■■■■■
帯とけの拾遺抄
藤原公任『新撰髄脳』の優れた歌の定義「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って『拾遺抄』の歌を紐解いている。
「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるに違いない。それは、歌言葉の多様な戯れの意味の内に顕れる。
拾遺抄 巻第五 賀 五十一首
(おなじ人の七十賀し侍りけるに竹の杖をつくりて侍りけるに) 元輔
百七十八 くらゐ山みねまでつけるつゑなれば 今よろずよのさかのためにぞ
(位山、正一位の・峰まで突いて登った杖なので、今は、寿命の・万世の山坂のためにあるのだ……暗い山ば、頂上まで突いて上った貴身の杖なので、今は、よろず夜の合う坂のために・性のために、突くのだな)
言の心と言の戯れ
「竹…君…男君」。
「くらゐ山…位山…山の名…名は戯れる。官位の山、暗い山」「山…やまば…ものの山ば」「みね…峰…最高峰…絶頂」「つゑ…杖…つくもの…おとこ」「よろずよ…万世…限りなき長寿…万夜…限りなき性」「さか…坂…合う坂…ものの山ばへの上り坂…さが…性…其れは人のさが」「ぞ…強く指示する意を表す」
歌の清げな姿は、杖は、めざし上り行く世の坂道の助けになるもの。
心におかしきところは、今や貴君の貴身は、万夜の合う坂のぼる為にある。
一条摂政の中将に侍りける時、ちちの右大臣の賀しける屏風のゑに、松原に
もみぢのちりまできたるかた侍りける所に 小野好古朝臣
百七十九 吹く風によそのもみぢはちりぬれど ときはのかげはのどけかりけり
一条摂政(藤原伊尹・行成の祖父)が中将であった時、父の右大臣(師輔)の五十歳の賀をした屏風の絵に、松原に紅葉の散ってきた様子を描いたところに、 小野好古朝臣(この時七十五歳)
(吹く風に、他所の紅葉は散ってしまうけれど、常磐の松の木陰は、のどかなことよ……心に吹く風に、他の男の、飽き色の端は散ってしまうけれど、常磐の女の腹の陰はのどかなだなあ)
言の心と言の戯れ
「松…女」「原…腹…心のうち」。
「風…秋風…心に吹く飽風」「よそ…他所…余所…松以外の木…男どもの端」「もみぢ…黄葉・紅葉…秋の色…飽きの色」「ちりぬれ…散りぬる…散ってしまう」「ぬる…完了の意を表す」「ときは…常磐…常緑…松…女…お変わりなし…長寿」「かげ…木陰…松陰…陰…(女の)暗い部分」「のどけかりけり…長閑だなあ…ゆったりと時が流れているなあ」
歌の清げな姿は、常磐の松の長閑な時の流れのような栄光である。
心におかしきところは、飽きくれば散り果てるものだけれど、まつの陰の寿命のように、貴身の陰は長閑だなあ。
詞書に「松原」とあるために、歌の「常盤」が「松の常盤」と聞こえ、わかりにくくなっている。「拾遺集」では、次のように、松原は省かれ、歌は「君の常盤」となっている。
一条摂政中将に侍りける時、父の右大臣の五十賀し侍りける屏風に
小野好古朝臣
吹く風によその紅葉はちりくれど 君がときはの影ぞのどけき
(吹く風に、他所の紅葉は散り来るけれど、貴君の常盤の栄光ぞ、のどかなことよ……心に吹く飽き風に、他の男木の端は散り繰るけれど、貴君の常磐の陰ぞ、ゆたりとしているのだなあ)
「ちりくれど…散り来れど…散り繰るけれど…散りを繰り返す」「かげ…影…光…栄光…陰…貴身…おとこ」。
「心におかしきところ」は、右大臣の「かげ」を、あわただしくない、ゆったりしているのだなあと愛でるところ。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。