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阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

根津美術館の貴重な「北宋書画精華」展の馬五頭に会いに行った。  館内は中国人と台湾人の観賞者があふれていた。

2023年11月27日 | 音楽・絵画・映画・文芸

 

ほぼ千年前に描かれた馬五頭の姿が見たくて青山の「根津美術館」に行った。

当時から優れた馬ははるかアラブから運ばれたのだ。千年前の五頭のそれぞれの馬は筋肉の動きも見えるようで美しかった。

 馬喰の一人はシルクロードを渡ってきた中東人のようだ。

千年前の前の紙も画材も絵筆跡も目の前にあった。 そして絵そのものはまるで現代絵画のように思えた。

中国 清王朝の崩壊とともに海外へ流失した中国古来からの幻の名品を観ようとしてか、館内は聞こえる声の95%ほどが中国語なのには驚いた。

その殆どの来館者は日ごろ自分の地元の東京東部五区で日々出会う身近な中国人の方々とは違うハイソサエティの身なりと雰囲気の皆さんだったことにも驚いた。

確かに今回の作品は北京と台北の「故宮博物館」に行っても見ることはできない。

 出張したおりの休日に北京と台北で入館した「故宮博物館」も当然周囲は中国語だったが根津美術館の館内の雰囲気はそのときを彷彿するようだった。

 。⇒「2018年に約80年ぶりに再発見された「五馬図巻」(李公麟りこうりん筆、北宋時代、東京国立博物館蔵)をはじめ、日本に伝存する北宋時代の書画の優品が集まる特別展「北宋書画精華」が

11月3日から12月3日まで根津美術館(東京・南青山)で開かれます。

この北宋の書画の神髄に迫る、日本で初めての展覧会に、アメリカのメトロポリタン美術館から「孝経図巻こうきょうずかん」(李公麟筆、北宋時代、元豊8年〈1085〉頃)と

畢世長像ひつせいちょうぞう睢陽五老すいようごろう図巻断簡ずかんだんかん)」(北宋時代、11~12 世紀)の北宋絵画の重要作品2件が特別出品されることになりました。

これにより、北宋を代表する李公麟(1049?~1106年) の2大傑作「孝経図巻」と「五馬図巻」が同じ空間に展示されることとなり、注目を集めそうです」。

五馬図巻(部分)
李公麟筆

  • 重要美術品
  • 中国・北宋時代
  • 11世紀
  • 東京国立博物館蔵
  • 西域諸国から北宋に献じられた5頭の名馬を描いた作品。歴代の中国皇帝が「神品」として高く評価してきたが、清朝末期、20世紀初めに紫禁城を離れ、日本にわたった。1928年(昭和3年)、昭和天皇御大典祝賀記念として東京府美術館(現・東京都美術館)で開催された展覧会に出品、1933年には重要美術品に指定されたが、以降、表舞台から消えた。戦災で失われたとも言われたが、2018年に存在が確認され、翌2019年に東京国立博物館で開催された特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」で展示、話題を呼んだ。李公麟のイメージを覆すものであり、北宋絵画史の書き換えを迫るほどのインパクトをもたらした。

  • 孝経図巻(部分)
    李公麟筆

    • 中国・北宋時代
    • 元豊8年(1085)頃
    • メトロポリタン美術館蔵 
    • 中国の儒学で聖典とされる十三経のうちの一つである「孝経」の内容を章ごとに絵に描き、本文を書したもの。謹直かつ洗練された描線により、気品あふれる画面を作り出す。線を主としながら、山水や樹石には墨の濃淡や点描風の描写も認められ、水墨山水画が大成された北宋時代にふさわしい清新な白描画風を示している。必ずしも具体的ではない本文を、群像表現や風俗描写を含め魅力的な画面に表す構想力にも目を見張らされる。李公麟の書画の研鑽とともに、学識の高さもうかがわせる作品である。
       引用元。

231126根津美術館の庭園

 

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上野国立博物館の表慶館で「横尾忠則 寒山百得」展 をたっぷり楽しんだ。  その2

2023年11月20日 | 音楽・絵画・映画・文芸

NHK「横尾忠則 87歳 絵は“飽きた”けれど・・・描くワケ」⇒こちら

東京国立博物館「横尾忠則 寒山百得」展

 

 

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上野国立博物館の表慶館で「横尾忠則 寒山百得」展 をたっぷり楽しんだ。  その1

2023年11月18日 | 音楽・絵画・映画・文芸

横尾忠則という奇妙な創作者を知ったのは昭和41年ごろの「話の特集」という雑誌でだった。

 それ以来関西での彼のポスター展や美術展を楽しみ、彼のために神戸王子の原田の森にできた「横尾忠則現代美術館」Clickに通うなどして来た。

彼の当初の肩書はイラストレーターだった。彼は変身を続けてきて今は画家になったが本質は変わらないと思う。

 その本質は 「自分が面白いと思うことだけをやり、ユーモアと機知で人を楽しく面白がらせたい」ということだ。

今回の展示作品は百を越えて102作ととなったが どの作品にも「ユーモア」と「本歌取り」の機知の煌めきがあって楽しかった。

今回の展覧会の内容は:

