阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
1942年生まれが江戸川区から。

今晩咲くと思う月下美人の花芽

2012年07月17日 | 花・草・木・生き物

ほぼ終わりのアガパンサス。

ランタナがこれから咲き続けます。


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木下恵介監督の全作品を上映 映画館はシネ・ヌーヴォ@大阪九条 生誕100年記念で

2012年07月17日 | 音楽・絵画・映画・文芸
木下惠介監督 略歴
1912年(大正元年)12月5日、静岡県浜松市で8人兄弟の4男として生まれる(本名:木下正吉)。浜松工業学校(現浜松工業高等学校)紡績科を卒業後上京。33年、松竹蒲田撮影所に入って島津保次郎監督に師事。40年に徴兵され中国を転戦したが、翌年に戦傷のため帰国。43年に『花咲く港』で監督デビュー、山中貞雄賞を受賞。

 51年に『カルメン故郷に帰る』で日本初の長編カラー映画を発表。54年『二十四の瞳』は日本中を感動の涙で包み、まさに国民映画となる。同年の「キネマ旬報ベストテン」では同作と『女の園』が黒澤明の『七人の侍』を抑えて1位・2位を独占。

 その後も『野菊の如き君なりき』(55年)、『喜びも悲しみも幾歳月』(57年)、『楢山節考』(58年)、『永遠の人』(61年)、『香華』(64年)と大ヒット作、問題作を次々と発表。えてして批評と興行は乖離しがちだが、その双方がいずれも安定して高い希有な存在だった。戦後、貧しい時代に、弱者への助け合いのメッセージを送り続けた木下の映画は希望であり、またその庶民的な視点は、大きく時代を鼓舞しリードするものだった。

 64年、松竹を退社後は、テレビ界にも進出して「木下惠介アワー」などテレビドラマでも一時代を築く。76年『スリランカの愛と別れ』で9年ぶりに映画に復帰。60年代にすでにシナリオが完成していた『戦場の固き約束』の映画化に最期まで尽力しながらも、98年12月30日、脳梗塞のため死去。享年86歳。88年に木下門下の松山善三の『母』と同時公開された『父』が遺作になった。生涯にメガホンをとった映画は49作品。

「木下組」からは小林正樹、川頭義郎、松山善三、勅使河原宏、吉田喜重、山田太一など、多数の映画人が巣立っていった。
(引用はシネ・ヌーヴォのHPから)

上映作品の紹介はこちら
上映日程

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白熊の子 遊ぶ遊ぶ!

2012年07月17日 | びっくり画像・映像
Tom Mangelsen - Polar Play
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うごくザルMoving Sieve

2012年07月17日 | びっくり画像・映像
うごくざる Moving Sieve
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休日のブランチはスモークサーモンサラダ

2012年07月17日 | ある日の肴/夕食
デザートはスイカ。
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夢の国へいざなわれるアルパカの子

2012年07月17日 | びっくり画像・映像
Cute baby Alpaca visiting the land of nod
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滑り台の子パンダたち

2012年07月17日 | びっくり画像・映像
Cute pandas playing on the slide
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