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鹿野道彦も総裁選に立候補か

2011年08月26日 | eつれづれ
70才間近なので経歴も紆余曲折、波瀾万丈な政治家だ。
お父さんは鹿野彦吉衆議院議員でいわゆる二世議員さん。
フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋...。
入党後は政権戦略研究会(羽田グループ)に所属する。当初は領袖である羽田の首相再登板を目指していたが、離脱者の続出や羽田の高齢化などから現在ではあまりグループの行動は見られない。
民主党では入党後から副代表に就任したほか、国会対策委員長や党憲法調査会会長などを務めるが、2002年に業際研事件が発覚。元秘書の経営するコンサルタント会社が公共工事の口利きに関与したとして元秘書が競争入札妨害罪及び収賄罪の疑いで逮捕される。その際、この会社に鹿野が秘書給与を肩代わりさせていた事実が発覚し、2月に民主党を離党。同年、9年間にわたり親族が経営する企業に元秘書3人の給与3390万円を肩代わりさせていた事実も発覚した。その後民主党に復党したが、翌年の第43回衆議院議員総選挙では山形県第1区で自民党の遠藤利明に敗れ、比例復活により辛勝。さらに2005年の第44回衆議院議員総選挙では小泉旋風の煽りを受けて再び遠藤に敗れ比例復活もできず議席を失った。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では遠藤を破り、国政復帰を果たした。ただし、過去に遠藤を破った第42回衆議院議員総選挙に比べて票差は小さく遠藤に約2,000票の僅差まで詰め寄られ、比例復活を許した。この選挙により民主党は政権交代を果たし、鹿野も羽田内閣以来15年ぶりに与党復帰を果たした。9月、衆議院予算委員長に就任。12月に発生した天皇特例会見問題では予算委員長として政府に対し天皇の公的行為に関する統一見解を出すよう要請した。2010年9月、菅改造内閣で21年ぶりに農林水産大臣に就任し通算3度目の入閣を果たした。なお、この内閣改造に先駆けて行われた民主党代表選挙では、支持する候補者を明らかにしていなかったが、菅直人の再選により一時は鹿野の民主党幹事長への起用も取り沙汰された。結局岡田克也外相が幹事長に就任し、農林水産大臣の山田正彦は小沢一郎を支持していたため、鹿野が山田に代わり農林水産大臣に任命された。就任直後、政策秘書が、政策秘書の知人の居酒屋社長とその従業員の間の紛争示談を仲介したことが週刊誌で報道された。

今まで総理、出していない当県だが県民もサッパリ盛り上がっていない現実。このリサージュグラフの如く誰がなっても迷走...期待も無しワケがわからない。もう政権交代、総選挙か消滅の憂き目...公務員、家族含め誰も入れないだろうと。
スッカラ管の異常なネバリのおかげで政治空白、復興サッパリの報道...前に残した、お遍路の最初は延命寺からスタート、これがナント現実となり今までしがみついて来た様だ。
コレでは、幾らお寺まわっても御利益など無いだろうトホホ。


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