東京国立博物館「横尾忠則 寒山百得」展

Click東京国立博物館 - 展示・催し物 総合文化展一覧 表慶館 「横尾忠則 寒山百得」展 (tnm.jp)

表慶館の館内には今回初めて入ったが、今となっては貴重な古典的建築物で内部設計や意匠も楽しかった。

2311上野横尾忠則展覧会

 

   

NHK「横尾忠則 87歳 絵は“飽きた”けれど・・・描くワケ」⇒こちら

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「西田俊英」という画家の展覧会を国分寺の「武蔵野美術大学美術館」に見に行った

2023年11月15日 | 音楽・絵画・映画・文芸

2023年10月29日(日曜日)にNHKで放映された「日曜美術館」は 、❝“描く”という祈り 日本画家・西田俊英❞だった。

 この番組に取り上げられた絵を見てテレビの前で強く衝撃を受けた。

屋久島clickの自然と画家の全身全霊が一体となった「感覚」が、絵画として表現されている美しさと荘厳さに。

 そして その長い巻物のような絵の全体構想力と緻密をはるかに越える細部のつながりに。

どうしても実際に描かれたそのままの絵を見たくて 某日 国分寺にでかけ、武蔵野美術大学のキャンパス内にある美術館に行った。

 家を出てから美術館まではかなり遠くて 距離的、時間的な自分の実感としては神戸にいた時の家から奈良の春日神社に参詣したのと同じくらいだった。

やはり行って良かった。画家の中には常識を超える超絶な技を持ち、巨木や森林の霊と感応し それを絵画化して人に伝えうる画家がいることがわかったから。

展覧会の会場は圧倒的に年配の女性が多く 女性100人に7,8人の年金族の男性と言う感じの割合だった。

 文化国家日本は女性に限っての話のようだ(笑)。11月19日まで。

屋久島での《不死鳥》制作風景 「西田俊英──不死鳥」| Shunei Nishida – Phoenix

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東京の最東部の区から、西の方の都下の市に行くと、道中「ほんに関東の広きことよなぁ」と目からも耳からもいろんな刺激を受ける。

 その中の一つのことにバス停「津田塾大学」が乗ったバスの途中にあることを知った。

船橋社中札幌支社長のCKKさんや従姉のNさんはここで4年間を過ごしたんだとバスの窓から初めて知ったキャンパスの濃い緑を眺めた。

  • 西武バス「武蔵野美術大学正門」停留所下車すぐ
    • JR中央線「国分寺」駅北口下車
      「国分寺駅北口」4番停留所より「武蔵野美術大学」行
      または「小平営業所」行に乗車(バス所要時間:約25分)

 

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神戸がロケ地のドラマ「たとえあなたを忘れても」10月22日夜10時より放送スタート  阿智胡地亭が神戸時代に慣れ親しんでた地がロケ地になるようや。

2023年10月23日 | 音楽・絵画・映画・文芸

ABCテレビ(大阪府)制作の連続TVドラマ「たとえあなたを忘れても」が、10月22日よりテレビ朝日系24局で放送開始されます。

物語の舞台に神戸の街が選ばれたのは、「山と海がある街の美しい景色がドラマの世界観に合うのでは」というインスピレーションがきっかけだそう。

撮影は『須磨浦公園駅』や『石屋川公園』『摩耶観光ホテル(摩耶観)』『御影公会堂』『阪急御影駅』『水道筋商店街』など、

市内の各地で行われており、放送後のロケ地巡りが捗りそうです♪

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神戸時代に慣れ親しんでた地がロケ地になるようや。阿智胡地亭はこれ見逃したら大変ですわ(笑)。

TVerで視聴⇒こちら

<picture><source srcset="/img/articles/44800-44899/44811/img652f3667b5db8_xl.webp" type="image/webp" /></picture>

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神戸が舞台の新ドラマ  「たとえあなたを忘れても」    10 月22日(日)よる10時スタート

2023年10月03日 | 音楽・絵画・映画・文芸

たとえあなたを忘れても』10月22日(日)よる10時スタート

新ドラマ「たとえあなたを忘れても」10 月22日(日)よる10時スタート

番組紹介⇒こちら

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「BE THE VOICE」25周年記念ライブを楽しんだ。   渋谷・セルリアンタワー東急ホテル二階のライブ&ダイニングクラブ「JZ Brat」で。

2023年09月26日 | 音楽・絵画・映画・文芸

某日渋谷のセルリアンタワー東急ホテル2階にあるタワーサイドテラスの「JZ Brat SOUND OF TOKYO」で「BE THE VOICE」の25周年記念ライブを楽しんだ。

ライブの詳細は⇒こちら

BE THE VOICE」は和田純子さんと鈴木俊治さんのポップス・ユニットで、❝高橋幸宏❞さんがユニット名の命名者だそうだ。

  ユニットは現在の活動拠点を福岡に置いているとか。

 

