goo blog サービス終了のお知らせ 

帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの三十六人撰 敏行 (二)

2014-08-19 00:05:54 | 古典

       



                    帯とけの三十六人撰



 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。


 藤原公任は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、藤原兼家も道長も、公任(きんとう)を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、改めて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



 敏行 三首(二)


 久方の雲の上にて見る菊は あまつ星とぞあやまたれぬる

 (はるか遠い雲の上・宮中で、見る菊は、天つ星・天子の輝きと、見誤ってしまいました……久堅の心雲の、その上に見る君子は、女の欲しとぞ、あゝ待たれてしまうよ)


 言の戯れと言の心

 「ひさかたの…久方の…枕詞…遠方の、久しぶりの、久堅の(万葉集の表記)、久しく堅い」「雲…心に煩わしくも湧き立つもの…情欲など…広くは煩悩」「見…目ぐ合い…みとのまぐはひ(古事記の表記)…交情・交合…覯(詩経の表記)」「上…殿上…宮中…その上…さらに加えて」「菊…梅・竹と共に君子のこと…漢字(男の言葉)の影響。清少納言は、男どもが悪戯で呉竹をそよろと御簾に差し入れた時、おい子の君か、と言って大いに受けた後、竹が男なんて知らなかったと言い張ったが知っていたのである…長寿の花」「あま…天…女」「つ…の」「ほし…星…輝くもの…欲し…乞いし」「あやまたれぬる…誤ってしまう…見間違えてしまう」「あや…感嘆詞…おお…ああ」「またれぬる…待たれてしまう…(欲しと)期待されてしまう」「ぬる…完了した意を表す」


 

 古今集の詞書は「寛平の御時、菊の花を詠ませ給うける」敏行朝臣。左注に、この歌は、まだ殿上許されなかった時に、召し上げられて(宇多帝に)奉ったという、とある。


 「伊勢物語」によると、敏行は、若き頃、業平から女と恋と歌の手ほどきを受けた。


 古今和歌集 巻五 秋歌下の、この歌の前にある業平朝臣の菊の歌を聞きましょう。とうぜん、歌の様も言の心も同じ文脈にある。


 人の前栽に菊に結びつけて植へける歌  在原業平朝臣

 植へしうへは秋なき時や咲かざらむ 花こそ散らめねさへかれめや

(植えた上は、秋でない時は、咲きはしないだろう、花は散るだろうか・散らない、根は枯れるだろうか・枯れない……ひとの前にわに・植えたからには、飽きが来ない時は咲かないよ、おとこ花こそ、散らさない、根は涸れるだろうか、涸れない、上の声は嗄れるだろうよ)

 

 言の戯れと言の心

 「植う…苗を移し植える…種うえつける…填め込み立てる」「うへし…植へし…植えた…上し…女肢」「上…女の尊称…女」「秋…飽き満ち足り…厭き」「や…感嘆詞…疑問詞」「む…め…推量を表す…意志を表す」「花…菊…長寿花…君子花…男花…おとこ花」「ね…根…おとこ…音…声」「かれ…枯れ…涸れ…嗄れ」「や…反語の意を表す…疑問の意を表す」


 天下の色男に相応しい歌、色好み歌の一つの極みである。



 『群書類従』和歌部「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。



 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様(和歌の表現様式)を知り、言の心を心得る人は、古今の歌が恋しくなるだろう」と述べた。


 藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義が述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。


 清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。


 藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。


 上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されているが、貫之と公任の歌論と清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。


帯とけの三十六人撰 敏行 (一)

2014-08-18 00:09:02 | 古典

       



                    帯とけの三十六人撰



 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。


  藤原公任(ふぢはらのきんとふ)は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、藤原兼家も道長も、公任を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、改めて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



 敏行 三首(一)


 秋きぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる

 (秋がきたと、目にははっきり見えないけれども、風の音のけはいにだ、気付かされた……厭きがきたと、妻にははっきり様子に見えないけれども、心に吹く風の声にだ、はっと気付かされてしまった)


 言の戯れと言の心

 「秋…季節の秋…飽き…厭き」「め…目…女…妻」「風…心に吹く風…よそよそしい風、厭き風などいろいろ」「音…周囲の気配…音信…声」「おどろく…びっくりする…目が覚める…気づく」「れ…る…受身の意を表す」「ぬる…ぬ…完了した意を表す」

 


 女の厭きを、よそよそしい風情や、冷ややかな声などで察知したのだろう。

 この歌は、古今和歌集 巻第四 秋歌上の巻頭にある。詞書「秋立つ日よめる」は、厭きはじめられた日に詠んだ歌とも読める。



 古今集の同じ巻に並んで、次のような歌がある。題しらず、よみ人しらずながら女の歌として聞く、同じ文脈にあって、歌の様も言の心も同じである。


 きのふこそ早苗とりしかいつの間に 稲葉そよぎて秋風の吹く

 (昨日よ、早苗採って・田植したのは、いつの間に稲葉そよいで、秋風が吹く・光陰矢のごとしね……木の夫よ、さ汝枝取り入れたわ、いつの間に、否端そよいで、飽き風吹かすのよ)

