帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの土佐日記 正月廿七日・廿八日(風吹き波荒ければ)

2013-02-08 00:04:33 | 古典

    



                          帯とけの土佐日記


 土佐日記 正月廿七日・廿八日


 廿七日風吹き、波が荒いので船は出ださない。だれもかれも、ひどく嘆く。男たちが慰めに、漢詩に「日をのぞめば、みやことほし(遠い太陽を眺望するのに、都は見えず遠いことよ…男の・思い火を望めばいつも、宮こは遠い)」などという言葉の内容を聞いて、或る女の詠んだ歌、

ひをだにもあまぐもちかくみるものを みやこへとおもふみちのはるけさ

(日さえも天雲近くに見るものを、都へと思う路の遥かな遠さよ……おとこの情の火さえ、あまの心雲ちかく見るものを、宮こへと思う路のはるかなことよ)

また、あるひと(或る女)が詠んだ、

ふくかぜのたえぬかぎりしたちくれば なみぢはいとゞはるけかりけり

(吹く風が絶えない限り、波は立ってくるので、波路はたいそう遥かに遠いことよ……心に吹く風が絶えない限り、心波立ってくるので、汝見じはとっても遥かに長いことよ)

一日中、風やまず。つまはじき(爪弾き…夫弾き)して寝た。


 廿八日。夜もすがら雨やまず。今朝も。


 言の戯れと言の心

 「日…太陽…男…火…燃ゆる思いの火」「のぞめば…眺望すれば…眺められるのに…望むといつもそうである」「ば…幾つかの意味を孕んでいる助詞…ので…のに…のときはいつも」「みやこ…京…宮こ…極まり至ったところ…絶頂」「あまくも…天雲…女の雲」「雲…煩わしくも心に湧きたつもの…情欲など」「み…見…覯…媾…まぐあい」「かぜ…風…心に吹く風」「なみぢ…波路…波立つ人の世の路…汝見じ…なを見ない」「な…親しきものの称…あなた…おまえ…それ…これ」「つまはじき…爪弾き…指弾き…夫(妻)はじき…夫拒否」。

 


 おとなの女の歌二首。いずれも清げな姿がある。絶艶とか妖艶とは言えないが、心におかしき生の女の心がある。来つつなお行き先の「なみじ」遥かな、深い心がある。

藤原公任のいう優れた歌の定義、「およそ歌は、心ふかく、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし(新撰髄脳)」に適っている。


 伝授 清原のおうな
 
聞書 かき人知らず (2015・11月、改定しました)

 
原文は青谿書屋本を底本とする新日本古典文学体系土佐日記による。


帯とけの土佐日記 正月廿三日~廿六日(日照りて曇りぬ)

2013-02-07 00:08:49 | 古典

    



                                         帯とけの土佐日記 



 土佐日記 正月二十三日~二十六日

 
廿三日。日が照って、のち曇った。このわたり(阿波国の海に入った辺り)海賊の恐れありと云うので、神仏を祈る。


 廿四日。昨日の(名も知らぬ所と)、同じ所である。


 廿五日。船頭らが「北風が悪い」と言うので、船は出さない。海賊が追って来るということ、絶えず聞える。


 廿六日。ほんとうだろうか、海賊、おふ(追う…迫り来る)と言うので、夜中ばかりに船を出だして漕ぎ来る、海路に手向けする所がある。船頭に幣を奉らせるときに、ぬさのひむがし(幣が東…ぬさが
が肢)へ散るので、船頭が申して奉る言葉は、

このぬさのちるかたに、みふねすみやかにこがしめたまへ(この幣の散る方向に、御船速やかに漕がしめ給え……このぬさのちる方に、身夫根、すみやかに、こがせてください)」

と申して奉る。これを聞いて、あるめのわらは(或る女の童…ある女のわらは)が詠んだ、

わたつみのちふりのかみにたむけする ぬさのおひかぜやまずふかなむ

(渡る海の千はやぶる神に手向けする幣の追い風、止まず吹いてほしい……わたつ身の血早やぶる女に、手向けするぬさの感極まる心風、止まず吹いてほしい)

と詠んだ。この間、風が良いので、船頭、たいそう得意そうにして、船に帆をあげたりして喜ぶ。その音を聞いて、童も老婆も何時かはと思うからかしらね、たいそう喜ぶ。この中で、あはぢのたうめ(淡路の老女…合わじの老女)という人が詠んだ、