 ライブは神戸時代は西宮の兵庫県立芸術文化センターで時々楽しんだが、 東京でのライブは杉並公会堂の鈴木直樹さんの演奏会以来だった。

BE THE VOICEのライブはこちらの身にあるすべてのセンサーのスイッチをいれた。だから身もハートも動きに動いた。

 二人が発する豊潤な声と、同じく歌うようなギターの音色に載せたメッセージは、いずれもエネルギーに満ちていて圧倒された。

25年間 ポップス・ユニットの演奏活動を持続させる・・・。凄いことだ。

  それはご本人たちが世に受け入れられ しかも連動する仲間がずっと共に在るということだ。

 

 ご一緒させていただいた栗田さんのお誘いで 滅多に身を置くことのない素敵なライブ時空を体験することが出来た。

終演後 ご親戚になる栗田さんと和田純子さんはなごやかに言葉を交わされていた。

BE THE VOICE new album 'And now' Interview

BE THE VOICE /// 猿の時代 - Monkey era

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映画「TOMORROW 明日」 人間は霧のように空中に消されていいものだろうか。   

2023年08月09日 | 音楽・絵画・映画・文芸

「人間は私の父と母のように、霧のように空中に消されていいものだろうか」

今から78年前の8月9日、両親を長崎の原爆投下で失った人の言葉です。映画「TOMORROW 明日」の冒頭にこの言葉がスクリーンに写しだされました。

1)子供たちが道路でチャンバラをしている遠景に日本人の修道女が二人歩いてくる。

夜、逢引する場面の向うに墓地が見え、その中にいくつか十字架のお墓が見えている。

そして殆ど終盤にマリア像が大写しされる。

見ていてそのことにすぐ気がついた。

キリスト教の日本における布教史の中では、特別な位置を持つ長崎。

その長崎をキリスト教国のアメリカが、広島に次いで人類に対する2番目の一般市民大量無差別虐殺のターゲットにした。

歴史で原爆を習い、また、江戸以前からの日本のクリスチャンの過酷な信教の歴史を知りだしたころ、アメリカ政府は天主堂がある場所を含めて

なぜ長崎へ原子爆弾を投下したのか、自分は単純に不思議に思った。今もその疑問はそのままだ。 


街の中に普通に日本で一番キリスト教が根づいている長崎の街と長崎のひとたち。

黒木監督もそのことが頭にあったのかなあと、そのことが気になりながら映画に見入っていった。

2)黒木和雄監督は先日、残念ながら早い死を迎えられた。その追悼のため戦争三部作と言われる作品の追悼上映が催され、

その最初の上映が1988年制作のこの映画だった。

映画は長崎に原爆が落とされた昭和20年8月9日の前日、8日の長崎市民の一日を淡々と描いている。

肺浸潤のため徴兵されなかった工員(佐野史郎)と長崎医大の看護婦(南果歩)のささやかな婚礼。

夫が出征しているその姉(桃井かおり)の出産。その妹(仙道敦子)と医大生との恋愛。そしてその両親の1日。近所の市電の運転手夫婦の日常。

捕虜収容所のB29の乗員たちの生活も。

皆にとって、7日の昨日もそうであり、9日の明日もそのように続いていくはずだった。

女学生の妹が学校から引率されて工場に向かう9日の朝、道の途中で白雲のわく長崎の空に現れた米軍機をふと見上げた次の瞬間、

画面は白と黒だけに変わり、真っ白な灼熱の空気が強く流れてくる。

そこで映画は何も語らず終わる。

この映画は始まるとすぐ、画面に文字だけが出た。

人間は私の父と母のように、霧のように空中に消されていいものだろうか
(長崎の被爆体験者の証言から)

3)結果的に「父と暮らせば」、「美しい夏キリシマ」、「TOMORROW/明日」という制作年度の若い順とは逆の順番で3本を見たことになった。

どの映画も二十歳前の黒木監督自身の戦時体験が映画を作るモチベーションになっていて、見る順番は関係なくどれも胸のどこかに沁みこんでいく。

人間は突詰めれば 他者に対する想像力を育て、想像力を持つ者だけが人間となり、それを持たぬもの、持てぬ者は人間の形をした一哺乳類のままのような気がするが、

黒木監督はきっと人間の行動に感度の高い想像力があり、自分が生まれた時代に意味を求め、生きる意味をこれらの映画作りに託したのだと思う。

何事もなく過ぎていくと思っていても、次の日には何が起こるかわからない。それは自分の明日にも。

こんなことが通るようではおかしい、変だと言うことを、自分がそのままにしておくとその結果は必ず間違いなく誰の上にも例外なく来る。

黒木和雄と言う人は日本人だけではなく、地球上の人間にそういう強いメッセージを送り続けて生きてきた、ような気がする。

黒木和雄監督 戦争レクイエム4部作予告編

  2006年8月12日 ブログ『阿智胡地亭の非日乗』に掲載

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映画「父と暮らせば」  「夕凪の街 桜の国」  今から78年前の今日広島の街で アメリカが使った核兵器が虐殺した人間たちの二つの話

2023年08月06日 | 音楽・絵画・映画・文芸

阿智胡地亭便り#74「映画 父と暮らせば  宮沢りえと役者の力」    2005年1月31日記 

神戸朝日ビルデイングの地下にある映画館に「父と暮らせば」という映画を見に行きました。


ピカの爆風で倒れた屋根の下に父親が埋まり、猛火が迫る中、彼を必死で救おうとして逃げない20歳の娘を叱咤して、逃げさせた父親。
傷ついた父親を見殺しにして自分だけが助かったと自分を責め続ける娘。


