阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

東京 江戸川区の平井諏訪神社の秋季大祭。        

2016年09月21日 | 身辺あれこれ

平井に住み着いた身内から祭りの写真を送ってきた。

 どこに部屋を借りようかと総武線沿線の各駅を結婚まじかな二人が あちこち探して決めた土地に、なんと立派な諏訪神社があったと後で知って驚いたそうだ。

諏訪人の血を引く彼女が、信州諏訪から勧請されてこの土地の産土神と なっていた平井諏訪神社の祭神に無意識の世界で感応したのかもしれない。

動画⇒まつり巡行記<申>2016年9月18日 <四年毎本祭>本年は陰祭。来年が本祭。 陰祭年は時間短縮して渡御される(神社~平井駅の往復渡御)台輪三尺五寸(106cm)

 大正10年建造 後藤直光作  贅沢な五段の桝組、胴羽目や胴柱、欄間に刻まれた木彫が素晴らしい勾欄造りの宮神輿。

平井諏訪神社は、江戸川区平井にある諏訪神社です。平井諏訪神社は、燈明寺の惠祐法印が、出身地である信州の諏訪大社から神霊を勧請して享保年間(1716-1735)創建、

下平井村の鎮守社だったといいます。明治5年村社に列格、昭和8年四所神社・稲荷神社を合祀したといいます。

平井諏訪神社

平井諏訪神社の概要
社号 諏訪神社
祭神 建御名方命
相殿 天照皇大神、経津主神、誉田別神、大国主神、武甕槌神
境内社 稲荷神社、浅間神社、水神社
住所 江戸川区平井6-17-36
備考 下平井村鎮守

 


平井諏訪神社の由緒

平井諏訪神社は、燈明寺の惠祐法印が、出身地である信州の諏訪大社から神霊を勧請して享保年間(1716-1735)創建、下平井村の鎮守社だったといいます。明治5年村社に列格、昭和8年四所神社・稲荷神社を合祀したといいます。

江戸川区教育委員会掲示による平井諏訪神社の由緒

祭神は建御名方命で、享保年間(1716-1735)、燈明寺の惠祐法印が、出身地である信州の諏訪大社から神霊を勧請したのがはじまりと伝えられます。
境内中央の社殿は、昭和四十二年に命じ百年を記念して建てられ(四十四年完成)、その旧社殿が境内北隅に移築されています。(江戸川区教育委員会掲示より)

「江戸川区史」による平井諏訪神社の由緒

諏訪神社(平井六丁目一七番三六号)
祭神は建御名方命で信濃国一ノ宮諏訪大社の分社である。創建年月は明かでないが享保年間に燈明寺の恵祐法印が生国である信州の諏訪大明神の神霊を当所に祀ったのが始めであるという。その後天保十四年十一月本殿を改築したが、この建物にはすぐれた彫刻があり現在は境内の北隅にある稲荷神社の社殿になっている。明治五年村社に列し、下平井村の四所神社(春日明神)を合祀した。壮麗な今の社殿は昭和四十四年八月に落成した。境内に富士塚があり、乃木希典揮毫の明治三十七八年戦役記念碑がある。(「江戸川区史」より)
コメント
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