BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

十 字 架

2008年03月12日 | 古本
 人にはいろんな種類の死に際があるとして、
アタシは山の遭難死ほど理解も同情も、出来ないものはない。
昭和37年12月も末、11名の大学山岳部パーティが大雪山系
縦走を実行した。だが天候悪化にて結果的に10名が遭難死、生き残ったのは
リーダー1名だけだった。しかしアタシはどうにも割り切れない思いが残る。
リーダーが1名だけ生き残ったという事にではなく、そもそも何故そう経験も
装備も技術も体力もない山岳部が、冬山登山という危険行為をしたのかという事
に尽きる。勿論日常生活にだって、さまざまな予期せずの危険はある。しかし
冬山は別次元の別格だろう。百年に一度の、稀に見る偶然が幾重にも重なった
ような悪天候ならともかく、大雪山系なら一冬で何回でも有りそうな二つ玉
低気圧で、簡単に10人の山登りをする屈強な若者がバタバタと倒れ死に至った。
著者の筆力もあろうが、それ程の天候や山岳部員の極限状況も感じられない中、
滑落し 彷徨し 凍傷死していったのだ。計画を認めた大学山岳部の責任こそ重い。
 文中に、生き残ったリーダーの言として「十人分のいのちを背負って生きるぞ。
十人分の黒い十字架を背負っているのだ。」などの記述がある。
果たしてそうか。人は人の生を生きれるというのか。人の生を背負う事など出来る
のか。アタシはそんなことはありえないと、思う。
断言する。人に人の生や人生を背負うことなど、出来やしない。
一人 一人にそれぞれの別な人生があって、死んだらそこで無に帰すだけだ。

 それにしても、この10名もの遭難死大事故、アタシにはなんの記憶もない。
山の遭難死には子供の頃から冷淡だったのだろうか。
あの時代の前後にあった大きなニユース、樺 美智子さんの死や、アメリカの
ケネディ大統領の暗殺死は、鮮明に覚えているのにね。

「凍れる いのち」 著者 川嶋 康男 白艪舎 定価1600円+税
  (2006年12月29日 初版発行)





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