うちはしあわせになったらいけんのじゃ」と彼女のセリフにありました。
 
そのシーンを見ると同時に、10年前に神戸のあちこちで同じような目にあった人が沢山いたことが頭に浮かびました。

元々がもう何度も上演された舞台劇の映画化であるということや、出演者がほぼ親子二人だけと言うこともあり、
セリフは一つ一つが長くて緊張感がありました。それを宮沢りえは美津江という役柄の人に成り切って喋りました。
スクリーンの上には美津江しかおらず、宮沢りえはどこにもいませんでした。

映画が始まってすぐに、私の前から俳優そのものは消えて、今このような人達が目の前にいると思って見ていました。
勿論プロデユーサーと監督がいなければ、また原作と脚本がなければ映画は出来ませんが、引き込まれる映画や舞台には
役者の力も本当に大きいと強く思いました。

広島で勤務していたある夏の暑い日に、たまたま通りかかったビルの壁に銅板がはめ込まれているのに気付き、何気なく読んだら、
「この場所の真上560mの高さで原子爆弾が炸裂しました」と書いてありました。思わず青い空を見上げました。
「その瞬間、爆心地の温度は太陽の表面温度6,000度の2倍の12、000度になりました」とも。


声高に言うこともなく、何も押し付けることもない。ただ自分と同じような人たちがあの瞬間まで生きていて死んだ。
そしてその経験を伝えずにまだ生きている人もいることを映像で伝える。映画というメデイアも凄いけど、そのことを全身で
伝えきる役者というのも凄い職業だなあ、そしてあの役柄になりきった宮沢りえという役者は、どうやったらあんなことが出来るのだろうと思いました。


今回見た映画の主演女優は宮沢りえでした。「たそがれ清兵衛」という映画を見てから、彼女はタレントではなく役者だと思うようになっていました。
そして今回「父と暮らせば」の彼女を見て、前よりもっと強く、この人は凄い役者になっていると思いました。

「たそがれ清兵衛」を見た後、彼女の事はそれまでは、芸能三面記事的なことしか知らなかったなあと思いました。
それはリエママと言われている母親のいうままに操られているタレントであるとか、何かのストレスで大痩せしたとかいうようなことです。

「たそがれ清兵衛」での彼女は役に成り切っていて、その役柄の人間そのものがスクリーン上で動いていました。

吉永小百合という映画女優は随分息が長い女優さんですが、彼女はどんな役を演じても、スクリーンに映っているのはやはり吉永小百合です。
しかし宮沢りえはスクリーン上で宮沢りえではなく、その役柄の人でした。

「いい映画だったから、見て来たら」と相方に言われて、「父と暮らせば」という映画を殆ど予備知識がないままに見に行きました。登場人物はたった3人で、
父親役の原田芳雄とその娘の役の宮沢りえ、もう一人大学助手役の浅野忠信という俳優さんでした。 時代と場所の設定は昭和23年の広島市内です。

映画の初めから終わりまで父娘のセリフは、全部広島弁と言うことは事前に聞いていました。広島言葉も私が好きなことを知っているので、
そのこともこの映画を薦めてくれた理由の一つのようでした。たった3年間広島で単身生活をしただけの私の耳ですから、判別能力は大したことは
ありませんが、私には役者の使う広島言葉は何の違和感もなく、広島に生まれ育った人が終始喋っているように思えました。アクセントも、
そしてセリフにはもっと重要だと思うリズムも完璧でした。(最後に流れるクレジットタイトルで確認したら、広島方言指導になんと
3人の人の名前が出ていました。監督がセリフ回しに完璧を期し、役者もそれに応えたなと思いました。)



解説  引用元


原爆投下から3年後の広島を舞台に、生き残ったことへの負い目に苦しみながら生きている娘と、そんな彼女の前に幽霊となって現れた父との心の交流を描いた人間ドラマ。監督は「美しい夏 キリシマ」の黒木和雄。井上ひさしによる同名戯曲を基に、黒木監督と池田眞也が共同で脚色。撮影監督に「Spy Sarge. スパイ・ゾルゲ」の鈴木達夫があたっている。主演は、「たそがれ清兵衛」の宮沢りえと「HARUKO ハルコ」の原田芳雄。第17回日刊スポーツ映画大賞監督賞受賞、エキプ・ド・シネマ発足30周年記念、芸術文化振興基金助成事業、文部科学省選定、厚生労働省社会保障審議会特別推薦、青少年映画審議会推薦、日本PTA全国協議会推薦、日本映画ペンクラブ特別推薦、東京都知事推奨、広島県知事推奨、長崎県知事推奨、長崎県教育映画等審議会特別推薦、日本原水爆被害者団体協議会特別推薦作品。


ストーリー
1948年夏、広島。原爆によって目の前で父・竹造を亡くした美津江は、自分だけが生き残ったことに負い目を感じ、幸せになることを拒絶しながら生きている。そんな彼女の前に、竹造が幽霊となって現れた。実は、美津江が青年・木下に秘かな想いを寄せていることを知る竹造は、ふたりの恋を成就させるべく、あの手この手を使って娘の心を開かせようとするのだが、彼女は頑なにそれを拒み続けるのだった。しかし、やがて美津江は知...

