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帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの平中物語(三十九)まことや、檜隈川は渡るとは見し

2013-12-14 00:33:26 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、平中の生きざまと人となりが語られてある。

 歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてあるので、それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。



  平中物語(三十九)まことや、檜隈川は渡るとは見し


  まことや(真実だろうか?……ほんとうだ!)、「檜隈川は渡るとは見し」(これは)、富小路殿の右大臣殿の方(女房達)に、いひたるぞ(平中がいった言だ……平中の歌ぞ)。その右大臣殿の御母が(賀茂の)河原にお出かけになられた時に、本院の大臣(藤原時平・左大臣)も、お出かけになられていて、女車(女房の車)より、ご挨拶申し上げたけれど、返事もしないで、お帰りになられたので、女、
 かからでもありにしものをささのくま過ぐるを見てぞ消えは果てにし

(かかわらないでいたらなあ・よかったのに、笹の熊、通り過ぎるのを見てよ、消え果ててしまったわ・あの人……頼らないでいたらなあ・よかったのに、ささの隅、隠れたところ、過ぎるお、見てぞ、消え果ててしまったわ・あのおとこ)。


 言の戯れと言の心

「かからで…係わらず…寄り掛からず…頼りにせず」「で…打消しの意を表す」「ものを…のに…ので…のになあ」「ささのくま…笹の熊…小さな熊…かわいらしい隈…ささの陰」「見…目で見ること…覯…まぐあい」。

 

これを後に、平中、聞いて、女にいひたてまつる(女に申し上げた……女にいい立てまつる)。
 まことにや駒もとどめでささの舟 ひのくま川はわたり果てにし

(ほんとうかな、駒も止めずに・乗ったまま、ささの舟で、檜隈川は、渡り切ったと・あのお人……ほんとうかな、股間もとめずに、ささの夫根、あなたの緋の隈川はわたり、果てたと・彼のおとこ)。


言の戯れと言の心

「こま…駒…こ間…股間…おとこ」「とめで…止めず…停止せず…中止せず」「ささ…笹…くま笹…小…細」「ふね…舟…夫根…おとこ」「ひのくまかは…檜隈川…川の名、名は戯れる。緋の隈川、緋色の隅川」「緋…濃い朱色」「隈…隅…陰」「川…女…をんな」。

 

女、返事、
 いつはりぞささのくまぐまありしかば 檜隈川はいでて見ざりき

(君は・偽っているね、小さな熊たちがいるので、わたしは・檜隈川へは出かけて見なかったの……わざと君は・偽っているのね、かわいいわが隈は色々多々あるので、あの人・緋のくま川は、出て見果てなかったと・言ったのよ)。


 言の戯れと言の心

「ささのくまくま…ささの熊たち…ささの隈隈…ささやかな隠れたこと…秘めたことこと」「いでて…出かけて…出で果てて」「みざりき…見なかった」「見…覯…媾」。


                          (平中物語終り)

「わが大ふねならば、その川わたりきるぞ」、平中は、このように言い寄るだろう。左大臣(藤原時平)の見捨てた女を平中が得るのは、ほぼ確実である。


 

原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。



 以下は、今の人々を上の空読みから解き放ち、平安時代の物語と歌が恋しいほどのものとして読むための参考に記す。


 古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

言葉の意味には確たる根拠も理屈もない。ただその文脈で大多数の人がそうだと思い込んでいるだけである。月は男だとか水は女だとかは、そのように思われていたと仮説して、そうだと思われていた時代の歌や物語で確かめるだけである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。

 

歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。


帯とけの平中物語(三十八)また、この男、市といふところにいでて

2013-12-13 00:11:42 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、平中の生きざまと人となりが語られてある。

 歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてあるので、それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。



 平中物語(三十八) また、この男、市といふところにいでて


 また、この男、市という所に出かけて、(車の簾より)透かして見える姿に、好く見えたので、もの言いかけるのに使いを遣ったのだった。受領(国守)などの娘であった。まだ男などもいなかった。后の宮(宇多帝の后)の女房であった。そうして、男も女も、各々帰って、男、(女の所を)尋ねさせて、遣った(歌)、

