BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

は て ?

2010年11月13日 | 古本
 中沢 けいさんの文章は読解力より記憶力が必要とされるくらい、句点から句点
までが長い。それが随所にあって、たとえばP-40ページはこんな具合だ。
 <和泉晶子がレッスンに通っていたピアノ教師の家の庭が幾らか似ていて、もっ
とも向こう方は三倍くらい広く、敷地内に離れ離れに三軒も家が建っているうえに
庭の真ん中に自動車が楽に通れる道がある代々郵便局長を務めてきた家なのだが、
としより二人が丹精した庭に花のない時はなく、房州の土地になじんだ夏みかんや
枇杷はたわわに実り、屋敷回りは赤いやぶ椿の太い樹が囲んでいた。>
 こんな具合で句点の終わりころには頭の言葉や主語も述語も忘れてしまうのさ。
「海を感じる時」(1978年刊)でデビューした当時は、いわば著者と読者に
は同年代という等身大のテーマとか共感が在ったのだと思う。ところがこの作品
「水平線上にて」は1985年、25年前の作品にしてもなお主人公は高校生だ。
そして問題は、高校生が主人公であっても、多分、高校生には読まれないだろうな
とアタシは思うのだ。つまりなにか面倒で、言い回しが屈折しすぎで捕らえ方が
古い。それでおわりの223ページを読み終えたとき、はて?これ何を書いていた
んだっけ?と健忘症のアタシは面食らう。
 アタシ中沢 けいさん好きなんだけどさ・・・。

 「水平線上にて」 著者 中沢 けい  講談社  定価980円
  ( 1985年4月20日 第1刷発行 )