スタッフ
監督
黒木和雄
脚色
黒木和雄
池田眞也
原作
井上ひさし
企画
深田誠剛
キャスト
宮沢りえ  福吉美津江
原田芳雄  福吉竹造
浅野忠信  木下正

父と暮せば(予告)


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2007年08月09日(木)[阿智胡地亭の非日乗]に掲載。

映画「夕凪の街 桜の国」

相方に誘われて「夕凪の街 桜の国」を見ました。
遠い昔の出来事ではなく、いまこの同じ時間を生きている人にも原爆のことはつながっている・・・そのことをこんなに自然に教えてくれる。
黒木和雄監督の映画「父と暮らせば」で印象が残る「うちは幸せになってはいけんのじゃ」という言葉がこの映画にも出てきてドキッとしました。
真の被害者が我が身を責め、ケロイドの残る身を人から異形の人と差別され、人の目の立たない裏通りで生をつなぎ、やがてこの世から姿を消していく。生きた証もなく。
それらのことを加害国に気を遣ってか、見てみない振りしてきた62年間。

映画が終わって、本屋で原作の漫画を買いました。 自分が知らないだけで世にスグレモノは仰山おられる・・ とまたまた思いました。

嬉しい?
十年たったけど 原爆を落とした人は私を見て
「やった!またひとり殺せた」 とちゃんと思うてくれとる? こんな言葉を考えつく作者の[こうの史代]さんとはどんな人でしょうか。
名前を見てふと、代々歴史を語り継ぐということからつけたペンネームかと思いました。
広島という所は凄い漫画家を生んだものですね。

前段と後段のそれぞれのヒロインを演じた麻生久美子、田中麗奈さん、それ以外の出演者も肩に力をいれず、淡々とありのままに映画の中で生きていました。

10数年前、わずか3年間とはいえ自分が住んだことがある広島の街の言葉がスクリーンに流れ、戦争当時と現代の広島の街並みが映る。
漫画が原作の映画かと軽く見ていましたが、今や小説では描けないものを漫画家が表現してくれることがあると知りました。
誘ってくれなかったら見なかったかも知れないけど、今年これまでに見た映画の中ではBESTの映画でした。

8月6日が、今日9日が、それぞれ広島と長崎に62年前 アメリカという国が、人類の上に史上初めて核兵器という大量無差別殺戮爆弾を落とした日です。

この映画は62年が経過したからこそ出来た映画だと思いました。
次の62年やそれ以上をこれから生きるであろう、今年地球上に生を受けた人類の赤ん坊を守るのは自分たちしかいない。映画を見終わった時そう思いました。

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男はつらいよ 第13作 「寅次郎恋やつれ」を見ていたら 「七人の侍」の❝久蔵❞役を演じた「宮口精二」 さんが出ていて嬉しかった。

2023年07月06日 | 音楽・絵画・映画・文芸

某日 BSで録画していた 男はつらいよ 第13作 「寅次郎恋やつれ」を観ていたら、マドンナ吉永小百合さんの父親役で「宮口精二」さんが出てきたのに驚いた。

中学生時代、映画館で「七人の侍」を見た時、❝久蔵❞ の決闘の場面で自分の体が硬直したのを覚えていて、宮口さんは今も強く強くその印象が残っている俳優さんだ。

  俳優というか役者には その映画や舞台で 与えられた役を「造形」出来る人と、そうではなく俳優としての持ち味のままでやっている人がいる。

映画「七人の侍」で私は本当に❝久蔵❞という浪人が今生きて目の前にいると 感じながらその迫力に打たれていた。

 特に腰に二本の刀を束さんだ❝久蔵❞の少し腰を落として疾走する姿はとても美しかった。

この映画の撮影にあたって 監督の黒沢明は侍役の俳優たちに走る練習を何度もさせたという。当時の人は現代人の歩き方でない「難場(なんば)あるき」をしており

 特に侍は刀をさしているから農民と同じ走りではないと走り方を指導した。その指導は竹刀ではなく本物の刀を差してその重みを感じさせて走らせたそうだ。

だから三船敏郎が演じた百姓上がりの「菊千代」のバタバタした走りと侍の久蔵の走りは映画の中でも違った。

引用元

「男はつらいよ」シリーズを山田洋次監督が作ってくれたおかげで 昭和30年代に最盛期だった日本映画の優れモノの俳優さん、笠智衆さんや

七人の侍のリーダー役を演じた志村喬さんなどもシリーズで顔を見せてくれる。山田監督ありがとう。

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『七人の侍』は、東宝が1954年(昭和29年)4月26日に封切り公開した時代劇日本映画である。監督は黒澤明。白黒、スタンダード、207分。

