阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

近頃のお寺の掲示板コレクションから  「おまえも死ぬぞ」

2018年10月06日 | ゲストルーム












コレクションの引用元

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

印旛沼の里山住人夫妻のインド花紀行 そ の5完  タージマハルの観光  10月7日追加あり。

2018年10月06日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

千葉県は印旛沼の近くの栄町に住む会社同期入社のKさんと奥さんの「インド花紀行」その5です。
Kさんとはお互い四国の新居浜市の工場独身寮で出会って昭和41年に「椎(41)の会」という同期会に加入して以来の付き合いです。
⇒最後の日はタージマハルの観光だった。
前の日12時30分にムンナールのホテルを出発してデリーのホテルにチェックインしたのは翌朝午前1時。
4時間後の5時にバスでアグラに向かった。
高速道路の両側には地平線が見える平地で農地だという、時々レンガを焼く工場の煙突が見えた。
この高速道路は国営ではなく私営だという、観光客に自分の経営するホテルに来てもらう道だ。
直線道路で前後を見渡しても車の数は数台しかいない。ここはインドではない。
タージマハルは幸いにも修復工事は行われておらず綺麗な姿を見せていた。

天気も快晴で大理石の白と青空が映えていて、素晴らしい景色だった。
何も勉強せずに行ったがそこは私の素人目にはイスラム建築だったので驚いた。



墓廟フロアーのヤムナー川沿いの日陰では川からの涼しい風が吹き抜けていて街の熱気とは別世界だった。





高速道路のサービスエリアの土産物売り場に枕絵の本が売られていた。ガイドによればインドでは昔から
枕絵があるという。ネパールの観光地では枕絵を高い値段で売りつけている姿を見た記憶がある。
 今回のインド旅行ではバスの移動が30数時間あったのでいろんな景色、人々の暮らしを見た。
いつもの旅行では早朝、夕方にホテルから散歩に行くが、今回はムンナールのリゾートホテルから1回だけ
10分ほど散歩しただけだった。時間がないこともあったが外出する気にならなかった。
      ということで綺麗な写真だけで終わりにします。←
☆私の体験のインドも今回の花の台地のインドもやはりインド。インドは亜大陸と言われるだけあって広大だ。そのインドの民を銃と剣という暴力で制圧し
植民地支配したイギリス人やフランス人やポルトガル人。その歴史を誰も無視できない。はるか東海の小島の国の民とは言え、自国と他国の歴史を知らぬ国民は
国外に出れば現代をも知らぬ三流国の人間として扱われますよね

10月7日Kさんから。⇒ムンナールの街はイギリス人の避暑地として開拓されましたがムンナールに近づくと 村々にはキリスト教教会があった。 ムンナールから山奥へも1時間位走ったが村々にはやはり教会があった。 どう見てもイギリス人用の教会とは思えない。  インドはヨーロッパに占領されただけでなく、ヨーロッパ人により 中東、インド洋の島、南アフリカへ奴隷として連れていかれた。 モーリシャスは無人島だったが大航海時代に発見され、水その他の補給基地として発展していったが インド人、アフリカ人が奴隷として連れてこられた。 例えばモーリシャスの人口は、インド人60%、アフリカ人30%です。 ケープタウンには奴隷として連れていかれたインド人の住むインド街が残っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キャベツなどアブラナ科野菜を食べるほど全死亡リスクが減少

2018年10月06日 | SNS・既存メディアからの引用記事

画面clickで本文に飛びます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする