊の相克は野次馬が強ければ記事はスキャンダルとフェイクに傾き、ファクト重視が強ければ歴史の真実に迫ることになる。

 「文春リアリズム」はどう変化したか。
 全体としてここでも、現在までの50年の潮流に棹さしてきたと観察できる。報道は歴史からエンタメへと変化し、言説自体が短期間の消費の対象となった。

《バズーカを人々の手に》
 人は、文春といえば「文春バズーカ」という。もっともである。その砲弾は政治の中枢を撃っているようで、個人のスキャンダル暴露に終っている。人々はどうしても文春砲炸裂の見物人になりがちだ。人びとが自らバズーカになること――たとえば投票率を20%増やすこと。多様で幅広な共同戦線を組立てること。バズーカを我々の手中にして民主主義を取戻さねばならない。(2021/06/24)   画像クリックで全文に飛びます。

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阿智胡地亭便り⑨  #41 #42  こんな便りを2002年頃からメールで友人知人に発信した。

2021年07月06日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

#41 <イノシシファミリーと福祉事務所の話> 2003.12.08記

その一、 (二日続きでイノシシファミリー)
 
①6日の土曜日20時過ぎ、愛知県豊田市近くの足助町から神戸に帰り、家の横でタクシーを下りた。
後ろでバタバタという鳥の(一瞬カラスかと)大きな羽音みたいな音がした。
 こんな時間に鳥はいないよなと思い、後ろを振り向くと、街灯の下でイノシシ4頭のシルエットが
向こうを向いて走っていった。
そのうち一匹が遅れがちに必死で仲間を追いかけていく。遅れて走っていたのは子犬ほどの大きさのウリンボウだった。
両親とアニキと妹の4頭のような構成だった。

 
ああ、良かったこっちの方にこなくてと思いながら、あせりまくって急いで鍵を開けて家に入った。
今、イノシシが4頭そこにいたと「ただ今」の前に言ったら、野次馬根性旺盛の相方は「大丈夫だった」、
「お帰り」も何も言わず、2階の窓を開けに走り、窓から顔を出して外を見ながら「どこどこ、どこにいるのと」言った。
 
②翌日の7日の日曜日21時前、新三田の大正庵の月例メンバー忘年会の帰り、御影の駅から家の近くまで
ほろよい加減でふらふら歩いていたら、藪の中から突然3頭のイノシシが飛び出してきた。 
大きさはそれほどではなく、中型犬の程度だったのでとりあえずほっとした。
ここでいつものオビエが出てはいかんと気を取り直し、そしらぬ顔で歩く速度を変えずに歩いた。
一匹がすぐ真横を走りぬけ、2匹は向かうか戻るか躊躇したあと藪に戻った。
 
そのまま後ろを見る勇気はなく、黙々と家に向かった。幸い追いかけてこなく彼らは
彼らの目的地に向かったようだった。ここ何年か、家中みな身近に遭遇していたが私は始めての面前の出会いだった。
 今年は気候不順で六甲山の自然の食べ物の生育が良くないのかもしれない。
しかしこういう出会いは、常にオビエて生きている辛好の心臓に良くないのは事実だ。
 
その二、(福祉事務所の契約所員
 
晩飯の時の次女の話:
 友達のTちゃんがこんど、一年契約で福祉事務所に勤めだしたんだけど、
今日電話があってこんな話をしていた。生活保護家庭をまわるのが仕事で、所長から職場の先輩に
しばらくついてまわってくださいと言われて、そのつもりでいた最初の日、一緒に回ることになっていた
職場の先輩に、急に別件が出来たからここへ一人で行ってきてといわれた。
 
新人に対してそれはないんじゃないと思ったけど、仕事やしと思って住所を訪ねてベルを押したら、
「おう、誰やねん」と男の人の声が返ってきてドアを開けてくれない。
ベルを何回か押したが「ウルサイワイ、誰じゃ」という声しかしない。
 よっぽど帰ろうと思ったけど、初めての仕事やしと思って「福祉事務所のものです」と言いながら
ベル押し続けたら「なんやねんウルサイワイ」と突然ドアが開いた。
目の前にはパンツいっちょうの全身刺青のおっさんが立っていた。
瞬間カラダがフリーズした。それでも必死でガタガタ震えながらなんとか規定の質問をして帰ってきた。
 
別の日、一人暮らしの女性の別の住まいに日常訪問をした。
この二人はいつか自分の担当になって、それぞれが定期訪問先の一つになった。
 そんなことを続けていたある日、たまたま神戸新聞を読んでいたら女に包丁で刺し殺された男の記事が出ていた。
いつもならそんな記事の中身は読まないのにどういう訳か、その日に限って読んでいくと、殺された人と殺人容疑者の
名前が自分が定期訪問しているあの二人だった。
 
そういえばこのところ男のほうが留守だった。でも女のほうは殺人があった日と報道された日の後も
訪問時に家にいて何回か話をしていた。そして次女の友達は一番最近に容疑者と会話した人間として、
「ワタシ警察の事情聴取を受けてん」と話したそうだ。
 
4年で転校した小学校の同じクラスになって、中学も同じのあのTちゃんのことだよねと聞くとそうだと言う。
随分タフな女の子になったねと言うと、「そう、一人で喫茶店に入ったら、危ないからだめと親に言われて素直に
大学2年まで守っていたのに子なのに、変われば変わるのよね」と言う。
 