 ももしきの袂の数は知らねども わきて思ひの色ぞこひしき

 (百敷きの袂・宮中の女たちの数は、何人か知らないけれど、とりわけ、思い火の・緋色の袂の人が、恋しい……桃色の手もとの数は、多く知らないけれど、分けて、思う、緋色のたもとぞ、乞いしき)。


 言の戯れと言の心

「ももしき…百敷き…宮中…桃色…股色」「たもと…袂…手もと…(女の)手もとのもの」「かず…数…複数…多数」「見し…目で見た…覯した…媾した」「おもひのいろ…思いの色…思火の色…赤…濃い紅…緋の色…表面濃い紅色」「恋しき…恋いした…乞しき…乞い色」。

 

このように、いひいひて(繰り返し言って)、あひにけり(逢ったのだった……合ったことよ)。

その後、文も寄こさず、次の夜も来ず、使用人などは、わたって来たと聞いて、「人もあろうに、このように音沙汰なく、みずからも来ず、使いの人もお寄こしにならないこと・そんなことってある」などと言う。女も心地には思うことなので、悔しいと思いながら、あれこれ思い乱れる間に、四、五日経った。女、ものも食べないで、声あげて泣く。居あわせる人々、「やはり、そのように思いつめないで、人に知られないようになさって、他の事して・気を紛らせてください。いつまでも・そうしておられるべき御身でしょうか」などと言えば、ものも言わずに籠って居て、とっても長い髪をかき撫でて、尼削ぎに切り落した。使う人々、嘆いたけれど、どうしょうもない。

 男が来なかったわけは、あの時来て明くる朝、使いの人を遣ろうとしたけれども、官の督(上司の長官)が、にわかに、出かけられるということで、供に引連れて行かれた。そのまま帰されない。ようやく帰る道で、亭子の院の召使が来て、そのまま参上する。大井にお出かけの御供としてお仕えした。そこにて、二、三日は酔っぱらって、なにも覚えていない。夜が更けてお帰りになられる時に、女のもとへ・行こうとすると、かたふたがり(方角が悪く行けない)ので、皆、人々つづいて方違え(一旦他の方角に)行くので、あの女どう思うだろうかと、夜中に、気がかりだったので、文を遣ろうと書いている時に、人が戸を叩く。「誰ぞ」と言えば、「少尉の君に、申しあげたい」と言うのを、さし覗いて見れば、あの女の付き人である。「文」と、差し出したのを見ると、切った髪を包んである。あやしくて(解せなくて……訝しくて)、文を見れば、

 あまのかは空なるものと聞きしかど わが目の前の涙なりけり

 (天の川、空にあるものとと聞いていたけれど、わたしの目の前の涙の川だったのよ……乳白色の天の川・吾間のかは、空にあるものと聞いていたのに、わがをんなのまえの涙でありました・こんな身のせいで君は)


 言の戯れと言の心

「あま…天…尼…吾間…女」「かは…川…女…かは…疑問の意を表す」「め…目…女」。


 尼になったに違いないと思うので、目の前が暗くなった。返し、男、
 よをわぶる涙ながれてはやくとも 天の川にはさやはなるべき

(世をつらいと思う涙が流れて早くとも、天の川とは、そのようにたやすく成るものだろうか……男女の仲を悲観する涙が流れて激しくても、尼の女とは、そのようにたやすく、成るものだろうか)


 言の戯れと言の心

「よ…世…男女の仲…夜」「わぶ…悲観する…辛いと思う」「あま…天…尼」「かは…川…女…疑問の意を表す」。

 

夜になって、行って見ると、いとまがまがしくなむ(とっても曲がっている曲解しているよ……ひどい災難よ)。

 

  「大和物語」に同じ女の同じ話がある(帯とけの大和物語百三参照)。
 


  原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。



 以下は、今の人々を上の空読みから解き放ち、平安時代の物語と歌が恋しいほどのものとして読むための参考に記す。


 古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

言葉の意味には確たる根拠も理屈もない。ただその文脈で大多数の人がそうだと思い込んでいるだけである。月は男だとか水は女だとかは、そのように思われていたと仮説して、そうだと思われていた時代の歌や物語で確かめるだけである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。

 

歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。


帯とけの平中物語(三十七)また、この男、ひとつをの家に

2013-12-12 00:45:31 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、平中の生きざまと人となりが語られてある。

 歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてあるので、それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。