Wikipedia こちら

勘兵衛が、久蔵が、菊千代が、平八が、七郎次が、勝四郎が、五郎兵衛が、走りに走りそしてまた走る。

映画「七人の侍」をBSの再放送で見たが、いつ見てもこの映画で走る侍の姿の美しさに感動する。 

大小2本の刀を左腰にたばさむゆえに、腰を少し落とした姿勢のままで当時の侍は疾走した。

野球のバットと同等かそれ以上の長さと重さのものを腰に差して走るのだから、訓練なしでは普通に歩くことも出来ない。

江戸時代まで日本人は、腰(はら)が平行移動する「なんば歩き」をしていた。その頭の上下動のない侍たちのなんば歩きの疾走は、

おそらく能舞台での能役者の動きに通じるものがある。

 「なんば歩き」は「難場歩き」の謂いという。つまり踵から足を下ろし親指で前へ蹴りだす、靴を履いた時の歩き方ではなく、

柔らかい草鞋を履いて、舗装のないどんな“難場”の地道でも歩くに適した歩き方を言う。

面白いことに三船敏郎演じる菊千代の走りは他の六人とは違って現代の我々のようにバタバタと走る。

菊千代は百姓上がりの男という設定のせいだろうか、あるいは長刀を肩にかけて走るせいだろうか。

  この映画の凄腕の剣客、久蔵役をやった宮口精二という俳優の決闘の場面は鳥肌が立った。今も宮口精二は印象深い。

  (2009年02月09日(月)「阿智胡地亭の非日乗」掲載)  引用元。

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昨年 日本で 最も多く聞かれ、歌われた曲 上位から三曲 「ドライフラワー」など   YouTube

2023年05月26日 | 音楽・絵画・映画・文芸

優里 - ドライフラワー / THE FIRST TAKE

YOASOBI - 夜に駆ける / THE HOME TAKE

Aimer - 残響散歌 / THE FIRST TAKE

国内の多くの楽曲の著作権を管理しているJASRAC=日本音楽著作権協会は、毎年、インターネット上の音楽配信やカラオケ、

放送などで著作権料の分配額が多かった作品の作詞家や作曲家などに対し「JASRAC賞」を贈っています。

24日「JASRAC賞」発表

前回、国内作品では人気漫画「鬼滅の刃」のテレビアニメの主題歌となったLiSAさんの「紅蓮華」が、2年連続で1位となっていました。

24日、昨年度の分配額のランキングが発表されました。引用元。
 
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  自分の中高校生、社会人現役のころの歌と全く違う。
 
歌の世界も人につれ世につれ 変化を続ける。
 
まこと「常ならず」がヒトの世界でたった一つ変わらぬことかも。
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「七人の侍」と「荒野の七人」、  10代後半にこんな映画を楽しめたのは幸せだ!    

2023年05月09日 | 音楽・絵画・映画・文芸

『七人の侍』は、東宝が1954年(昭和29年)4月26日に封切り公開した時代劇日本映画である。監督は黒澤明。白黒、スタンダード、207分。

Wikipedia こちら

勘兵衛が、久蔵が、菊千代が、平八が、七郎次が、勝四郎が、五郎兵衛が、走りに走りそしてまた走る。

映画「七人の侍」をBSの再放送で見たが、いつ見てもこの映画で走る侍の姿の美しさに感動する。 

大小2本の刀を左腰にたばさむゆえに、腰を少し落とした姿勢のままで当時の侍は疾走した。

野球のバットと同等かそれ以上の長さと重さのものを腰に差して走るのだから、訓練なしでは普通に歩くことも出来ない。

江戸時代まで日本人は、腰(はら)が平行移動する「なんば歩き」をしていた。その頭の上下動のない侍たちのなんば歩きの疾走は、

おそらく能舞台での能役者の動きに通じるものがある。

 「なんば歩き」は「難場歩き」の謂いという。つまり踵から足を下ろし親指で前へ蹴りだす、靴を履いた時の歩き方ではなく、

柔らかい草鞋を履いて、舗装のないどんな“難場”の地道でも歩くに適した歩き方を言う。

面白いことに三船敏郎演じる菊千代の走りは他の六人とは違って現代の我々のようにバタバタと走る。

菊千代は百姓上がりの男という設定のせいだろうか、あるいは長刀を肩にかけて走るせいだろうか。

  この映画の凄腕の剣客、久蔵役をやった宮口精二という俳優の決闘の場面は鳥肌が立った。今も宮口精二は印象深い。

  (2009年02月09日(月)「阿智胡地亭の非日乗」掲載)

映画『七人の侍』(1954)予告編

『荒野の七人』(原題: The Magnificent Seven)は、1960年のアメリカ合衆国の映画。

黒澤明監督の日本映画『七人の侍』(1954年)の舞台を西部開拓時代のメキシコに移して描いたリメイク映画である。詳しくはこちら

七人の侍の西部劇バージョンも楽しみだったが、当時毎週見ていたアメリカの30分テレビシリーズ番組のそれぞれの主演俳優が出ていることでも

見逃すわけにはいかなかった。

The Magnificent Seven • Main Theme • Elmer Bernstein

   ブログ掲載初出  2014年6月16日

 

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詩  此の世界もはじめはこんなであったか        山村暮鳥

2023年05月01日 | 音楽・絵画・映画・文芸

うすむらさきのもやのはれゆく

海をみろ

此のすきとほった海の感覚

おお此の黎明

この世界の黎明もこんなであったか

さざなみのうちよせるなぎさから

ひろびろとした海にむかって

一人のとしよつた漁夫が

その掌をあはせてゐる

渚につけた千鳥のあしあとも

はっきりと

けさ海は静穏かである  (おだやか)

