帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの三十六人撰 頼基 (三)

2014-08-16 00:08:00 | 古典

       



                    帯とけの三十六人撰



 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。

藤原公任(ふぢはらのきんとう)は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、太政大臣藤原兼家も道長も、公任を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、改めて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



頼基 三首(三)


 筑波山いとどしげきに紅葉さへ 道もなきまで散りやしぬらむ

 (筑波山、ますます繁っているために、紅葉さえ道もないまでに、散っただろうか・今頃……つく端の山ば、ますます激しいので、飽き色の身の端も、神仏の道も・人の道も無きまでに、散っただろうか)

 

 言の戯れと言の心

 「筑波山…東国の山の名…山頂は男体と女体の形になっているとか…かがひの地…若い男女集い遊ぶ歌垣…突く端の山ば」「山…山ば」「しげき…繁樹…繁殖・頻繁…度重なる…激しい」「に…原因・理由を表す…により…ために…ので」「もみぢ…紅葉…飽き色の端…もみもみ路」「葉…端…身の端」「路…通い路…おんな」「ぬ…しまった…完了した意を表す」「らむ…(今頃何々)だろう…現在見えない事実について想像・推量する意を表す」



 歌の姿だけをみると、筑波山の秋景色を想像して詠んだ、色気も味気もない、おかしくもない歌である。言の戯れに顕れる「心におかしきところ」こそ、この歌の真髄である。

 

 古今和歌集 東歌(あづまうた)に、この歌と同じ文脈にある、次のような歌がある。

 筑波峰のこのもかのもにかげはあれど 君がみかげにますかげはなし

 (筑波峰のこの面かの面に陰はあるけれど、君主のお蔭に優る蔭はない……歌垣の、この面かの面に、かげはあるけれど、あなたのかげに勝るかげはない)


 言の戯れと言の心

 「筑波峰…筑波山…歌垣の地」「も…面…方面…つら」「かげ…蔭…お蔭…御恵み…影…お姿…陰…いん…ほと」「君…君主…男女相互に用いる、あなた」


 この歌は民謡として、国守の前でも秘かに皮肉をこめて唄える歌であり、歌垣の場でも女も男も唄える歌である。

 「かげ」を「お蔭とお姿」の「掛詞」などと捉えた時すでに「いん・ほと」などと言う意味は消えている。「かげ…蔭…影…陰…ほと」を、言の戯れと捉えれば、その戯れに歌のおかしさが顕れる。

 


『群書類従』和歌部「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。



 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様(和歌の表現様式)を知り、言の心を心得る人は、古今の歌が恋しくなるだろう」と述べた。


 藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義が述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。


 清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。


 藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。


 上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されている。
 貫之と公任の歌論と清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。