BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

マチネ

2022年03月06日 | 古本
平野啓一郎の学生時代に「新潮」に投稿した「日蝕」は芥川賞になった。それを新刊で買って読んだがさっぱり分からずで
途中で読むのを断念。それ以来平野本に手を伸ばすことがなかった。それにあんまり古本には落ちていない。今年になって
あまりに読みたい本が無いのでつい買ってみた。するとすっかり読み安くなり、まあ小説だしこんなのもアリかと思えた。
「ある男」は佐藤 正午的でもあり、村上 春樹的でもある。ただ違うのは突然エロい絡みが無い所か(笑)
世界各国で翻訳出版されているというから、案外平野さんがノーベル文学賞候補なのかもしれない。話はまあこんなことも
無いことは無いだろう的内容。
 「ある男」 著者 平野 啓一郎  文藝春秋 定価1600円+税
  ( 2018年10月25日 第3刷発行 )

同時に買ったのは「マチネの終わりに」だ。帯に<切なすぎる大人の恋の物語>とあったせいもある。確かに切ない小説。
「序」も最期の項も何度も読み返してしまった。すっかりアタシも30年は若返った(笑)
しかし一つだけ腑に落ちないところがある。言葉の使い方だ。何十年も本を読んできたアタシでも読めない漢字や意味が
時々使われている。まあそれはいいとしょう。解せないのは主人公洋子に対して3度しか逢ってないギタリスト蒔野がデート
中何度も自分の事を「俺」という。いかにもこの本の内容にそぐわない言葉遣いで、逆にどんな意図があるのか解せない。
ここは普通に「僕」とか「私が」がすんなりくる。著者に聞いて見たいがそんなことしたことないしなぁ。なぜ「俺」なん
だろう。映画化もされている様だから、映画ではなんと言ったのか、ここはレンタルで確かめようか。忘れなければ。
 「マチネの終わりに」 著者 平野 啓一郎  毎日新聞出版 定価1700円+税
  ( 2016年12月1日 第11刷 )※わずか8ヶ月で11刷とは。