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山村暮鳥 詩集 「雲」

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映画「英国王のスピーチ」を観ました。

2023年04月12日 | 音楽・絵画・映画・文芸
2011年03月05日(土)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
 

シネコンで映画を観だしてから、立ち見が出るという体験を初めてしました。

☆ 人が人に思いを伝える「言葉-母国語」をこれほど大切にしている国があるのかと思いました。

一国のリーダーがその国の全ての階層の老若男女にヒトラードイツとのやむを得ない開戦の詔をラジオで語りかける。

その言葉は特別な王室語ではなく、普通の国語でした。

耳で聞いても子供でもわかる国語。そこには難しい漢文調(ラテン語)は一切なく、初めて耳にする難しい語彙は全くありません。

使う用語で権威を保ち、特別な人と思わせるのではなく、喋る中身で「戦争に勝つべく」国をまとめる。

それが王の役割だと王自身も知り、まわりの高官もそう思っている。

  この連中はやはり恐ろしい。

 人前で喋らないといけない・・と思うだけでもう喉がつまり息苦しくなる。

しかも必死でやろうとすればするほど事態は悪化する一方だ。

強い父親は怒り、我が子をなじり倒す。

なんという情けない息子だ、しっかり演説せんかい、と。

ったく他人ごとではない映画だ。

本人も苦しいが奥さんはもっと苦しい。
そしてその苦しいスピーチを聞かされる国民もやるせなく辛い。

 ここからの奥さん、と言っても現在のエリザベス女王のお母さんの働きが大きくて凄い。

彼女が見捨てていたら現在のエリザベス女王の父親である英国王ジョージ六世は誕生していなかったと思える勢いだ。

ロンドンの町中に住むオーストラリア人の舞台俳優崩れの一くにたみ。
当然彼はただの平民に過ぎない。

彼がいなかったらやはり英国王ジョージ六世は誕生していなかった。

 王家の人間と平民が治療の場で向き合うまでのプロセスも、
ユーラシア大陸の東側の島国ではありえないプロセスだ。

1対1で向き合う二人。息詰まる互いの応酬。こいつは本当にオレを助けてくれる力量のあるタマか。

この皇太子は自分を人間扱いする度量があり、本当に自分で直したいと思っているのか。それはまさに真剣勝負だ。

そして互いに理解できる相手に巡り合った。それでも紆余曲折は多々あり、それがこの映画のホンセンだ。

 イギリスの高貴な身分に対する概念と日本の高貴な身分の概念の違いがわかるのも面白い。

父の英国王が息子にこう言う。

「我々はこの国で一番卑しい職業についているのだ。我々王室の者は役者だ。役者としてしっかり王を演じるしかないのだ」

王もそう思い、くにたみも王様、あなた様は王の役割をしっかり我々が尊敬できるように演じてくださいと。

う~ん! 日本とイギリスはユーラシア大陸の両サイドの同じ島国で同じように王室、皇室制度を持っているのに、

どうして向こうの王さんはここまで現実の世界を生身で生きているのか。

 最初の自信なさげな皇太子は最後のシーンでは、威厳ある完全なる王に変身していた。思わずジーンときた。この俳優の力量を痛感するシーンだった。

義務を果たすために渾身の努力をする男。そして渾身の努力でその手助けをする男。これはそういう二人の男が作った物語でもある。

 これまでアカデミー賞は結構いい加減なもんだと思っていたがこの映画自身は、主演男優賞、脚本賞、監督賞、作品賞をもらって当然かもと思った。

  映画「クイーン」を観たときに感じたことを今回も思った。
つまり、次の英国を担うチャールス皇太子はん、しっかり修行してエリザベス女王の後を継いでや・・そういう大英帝国の全臣民の思いがこの映画を作らせたと。