おひかぜのふきぬるときはゆくふねの ほてうちてこそうれしかりけれ

(追い風が吹いたときは行く船の帆手打ってだよ、嬉しがることよ……極まりくる風が心に吹いたときは、逝く夫根の、おて打って、嬉しいがることよ)。

とだ。天気のことについて祈る。


 言の戯れと言の心

 「おふ…追う…老う…極みに近づく…緊迫する」「ひむがし…東…都の方角…嬪が肢」「めのわらは…女の童…ひんがしにあるめのわらわ」「わたつみ…海」「ちふり…ちはやふる…霊力・威力の強い…血早ぶる…血気盛んな」「かみ…神…上…女」「ぬさ…神に手向けるもの…上にたむけるもの…おとこ」「おひ…追い…感極まる」「かぜ…風…心に吹く風」「なむ…実現を希望する意を表す…そうあってほしい」「おひかぜ…追い風…心に吹く感極まる風」「ゆく…行く…逝く」「ふね…船…ふ根…おとこ」「ほて…帆て…帆の端…おて…男のはし」、「ほ…お…男」「うつ…打つ…ぶつ…たたきまながる…手で抱き愛しむ」。

 


 歌の言葉の「ぬさ」が「おとこ」などということは、近代人の大真面目な思考の及ぶところではない。そうと知らされてはじめて、伊勢物語や、古今和歌集恋歌四の歌などの、心におかしきところがわかるようになる。聞きましょう。

或る女が、業平朝臣を、ところさだめずありきす(誰かれなしに女の許に通う人)と思い、詠んで遣った歌。

 おほぬさの引く手あまたになりぬれば 思へどえこそ頼まざりけれ

 (大幣が引く手数多になってしまっては、君を思っていても、もう頼りにできませんわ……おおぬさが、女どもの引く手あまたになってしまっては、君を思っていても、その身の枝なんて、信頼しません)


 「おほ…おお…大…おとこ」「ぬさ…幣…おとこ」「え ざり…不可能の意を表す」「え…得…枝…身の枝…おとこ…木の枝…ぬさ」。


 業平の君はこのまま引き下がるお人ではない。返歌を聞きましょう。

 おほぬさと名にこそ立てれ流れても つゐによるせはありてふものを

 (おおぬさと評判は立っているが、流されて終に寄る瀬はあるというものを・それが貴女なのに……おおぬさと、何のために立っているか、流れて終に、津井に、頼る背ほねは在りという物を・見捨てるのか)。


 「な…名…評判…汝…おとこ…何…何しに」「立つ…評判が立つ…ものが立つ」「ながれ…川に流され…つゆ流れ…汝涸れ」「つゐ…終…究極…津井…女」「よる…寄る…頼る」「せ…瀬…背…おとこ」。

 
 「言の心」を心得ると心得ないとでは大違い。心得れば和歌が恋しいものになる。


 伝授 清原のおうな
 聞書 かき人知らず(2015・11月、改定しました)

 原文は青谿書屋本を底本とする新日本古典文学体系土佐日記による。


帯とけの土佐日記 正月廿二日(よんべのとまりより)

2013-02-06 00:09:43 | 古典

    



                                      帯とけの土佐日記


 土佐日記 正月二十二日(昨夜の泊りより)


 廿二日。昨夜の泊りより、他の港を目指して近づいて行く。はるか遠くに山が見える。歳九つばかりの、をのわらは(男の童)、歳よりは幼いのである。この童、船を漕ぎ行くにつれて山も行くと見えるのをみて、あやしいことよ、歌を詠んだ。その歌、

こぎてゆくふねよりみればあしひきの やまさえゆくをまつはしらずや

(漕いで行く船より見れば、遠くの山さえ一緒に行くのに、近くの松は知らないの・ついて来ないよ……こいで逝く夫根より見れば、あの山ばさえゆくのに、まつは感知しないのか)、

といった。をさなきわらは(幼い童…小さなおとこ)の言としては似つかわしい。


 言の戯れと言の心

 「としここのつ…年齢九歳…疾し九つ…早すぎが多い」「八…多い…九つ…八余り一…多過ぎ」「をのわらは…男の童子…おとこ」「ふね…夫根…おとこ」「見…覯…媾」「やま…山…やまば」「ゆく…行く…逝く」「まつ…松…待つ…女」「しらず…知らず…無関心…感知しない」。


 「おとこ」の立場で歌を詠む例は、伊勢物語に幾つかある。その内、伊勢物語第五十九章の歌で、古今集雑上の冒頭にある歌を聞きましょう。

 物いたく病みて、死に至りければ、おもてに水そそぎなどして、いき出でて、

我が上に露ぞおくなるあまのかは とわたる船のかいの雫か

(我が上に露がおりている、天の川、水門渡る彦星船の櫂の雫か……ぼくの上に露がおりた、吾女の貝かは、門わたる夫根の櫂の雫か)