 

 言の戯れと言の心

 「きのふ…昨日…木の夫…堅いおとこ」「さなえ…早苗…さ汝枝」「さ…美称」「な…汝…親しきもの」「え…枝…身の枝…おとこ」「稲…いね…すすき(薄)と共に、なぜか、言の心はおとこ」「は…葉…端…身の端」「そよぐ…風に揺れて微かな音を立てる…そ、よく…其・夫、避ける」

 

 藤原敏行は、在原業平の時代と古今集撰者たちの時代を結ぶ重要な人。古今和歌集の巻末を飾るのは、冬の賀茂の祭りの、藤原敏行朝臣の歌である。



 『群書類従』和歌部「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。



 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様(和歌の表現様式)を知り、言の心を心得る人は、古今の歌が恋しくなるだろう」と述べた。


 藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義が述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。


 清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。


 藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。


 上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されているが、貫之と公任の歌論と清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。


帯とけの三十六人撰 頼基 (三)

2014-08-16 00:08:00 | 古典

       



                    帯とけの三十六人撰



 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。

藤原公任(ふぢはらのきんとう)は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、太政大臣藤原兼家も道長も、公任を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、改めて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



頼基 三首(三)


 筑波山いとどしげきに紅葉さへ 道もなきまで散りやしぬらむ

 (筑波山、ますます繁っているために、紅葉さえ道もないまでに、散っただろうか・今頃……つく端の山ば、ますます激しいので、飽き色の身の端も、神仏の道も・人の道も無きまでに、散っただろうか)

 

 言の戯れと言の心

 「筑波山…東国の山の名…山頂は男体と女体の形になっているとか…かがひの地…若い男女集い遊ぶ歌垣…突く端の山ば」「山…山ば」「しげき…繁樹…繁殖・頻繁…度重なる…激しい」「に…原因・理由を表す…により…ために…ので」「もみぢ…紅葉…飽き色の端…もみもみ路」「葉…端…身の端」「路…通い路…おんな」「ぬ…しまった…完了した意を表す」「らむ…(今頃何々)だろう…現在見えない事実について想像・推量する意を表す」



 歌の姿だけをみると、筑波山の秋景色を想像して詠んだ、色気も味気もない、おかしくもない歌である。言の戯れに顕れる「心におかしきところ」こそ、この歌の真髄である。

 

 古今和歌集 東歌(あづまうた)に、この歌と同じ文脈にある、次のような歌がある。

 筑波峰のこのもかのもにかげはあれど 君がみかげにますかげはなし

 (筑波峰のこの面かの面に陰はあるけれど、君主のお蔭に優る蔭はない……歌垣の、この面かの面に、かげはあるけれど、あなたのかげに勝るかげはない)


 言の戯れと言の心

 「筑波峰…筑波山…歌垣の地」「も…面…方面…つら」「かげ…蔭…お蔭…御恵み…影…お姿…陰…いん…ほと」「君…君主…男女相互に用いる、あなた」


 この歌は民謡として、国守の前でも秘かに皮肉をこめて唄える歌であり、歌垣の場でも女も男も唄える歌である。

 「かげ」を「お蔭とお姿」の「掛詞」などと捉えた時すでに「いん・ほと」などと言う意味は消えている。「かげ…蔭…影…陰…ほと」を、言の戯れと捉えれば、その戯れに歌のおかしさが顕れる。

 


『群書類従』和歌部「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。



 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様(和歌の表現様式)を知り、言の心を心得る人は、古今の歌が恋しくなるだろう」と述べた。


 藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義が述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。


 清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。


 藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。


 上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されている。
 貫之と公任の歌論と清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。


帯とけの三十六人撰 頼基 (二)

2014-08-15 00:30:04 | 古典

       

 

 

                    帯とけの三十六人撰

 

 

四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。


 公任(きんとう)は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、太政大臣藤原兼家も道長も、藤原公任を詩歌の達人と認めていた。江戸の学者たちの国学とそれを継承した国文学の和歌の解釈は、公任の歌論を無視した。和歌は鎌倉時代に秘伝となって埋もれ木のようになっていたため、漏れ聞く「古今伝授」の歌の解釈やその方法は荒唐無稽に思えたのだろう。そして、字義どおりに歌を聞き、論理実証的に解釈した。解明された歌の内容は、明治時代に正岡子規よって「古今集はくだらぬ集に有之候」「無趣味」「駄洒落」「理屈っぽい」歌のみと罵倒されるまでもなく、味気も色気もない技巧だけがある歌に見える。「古今集」の歌を、「心深く、姿清げで、心におかしきところ」があるなどと思う人は誰もいなくなった。そして、国文学の合理的解釈方法に異を唱える近代人は誰もいないので、そのまま現代に至る。


 清少納言や紫式部は、今の人々と同じように、和歌を聞いていたのだろうか、大いなる疑問である。江戸時代以来の学問的な訳と解釈方法(序詞・掛詞・縁語などの概念を含む)を棚上げして、平安時代の歌論と言語観に帰り、改めて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。