  平中物語 (三十七)また、この男、ひとつをの家に

 
 また、この男、一つの家で、従姉妹たちが好い女たちとなっていた。はじめは、よろしき(まあまあだな)とも見ていなかったが、いとよくおひいでにければ(すくすくと成長したので)、かの男、心うごいて、どういう時に、もの言いかけようかと思う時に、若菰(緒と共にむしろに編んで寝床などにする……すでに万葉集の歌で言の心は男)があるのを、女、手にとってなんとなくもてあそぶのを見て、
(男の歌)、
 沼水に君はおひねど刈る菰の 目に見す見すもおひまさるかな

(沼水にきみは生えないけれど、刈る菰のように、目に見る見るうちに、成長するなあ……沼、水に、きみは感極まらないけれど、かりするこもが、女に見す見すと、感極り増すのだなあ)。


 言の戯れと言の心

「沼…女」「水…女」「おひ…生ひ…生える…おい…老い(年齢の極まり)…ものの極まり…感の極まり」「かる…刈る…採る・引く・摘む・漁る・狩る・猟する…めとる…まぐあう」「こも…菰…男…おとこ」「め…目…女」「見…目で見ること…娶り…まぐあい」「す…する…巣…洲…女」「かな…感動・感嘆・詠嘆の意を表す」。


 女、返し、

 刈る菰の目に見る見るぞうとまるる 心あさかの沼に見ゆれば

 (刈る菰が、目に見える見る度によ、うとましくなる、心浅かの、安積の沼に見えるので……かりするそのこもが、女に見えると、見るほど嫌な感じになるわ・近寄らないでよ、心の浅い女に見えるから)。


 言の戯れと言の心

「刈・菰・目・見…戯れの意味は上の歌に同じ」「うとまるる…疎ましく感じる…疎遠でありたいと思う…嫌な感じがする」「沼…女」。


とはいうものか(とは言うものか・おどろいただろうこの男、筆者も驚いた)。

 


 広く浅く、決して深みに落ちないように、女をあさるこの男を、よく観察していて、少女はいとこのお兄さんを、浅はかで疎ましいと思っていたのだった。

 

今の人々にとって、「こも」にそんな意味があるだろうか、ということが問題となるだろう。万葉集の菰の歌を一首聞きましょう。巻第十一、正述心緒。

 独り寝と菰朽ちめやも綾むしろ 緒になるまでに君をし待たむ

(独り寝ていると、菰すれ朽ちるかしら、あや織の菰むしろ、緒になるまで、君をし待つわ……――)。


 この女歌の余情の艶は、「こも・を・をし」に、「おとこ」という言の心があると心得る人だけにわかる。


 

原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。



 以下は、今の人々を上の空読みから解き放ち、平安時代の物語と歌が恋しいほどのものとして読むための参考に記す。


 古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

言葉の意味には確たる根拠も理屈もない。ただその文脈で大多数の人がそうだと思い込んでいるだけである。月は男だとか水は女だとかは、そのように思われていたと仮説して、そうだと思われていた時代の歌や物語で確かめるだけである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。

 

歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。

 


帯とけの平中物語(三十六)さて、この男、その年の秋・(その三)

2013-12-11 00:27:52 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、平中の生きざまと人となりが語られてある。

 歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてあるので、それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。



 平中物語 (三十六)さて、この男、その年の秋・(その三)


 (
奈良に宿がえした西京極の女と、奇しくも一つ家で再会して、物越しに色好み歌を交していると、日が暮れたのだった)


 女「なほ、ここに立ち寄れかし(いっそ、ここに寄って来てよ……直、ここに、立ち寄れ、樫)」と言ったので、おぼつかなく尋ねわびつることをよろずにいひかたらひける(男は・今まで当ても無く尋ねあぐねたことを、よろず語ったのだった……おとこは・おぼつかなくここを尋ねあぐねたことをよろず言い、堅ら、ひける)


 言の戯れと言の心

「なほ…猶…いっそのこと…やはり…直…すぐ…直立…汝お…君のおとこ」「かし…強く持ちかける言葉…強く念を押す言葉…樫…堅いもの」。

「かたらひける…語らったのだった…情けを交したのだった…堅らひける」「かたら…堅の状態で…片ら…一方的に」「ら…状態を表す」「ひ…ひる…体外に出す」。

 