(映画「クイーン」の感想文)。


この映画のロンドンの街には当然ながら、黒人やうちらアジア人などの有色人種はただの一人も登場しない。現代のロンドンの街を歩けば、

わずか70年ほど前は、そんな時代だったととても想像も出来ない。

想像も出来ないことが起こりうるんですね、きっとこれからも。

この映画も笑ってしまうシーンが本当に多い。この「お笑い」を自然に映画に入れる彼らの余裕は、日本やアジア映画にはなかなかない。

       やはり彼らは恐ろしい。

 余談ながら、満席の観客は4,5人を除いてエンドクレジットが終わって場内が明るくなるまで誰も席を立たなかった。みな余韻を楽しんでいるようでもあり、

製作したスタッフ、キャストへリスペクトの気持ちを表しているようにも思った。

いつものようにエンドロールを見ていくと、スタッフの中に「ローグ家の描写コンサルタント」という文字があった。


コンサルの名前を見るとローグという苗字だった。正確を期すために矯正士(彼は後に騎士号を授与された)の子孫を雇ったようだ。 



 ☆ 王と平民が真剣勝負でサシで渡り合う。

その全ては、豪州人(ロンドンで暮らしている)の吃音矯正者の息子が、皇太子のラジオ放送を聞いて、そのあまりの吃音の凄さに、

「お父さん、あの人を何とかしてあげて」と言ったことから始まった。

 こんな王様とクニタミの関わり合いの映画を作ることが許される英国という社会集団。

アングロサクソンが作った英国の社会は、カタチだけではない血の通った、弱くて強い生身の人間が国を率いている(いた)。

アングロサクソンと言う人間集団が、地球の土地の半分以上を制覇した理由の一端がわかる映画でもありました。

  この連中はやはり恐ろしい。

いずれにせよ、この映画ほど近頃いろんな考えるネタを
くれた映画はありません。

  ☆14時10分開演に間に合うように13時40分に三宮のシネ・リーブルについたら映画館が人であふれていました。

もう立見席しか残っていないというので止む無く次の16時半のチケットを買いました。


 開演20分前に列に並んでいたら、京都から来たんやけどエライ仰山なお人ですなと言う声が聞こえました。もう京都・大阪では上映が終わったのでしょうか。

2時間以上空き時間が出来たので、ジュンク堂へ行き、買おうと思っていた「新潮45 3月号--原節子特集号」、「組織の思考が止まるとき--郷原信郎」、「雑文集--村上春樹」を購入。

・原節子さんの15歳の映像がDVDでついている!


これを買いそびれると悔いが残るので買えて良かったです。

・元検事の郷原さんは民間企業に勤務したあと検事任官し、花の特捜にも在籍した経歴のあるご仁。

彼の書いている著作は下手なミステリーより面白い。まさに事実は小説より奇なりをいつも実感する。

 つまり、いくら権威を装ったところで検察や警察も普通のクニタミがやっていることがわかるのと、だからこそ組織は透明性とチエックが働かないと、

野放図に腐っていく恐ろしさを書き、彼なりの改良改善の具体策を提案していると期待して購入。

・村上春樹の小説は一回も面白いと思ったことがないが、彼のエッセイは週刊朝日に連載された30年ほど前から熱烈なフアンです。

この人は、阪神間の空気とTokio無国籍ゾーンが作ったシティボーイそのものだと思う。

地方都市を渡り歩いて育った自分とは、っとも遠いところにあるから、遊びの余裕がエッセイ中の諧謔に醸し出される彼に憧れるのだと思います。

 

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映画「ソーシャル・ネットワーク」を観ました           2011年02月08日(火)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

2023年03月29日 | 音楽・絵画・映画・文芸

ある意味キワモノ(際物)ともいえる題材をここまで料理する手際の良さに驚いた。開始と同時に物語の中に取り込まれた。

登場人物は通常の3倍ではないかと思うような速度で喋る喋る。この会話の速度に製作者はこの業界をシンボライズさせた。

この映画は終始一貫「しゃべくり」で場面をすすめていく珍しい映画でもある。

 映画は2件の訴訟の和解交渉の場をキーシーンにして、フラッシュバックでそれまでの経緯が物語られる。

この映画はある意味、普通のアメリカ庶民が知らないハーバード大学を軸にしたアメリカの上流階層の今と訴訟社会アメリカの今を見せてくれる。

 そういう意味では、物に価値を置く社会から情報とステータスに価値を置く社会へ変化したアメリカ社会を知るのに最適な映画だ。 

 紙媒体のメディアが死滅することはないが、毎日の新聞やテレビが編集過程に時間をとるだけに発行された時点でもうそのまま、

そのコンテンツは博物館の収納品と同等になってしまう。そんな時代にいまはなったと・・私は実感した。

 

 映画を観ても日本人の私にはなぜ「フェイスブック」があっと言う間に6億人が使うようになったか、その理由は理解できなかった。

(別の学習で「フェイスブック」が持つ相互情報交換のツールが他のsnsに比べてすぐれものでその機能をエジプトなど諸国の若年層が気付き、

そのことが一挙に広がりだした理由の一つらしいことを知った)

Facebookという道具はいまや作り出した人間の意図を越えて、情報を流す道具として現在、歴史上はじめてという速度で自己増殖をはじめている。

Facebookは創業者マーク・ザッカーバーグの手を離れて別の道具に進化を続けている。

  なんべんも書くので気が引けるが「社会を変えてきたのは政治でも経済でもない。社会を変えるのは新技術の出現」だ。

大手メディアの現役経営者に鑑賞をおすすめしたいが、彼らに現実はもうこの映画の先を行っているということがわかるだろうか?

 製作費は相当安上がりだろうこの映画が、アカデミー賞のいくつかの部門にノミネートされているらしい。

どんな時代でもアイデアを出して、それを実現させて人を面白がらせるという才能を人は待っているものだ。

 

 実話に基づきながら訴えられないように事前の法的チエックをして制作されたフィクション。

フェイスブックが世に出るまでと、その後の仲間内からの訴訟を描いたこの映画は、現在のハリウッド映画界の手練れの職人芸で面白く楽しむことが出来る。

 ☆映画を観終わってミント神戸のOSシネマズのエスカレターを下りていく途中で、上りのエスカレーターであがってくる大森一樹監督とすれ違った。

そういえば大森監督はたしか芦屋に住んでいるらしい。

『ソーシャル・ネットワーク』予告編

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