江差追分で知られる江差町に前泊しましたが、町では歴まち地区「いにしえ街道」が海岸に近く、海抜高表示、津波避難路、避難階段が目立つように整備されています。(南西沖地震では同地区は浸水を逃れたが、約250年前の大津波では波にのまれた記録あり)
港からフェリーで二時間、周囲84㌔メートルの島、奥尻町は19年前の七月13日夜、島の北西で発生した地震により最高痕跡高23メートルの 大津波に襲われ200名以上の命が失われ、被害総額は664億円の惨事となりました。(町の年間予算は50億円)議会事務局木村次長にご案内いただき町役場から最も被害が大きかった青苗地区まで移動。
青苗漁港の避難用人工地盤では、地元の麓町議会議長にもお会いし、お話しを伺いました。
震災直後から全国より多くの義援金が集まり、190億円の義援金を元に復興基金を設置し、流失世帯には 平均約1500万円の復興補助金が給付されました。防潮堤堤防工事と道路の嵩上げ工事に350億円の国費が投入され、集中した復興工事が進み、町は平成10年3月定例議会にて「完全復興」を宣言。
災害の記憶と教訓、全国から寄せられた復興支援への感謝とともに、後世に伝える施設「奥尻島津波館」建設費11億円。津波前に80戸の集落が形成されていた地区は防災集団移転により高台へ移転。
夕方四時に島を発ちフェリーで江差港に戻り、一路函館へ計四時間の道程。視察を受け入れてくださった奥尻町の皆さんありがとうこざいました。蘇った夢の島は将来のテーマを「心かよいあう幸の島」と定めて発災から19年を迎えます。島民皆さんの安心安全な生活がいつまでも続くことを祈っています。