明けゆけば、仮病してでも、ここに・留まっていたかったけれど、妙に親には従う人で、夜の間、他に離れて居るのさえ、このような旅であっていいものかと思って、同時に嘆きながら、女と情けを交しつつ、どうして留まろうかと、心に思って、明けたので、男「立ち返り、必ず参り来るつもりだ、この度は待っていて、わが志のあるなしを見てください」と言って、親の居る南の屋敷に帰る。そうして遣る(男の歌)、

 朝まだきたつそらもなし白波の 返る間もなく返り来ぬべし

(朝早過ぎて真っ暗、飛び立つ空もない、白波のうち返す間もなく、帰ってくるだろうよ……浅くて未だ絶つ心は真っ暗だ、白汝身のうち返す間もなく、帰って来てしまうだろうよ)。

 

言の戯れと言の心

「しらなみ…白波…白くなっ汝身…果てたわがおとこ」「な…汝…親しき物のこと」。

 

と言ったので、「それでは、どうしましょう。すぐに帰って来てください、遅れれば、えしもたいめんせじ(お逢いできないでしょう……この世では対面できないでしょうよ)」と、

 待つほどに君帰り来て猿沢の 池の心を後に恨むな

(待つ程時を経て、君が帰って来て、猿沢の池の心を、わたくしが身投げした・後に、その時どうして干あがらなかったのかと・恨まないでね……待つ程に、君返り来て、去る女の逝けの心を、後になって、愛しい女の黒髪を池の玉藻と共に見るかなしさよと・後悔しないでね)。

 

言の戯れと言の心

「さるさは…猿沢…池の名…名は戯れる、さる女、そのような女」「沢…女」「いけ…池…女…逝け…死」。昔、猿沢の池に身投げした采女と、その後の、帝の御歌と人麻呂の名歌は「帯とけの大和物語(百五十)」を参照してください。

 

皆、出立して、馬に乗る時に、この男苦しくなって、こんなふうに言うからとて、確かに立ち帰ってくるつもりだからと、言おうかどうかと思ったけれど、そうしては、長居して、少しにしろ遅れると、親の心を、実に慎んで気遣っていたので、女の許へ・行くことはできず、このようなことを言い遣る。
 おほかたはいづちもゆかじ猿沢の 池の心もわが知らなくに

(たいていは、しばらく・何処へも行かないだろう、猿沢の池の心も、何のことか・我は知らないからな……おほ堅は、どこへも逝かないだろう、遠く離れ・去る女の逝けの心も、われは感知しないのだなあ)。


 言の戯れと言の心

 「おほかた…大方…普通は…たいてい…おお堅…大きく堅い」「お…ほ…おとこ」「さるさは…猿沢…そのような女…遠く離れ去る女」「いけ…上の歌に同じ」「なくに…。

 

 かくことばぞや(斯く口伝えか……書く言葉か・これは)。

                           
(第三十六章終り)。

女を離れがたくさせる一夜かぎりの交情である。男は親を京まで送り、とんぼ返りしてきて、女と幸せに暮らしたとさ、という話ではない。

 


 

原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。


 


帯とけの平中物語(三十六)さて、この男、その年の秋・(その二)

2013-12-10 00:06:25 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、平中の生きざまと人となりが語られてある。

 歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてあるので、それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。



 平中物語 (三十六)さて、この男、その年の秋・(その二)


 さて(西京極の女のことは忘れて年月経って)、この男の親(平好風・桓武天皇の曾孫にあたる御方)、お忍びで初瀬(長谷寺)に詣でた。供に、この男も詣でたのだった。「男山越ゆばかり」とある歌を思いだして、「哀れ、そう言った女がいたなあ」と、供の人に話した。そうして、初瀬に詣でたのだった。