 

 

 頼基 三首(二)


 我が駒と今日は逢ひくる菖蒲草 おひおくるるや負くるなるらむ

 (わが駒と、今日・端午の節句は、相来るあやめ草・軒に葺きあって、生い遅れると、負けになるのだろうか……わがこ間と、京は合い繰る、あやめ女、感極まり遅れている、めくらむのだろうか)


 言の戯れと言の心

 「駒…五月五日端午の節句に競馬が行われる…こま…股間…おとこ」「けふ…今日…端午の節句…京…山ばの頂上…感の極み」「あひ…相…相互に…逢い…合い」「くる…来る…繰る…繰り返す」「菖蒲草…剣状の葉で・香が強いので、邪気を祓うもの…普段は嫌われ馬も喰わない、駒もすさめぬ菖蒲草と歌にも詠まれる…端午の節句には各家争うように軒に葺く…しょうぶ草…勝負草…勝ち負け女」「あやめ…綾目…筋目…彩め…整った美しい女」「め…草…女」「おひ…生い…(馬を)追い…おい…極まり…感極まり」「まくる…負ける…目暗る…め眩む」


  

 歌は、端午の節句の風物、くらべ馬、菖蒲草を各家の軒に葺くなどを詠んだ清げな姿がある。深い心はなさそうである。「心におかしきところ」は、浮言綺語のような戯れに顕われる色好みなおかしさである。


『群書類従』和歌部「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。



 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。

 
 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様(和歌の表現様式)を知り、言の心を心得る人は、古今の歌が恋しくなるだろう」と述べた。

 
 藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義が述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。

 
 清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。

 
 藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。

 
 上のような歌論と言語観は、今では無視されるか、曲解されているが、貫之と公任の歌論と清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。


帯とけの三十六人撰 頼基 (一)

2014-08-14 00:00:27 | 古典

       



                    帯とけの三十六人撰



 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。


 公任(きんとう)は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、太政大臣藤原兼家も道長も、藤原公任を詩歌の達人と認めていた。江戸の学者たちの国学とそれを継承した国文学の和歌の解釈は、公任の歌論を無視した。和歌は鎌倉時代に秘伝となって埋もれ木のようになっていたため、漏れ聞く「古今伝授」の歌の解釈やその方法は荒唐無稽に思えたのだろう。そして、字義どおりに歌を聞き、論理実証的に解釈した。解明された歌の内容は、明治時代に正岡子規よって「古今集はくだらぬ集に有之候」「無趣味」「駄洒落」「理屈っぽい」歌のみと罵倒されるまでもなく、味気も色気もない技巧だけがある歌に見える。「古今集」の歌を、「心深く、姿清げで、心におかしきところ」があるなどと思う人は誰もいなくなった。そして、国文学の合理的解釈方法に異を唱える近代人は誰もいないので、そのまま現代に至る。


 清少納言や紫式部は、今の人々と同じように、和歌を聞いていたのだろうか、大いなる疑問である。江戸時代以来の学問的な訳と解釈方法(序詞・掛詞・縁語などの概念を含む)を棚上げして、平安時代の歌論と言語観に帰り、改めて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



 頼基 三首(一)


 ひとふしに千世をこめたる杖なれば つくともつきじきみがよはひは

 (一節に千世を込めた杖なので、突くとも尽きないでしょう、あなたの年齢は……ひと夫子に千夜を込めてありますのに、津江なので突くとも尽きなないでしょう、あなたの夜はひは)


 言の戯れと言の心

 「ひとふし…(竹の)一節…人夫子・一夫肢…おとこ」「竹…言の心は男」「節…よ…世…夜」「つゑ…杖…おとこ…津江…おんな」「ば…なので…なのに」「つく…突く…尽く」「じ…打消し推量の意を表す…ないだろう」「よはひ…年齢…夜這い…まぐあい」

 


 大中臣頼基(おおなかとみのよりもと)は伊勢神宮の神祇官、後に祭主となる。この歌は、拾遺和歌集 巻五 賀にある。承平四(934)年、中宮(皇太后藤原穏子)の五十歳の賀の贈り物に、女官たちが、竹で杖を作ったので詠んだ歌という。


 現代の通釈は、この歌には長寿を言祝ぐ心があり、誇張や掛詞の技巧も巧みであると指摘するが、歌の「清げな姿」の範疇に留まっている。和歌はその程度のものではなかったのである。「歌が恋しくなるだろう」「歌には心におかしきところがある」と貫之や公任は言う。俊成は「歌言葉の戯れに趣旨が顕れる。それは煩悩であるが歌に詠めば菩提である」と言う。これらの歌論が通用する世界に和歌はある。その片鱗を、この歌でも見ることができるはずである。


 

『群書類従』和歌部「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。



 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様(和歌の表現様式)を知り、言の心を心得る人は、古今の歌が恋しくなるだろう」と述べた。


 藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義が述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。


 清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。


 藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。


 上のような歌論と言語観は、今では無視されるか、曲解されているが、貫之と公任の歌論と清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。