ある意味キワモノ(際物)ともいえる題材をここまで料理する手際の良さに驚いた。開始と同時に物語の中に取り込まれた。
登場人物は通常の3倍ではないかと思うような速度で喋る喋る。この会話の速度に製作者はこの業界をシンボライズさせた。
この映画は終始一貫「しゃべくり」で場面をすすめていく珍しい映画でもある。
映画は2件の訴訟の和解交渉の場をキーシーンにして、フラッシュバックでそれまでの経緯が物語られる。
この映画はある意味、普通のアメリカ庶民が知らないハーバード大学を軸にしたアメリカの上流階層の今と訴訟社会アメリカの今を見せてくれる。
そういう意味では、物に価値を置く社会から情報とステータスに価値を置く社会へ変化したアメリカ社会を知るのに最適な映画だ。
紙媒体のメディアが死滅することはないが、毎日の新聞やテレビが編集過程に時間をとるだけに発行された時点でもうそのまま、
そのコンテンツは博物館の収納品と同等になってしまう。そんな時代にいまはなったと・・私は実感した。
映画を観ても日本人の私にはなぜ「フェイスブック」があっと言う間に6億人が使うようになったか、その理由は理解できなかった。
(別の学習で「フェイスブック」が持つ相互情報交換のツールが他のsnsに比べてすぐれものでその機能をエジプトなど諸国の若年層が気付き、
そのことが一挙に広がりだした理由の一つらしいことを知った)
Facebookという道具はいまや作り出した人間の意図を越えて、情報を流す道具として現在、歴史上はじめてという速度で自己増殖をはじめている。
Facebookは創業者マーク・ザッカーバーグの手を離れて別の道具に進化を続けている。
なんべんも書くので気が引けるが「社会を変えてきたのは政治でも経済でもない。社会を変えるのは新技術の出現」だ。
大手メディアの現役経営者に鑑賞をおすすめしたいが、彼らに現実はもうこの映画の先を行っているということがわかるだろうか?
製作費は相当安上がりだろうこの映画が、アカデミー賞のいくつかの部門にノミネートされているらしい。
どんな時代でもアイデアを出して、それを実現させて人を面白がらせるという才能を人は待っているものだ。
実話に基づきながら訴えられないように事前の法的チエックをして制作されたフィクション。
フェイスブックが世に出るまでと、その後の仲間内からの訴訟を描いたこの映画は、現在のハリウッド映画界の手練れの職人芸で面白く楽しむことが出来る。
☆映画を観終わってミント神戸のOSシネマズのエスカレターを下りていく途中で、上りのエスカレーターであがってくる大森一樹監督とすれ違った。
そういえば大森監督はたしか芦屋に住んでいるらしい。
『ソーシャル・ネットワーク』予告編
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