帰り来る途中に、あすかもとという辺り(元興寺、猿沢の池、興福寺のある辺り)に、知り合いの大徳(僧)たちも俗人もでてきて、「今日は日も下になった。奈良坂の辺りには人の泊まり宿は無い。今宵は・ここに逗留なさいませ」と言って、門並びに、家二つを一つに造り合わせた、風情のあるところに留めたのだった。それでそこに逗留したのだった。(この奈良は平好風の故郷である。桓武帝以来のゆかりの人々がいた)接待し、一行の人々、もの食って騒がしかったのが静まって、ほぼ夕暮れになったのだった。この男、門の方で、たたずんで見た。この南側の家の門より、北側の家までは、楢の木というのが並べて植えられてあったのだった。「普通ではないなあ、異なる木がなくて、こればかりが」と言って、この北側の家に入って、さし覗いたところ、しとみなど上げて、女たちも多数集まって居る。「あやし」などと、仲間たち集まって、この男の供の人を呼び寄せて、「この、覗いておられる人は、この南に宿って居られるのか」と問う。「そうです」「それで、その人は――」など問えば、この男の名を答えたのだった。とっても大げさに、自分たちであゝびっくりよといい、あはれがりて(しみじみと感激して……懐かしがって)、「わたくし、何時だったか、築地の崩れより一目見たのを忘れないわ」、それを、ほのかに聞いて居て、この男は、「それなるべし(そうに違いない)」と思って、ふしぎなことだなあ、此処というところに、このように宿ったことよと思うと、嬉しくもあり、また、男が迎えて住まわせたのかなどと、あれこれと思い乱れていると、このように言いだした。(女の歌)、
 くやしくぞ奈良へとだにも告げてける たまぼこにだに来ても問はねば

(悔しくてよ、奈良へとまでも告げたわねえ、便り届ける人さえ道を・来て尋ねもしない……くやしいわ、寧楽へ共にとさえ告げたことよ、玉のおこさえ、来て、如何かと・問わないのですもの)。

 

言の戯れと言の心

「なら…奈良…寧楽…京…絶頂」「たまぼこ…玉矛…便り…道…便りを届ける人」「ほこ…矛…おこ…おとこ」。

 

と書いて、差し出したのを見れば、あの「にはさへ荒れて」と言った人の筆跡である。(京の都……感の極み・寧楽)さえ、なまゆかしう(何となく恋しく……生々しくも感じたく)なりゆくので、あはれしうをかしうぞ(哀れで、おかしい人だなあと……あゝと漏らしそうな魅力ある歌だなあと)思えたのだった。さて、硯、乞いだして、このように、(平中)、
 ならの木のならぶ門とは教へねど 名にやおふとぞ宿はかりつる

(楢の木の並ぶ門とは教えなかったけれど、ならという名が付いているぞと、あなたを思い・宿は借りた……あなたが寧楽の気の並べ慣れた門とは教えなかったけれど、わが汝にや、感極まるかと、屋門はかりたのよ)。

 

言の戯れと言の心

「なら…楢…寧楽」「ならぶ…並ぶ…つぎつぎと…かさねる」「かど…門…女」「おふ…負う…おう…ものの極みとなる…感極まる」「宿…やと…屋門…女」。

 

と言ったので、「あな、うちつけのことや(あらまあ、取って付けたようなことねえ)」と言って、また、このように言ったのだった。
 門すぎて初瀬川まで渡れるも わがためにとや君はかこたむ

(わが門すぎて、初瀬川まで渡ったのも、わたしを探し求めるためだとか、君はかこつけるのでしょう……わが門すぎて、初背女の許まで渡ったのも、わたしのためだとか、君は他人のせいにするのでしょ)。


   言の戯れと言の心

   「初瀬川…川の名…名は戯れる。初背女、初めての女」「川…女」。


とあったので、この男、このように、言い入れたのだった。

 「聖徳太子の家とぞ求めける、のどめきてよ(道に迷える哀れな旅人を御救いくださいと・聖徳太子の家を求めたのだ、あなたは和んで・のどかな感じになってよ)」。

 ひろのもの君もやわたりあふとてぞ初瀬川まで我が求めつる

(人は色々のもの、あなたも渡っていて逢えるかもとね、初瀬川まで我が探し求めた……色のもの、あなたこそ、わたり合えるその人かとだ、初背女までも我が探し求めてきた)。

 

言の戯れと言の心

聖徳太子には、一旅人を心より思う歌がある。またその教えの一つは「和をもって貴しとなし、さからうこと無きをむねとせよ」である。

「ひろのもの…いろのもの…色のもの」「ひ…い」「色…色々…様々…色気…色情」「わたりあふ…渡り逢う…渡り合う…対等に対応する…対等に組み合う」。

 

そのように言ううちに、暗くなったのだった。

                               (つづく)



  原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。