帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第五 賀 (百七十八)(百七十九)

2015-05-01 00:17:29 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任『新撰髄脳』の優れた歌の定義「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って『拾遺抄』の歌を紐解いている。

「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるに違いない。それは、歌言葉の多様な戯れの意味の内に顕れる。


 

拾遺抄 巻第五 賀 五十一首


            (おなじ人の七十賀し侍りけるに竹の杖をつくりて侍りけるに)    元輔

百七十八 くらゐ山みねまでつけるつゑなれば 今よろずよのさかのためにぞ

 

(位山、正一位の・峰まで突いて登った杖なので、今は、寿命の・万世の山坂のためにあるのだ……暗い山ば、頂上まで突いて上った貴身の杖なので、今は、よろず夜の合う坂のために・性のために、突くのだな)

 

    言の心と言の戯れ

「竹…君…男君」。

「くらゐ山…位山…山の名…名は戯れる。官位の山、暗い山」「山…やまば…ものの山ば」「みね…峰…最高峰…絶頂」「つゑ…杖…つくもの…おとこ」「よろずよ…万世…限りなき長寿…万夜…限りなき性」「さか…坂…合う坂…ものの山ばへの上り坂…さが…性…其れは人のさが」「ぞ…強く指示する意を表す」

 

歌の清げな姿は、杖は、めざし上り行く世の坂道の助けになるもの。

心におかしきところは、今や貴君の貴身は、万夜の合う坂のぼる為にある。

 

       一条摂政の中将に侍りける時、ちちの右大臣の賀しける屏風のゑに、松原に
       
もみぢのちりまできたるかた侍りける所に         小野好古朝臣
 
百七十九 吹く風によそのもみぢはちりぬれど ときはのかげはのどけかりけり

一条摂政(藤原伊尹・行成の祖父)が中将であった時、父の右大臣(師輔)の五十歳の賀をした屏風の絵に、松原に紅葉の散ってきた様子を描いたところに、 小野好古朝臣(この時七十五歳)

(吹く風に、他所の紅葉は散ってしまうけれど、常磐の松の木陰は、のどかなことよ……心に吹く風に、他の男の、飽き色の端は散ってしまうけれど、常磐の女の腹の陰はのどかなだなあ)

 

言の心と言の戯れ

「松…女」「原…腹…心のうち」。

「風…秋風…心に吹く飽風」「よそ…他所…余所…松以外の木…男どもの端」「もみぢ…黄葉・紅葉…秋の色…飽きの色」「ちりぬれ…散りぬる…散ってしまう」「ぬる…完了の意を表す」「ときは…常磐…常緑…松…女…お変わりなし…長寿」「かげ…木陰…松陰…陰…(女の)暗い部分」「のどけかりけり…長閑だなあ…ゆったりと時が流れているなあ」

 

 

歌の清げな姿は、常磐の松の長閑な時の流れのような栄光である。

心におかしきところは、飽きくれば散り果てるものだけれど、まつの陰の寿命のように、貴身の陰は長閑だなあ。

 

詞書に「松原」とあるために、歌の「常盤」が「松の常盤」と聞こえ、わかりにくくなっている。「拾遺集」では、次のように、松原は省かれ、歌は「君の常盤」となっている。

 

一条摂政中将に侍りける時、父の右大臣の五十賀し侍りける屏風に

小野好古朝臣

吹く風によその紅葉はちりくれど 君がときはの影ぞのどけき

(吹く風に、他所の紅葉は散り来るけれど、貴君の常盤の栄光ぞ、のどかなことよ……心に吹く飽き風に、他の男木の端は散り繰るけれど、貴君の常磐の陰ぞ、ゆたりとしているのだなあ)

 

「ちりくれど…散り来れど…散り繰るけれど…散りを繰り返す」「かげ…影…光…栄光…陰…貴身…おとこ」。

 

「心におかしきところ」は、右大臣の「かげ」を、あわただしくない、ゆったりしているのだなあと愛でるところ。

 

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。