次女の親友4,5人は知っている限り、一人一人皆、時々の学校の先生のお気に入りのタイプの子はいないようだが、
今となれば親を頼りにせず、皆わが道をタフに渡っているような気がする。
どうしているかなと時々彼女たちの事を次女に聞くが、「そんなん、どうでもいいじゃん」とかわされることが殆どだが、
時々こうして大好きな彼女たちの動向が知れるのも楽しい。

#42 <酒蔵の道>  2003.12.23記

その一) 酒蔵の道(サカグラのみち
 
家から浜の方へ真っ直ぐ下っていくと阪急神戸線、山手幹線道路、JR神戸線、国道2号線、阪神電鉄本線、
国道43号線を直角に横切って、灘五郷のうちの御影郷の酒造会社が並ぶ地域に辿り着く。歩いても40分くらいの距離だ。
 
江戸時代から灘五郷と言われているが、魚崎郷、御影郷、西郷の三郷が現在の神戸市東部にあり、
今津郷、西宮郷が西宮市内にある。神戸市の三郷は阪神電車の駅名で言えば、東の方から西へ魚崎、住吉、御影、
石屋川、新在家ときて大石駅までの狭い範囲に全て含まれる。
 
大手の酒造会社はそれぞれ資料館や記念館を開設しており、昔の酒造りの有様や道具・器具類を展示したり、
自社の酒を販売したり、コーナーを設けておいしい出来立ての酒を有料ながら飲ませている。
 
桜正宗記念館、菊正宗酒造記念館、白鶴酒造資料館が魚崎郷にあり、御影郷と西郷には
瀧鯉蔵元倶楽部酒匠館、泉勇之介商店(灘泉)、神戸酒心館、こうべ甲南武庫の里、沢の鶴資料館があり
白い壁の土蔵の間の道が「酒蔵の道」として整備されている。そしてモデルルートの誘導標識も立っている。
  神戸酒心館

 
八年前に震災で壊滅的な被害を受けた地域だが、ようやく全ての施設が復旧して全行程五時間ほどの
ほろ酔いトリップを楽しむ人も増えてきたと聞く。
 
家から車で10分ほどで行ける福寿酒造の神戸酒心館には豆腐と蕎麦料理をメインとする和食レストランが
併設されており、酒もうまいが、豆腐と蕎麦そのものが
うまいせいか豆腐と蕎麦好きの中老年でいつも流行っている。
 
神戸に立ち寄られモダンかつレトロ神戸のスタンダード観光コースを済まされたら
この「酒蔵の道」も一度ためされることをお勧めします。ご一緒に歩きましょうか。
 
その二) <おから>と<いしる>
 
先日の晩、夕食のおかずに「おから」が出てきた。いつものおから料理よりおいしい。
このあいだ蕎麦を食べたあと神戸酒心館の売店で買った「おから」に、今日届いた
「いしる」を入れてみたと言う。いままでのおから料理と旨みが違う。
 
酒心館に併設されている販売店は全国各地の健康食品・調味料・酒器などを
扱っており、味は間違いないものばかりだ。おからもいいものだったのだろう。
 
「いしる」は初めて聞く名前だった。東北の「しょっつる」と同じ魚醤の一種だという。
瓶のラベルを読むと日本三魚醤の一つと書いてある。語源は「いお(魚)のしる」かと書いてある。
魚醤と言うものの中ではベトナムのニョクマムが一番有名だと思うが、日本にも昔からある調味料らしい。
この魚醤醸造法は南方照葉樹林文化にルーツがあると言われている。冷温物流チエーンの発達のお陰で
コープコウベが取り扱いだしたので家でも初めて買ってみたとのこと。生産者は金沢市にある会社だった。
 
酒は「福寿」ではなく買置きの「梅錦」を冷やでやったが、「おから」はこれに良く合った。
 うまいと言うと「でしょデショでしょ」とうるさい。「いしる」を入れたらどうだろうと閃いたのが大正解、
おからにちくわと平天を刻んで入れて、これに生姜、ゴマ、ミリン、お酒、しょうゆと砂糖で整えたと。
確かに好きなおからがこの日はもう一味違っていた。うちの「定番の一品」に登録が決まった。

 

 

酒心館の「さかばやし」でせいろを一枚食べました。

 

2014年07月04日 | 食べる飲む

 

まあまあの手ごたえで打ちっ放しを終えた後、昼時になっていたので御影塚町の「丸亀製麺」に行きました。残念ながら駐車場は一杯で止める場所がありません。
止む無く隣の「酒心館」の「さかばやし」で蕎麦にしました。



支払金額は丸亀製麺の予定額450円の倍になってしまいましたが、「さかばやし」の「せいろ」はひさしぶりでおいしく食べました。



ショップの「東明蔵」はご婦人方で混んでいました。団体客のようでした。やはり山中教授のノーベル賞受賞晩餐会に供された
日本酒「福寿」の蔵元として知名度が上がったのかも知れません。

 朝日新聞の記事から。2012年12月8日03時00分
ノーベル賞晩餐会に神戸の酒
写真:ノーベル賞の晩餐会で振る舞われる「福寿」

 山中伸弥・京大教授が出席する10日のノーベル賞授賞式後の晩餐(ばんさん)会で、神戸市東灘区の神戸酒心館(しゅしんかん)が造る清酒「福寿(ふくじゅ) 純米吟醸」が振る舞われる。
 益川敏英氏らが受賞した2008年の晩餐(ばんさん)会で、スウェーデンの取引先が主催側に薦めてくれたのがきっかけで、日本人が受賞した際の定番になった。
10年に続き3回目の納品だが、今年は地元・神戸大学医学部卒の山中教授とあって酒蔵の喜びもひとしお。「お酒好きと聞く。存分にうちの美酒に酔って下さい」
 

 

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