となむいひて、いきいでたりける。


 おとこの歌と知って、言の心を心得て読まなければ、歌の清げな姿しか見えない。歌を聞くために必要だから、おとこの詠む歌をここに示してある。

 


 今日(廿二日)、海は荒れ気味で、磯に雪が降り波の花が咲いた。あるひと(或る女)が詠んだ、

なみとのみひとつにきけどいろみれば ゆきとはなとにまがひけるかな

(なみは・波とばかり一義に聞いていたけれど、色みれば白い雪と花とに、見まちがえてしまったことよ……汝身とばかり一つに聞いていたけれど、色見れば、逝きと花とに、まぎれてしまうことよ)。


 言の戯れと言の心

 「なみ…波…白波…汝身…並み…おとこ」「ひとつ…一つ…一義」「いろ…色…色彩…色や形ある儚いもの…色情」「ゆき…雪…逝き…ことの果て…白」「はな…花…波の花…汝身の花…白」「に…比較の基準を示す…変化の結果を示す」「まがふ…紛れる…見間違える…見うしなう」。


 波に寄せて、うたかたの、はかないおとこ花を詠んだ。

多様に戯れる「なみ」と云う言葉の「言の心」を心得ることは、歌を詠み、歌を聞くために必要である。


 夫の喪中に言い寄ってきた男を門前払いしたところ、恨みごとを言ってきたので、紫式部の返した歌を聞きましょう(紫式部集)。

かえりては思ひしりぬや岩かどに 浮きて寄りける岸のあだ波

(……ひっくり返って思い知ったか、岩角に浮かれて寄って来た、無用のおとこ汝身)。


 「岩・磐・石…言の心は女」「かど…角…門…女…おんな」「岸…来し…来た…波が砕ける所」「あだ波…不実な男波…無駄な汝身…無用の並み」。


 
伝授 清原のおうな
 
聞書 かき人知らず(2015・11月、改定しました)

 
原文は青谿書屋本を底本とする新日本古典文学体系土佐日記による。


帯とけの土佐日記 正月廿一日(うのときばかり)

2013-02-05 00:05:01 | 古典

    
    



                                       帯とけの土佐日記


 土佐日記 正月二十一日(卯の刻ばかり)


 廿一日。うのときばかり(朝六時ごろ)に船を出す。他の人々の船も出る。これを見れば、春の海に秋の木の葉が散ったようだった。おぼろげの願(並みの祈願…並々でない祈願)によってなのかしら、風も吹かず良い日和となって、漕ぎ行く。この間に、使ってもらおうとして、ついてきている、わらは(童)がいて、それが唄う舟歌、

なほこそくにのかたはみやらるれ、わがちゝはゝありとしおもえば、かへらや

(なおも、国の方は、見やってしまう、わが父母、在ると思えば、帰ろうかな……汝おこそ、くにの方は、みてしまう、ぼくの身の親、健在と思えば、くり返そうかな)、

と唄うのは、あはれなる(哀れである…感心する)。
 このように唄うのを聞いて漕いで来るときに、黒鳥という鳥が岩の上に集まっている。その岩のもとに、波が白く打ち寄せる。船頭の言うさま、

くろとりのもとに、しろきなみをよす

(黒い鳥のもとに、白い波が寄せている…黒髪のとりのもとに、白いおとこ波が寄せている)
 と言う。この言葉、何ということはないけれど、ものいふやうに(詩歌を詠む人がもの言うように)聞えた。人の程に合わないので、気に掛かる。

このようなことを言いながら行くときに、船君である人、波を見て、国に居る時から始まってずっと、海賊が報復してくるだろうと思う上に、海がまた恐ろしかったので、かしら(頭髪)もまた白くなった。なゝそぢやそぢ(七十路八十路…七十歳八十歳)は、うみ(海…憂み)にあるものだったのだ。

わがかみのゆきといそべのしらなみと いづれまざれりおきつしまもり

(我が髪の雪と、磯辺の白波と何れが白さ勝っているか、沖の島守よ……わが頭の白ゆきと、いそべの白なみと、何れがまさっているか、奥の肢間もりよ)。

かぢとりいへ(舵取り、言え…船頭、返し歌いえ)。


 言の戯れと言の心

「おぼろけ…普通の…特別の」「なほ…猶…直…汝お…このおとこ」「くに…国…地方…ふる里…女」「みやる…目で見る…見やる…身やる」「見…覯…媾…まぐあい」「ちちはは…父母…親…子の君にとっての身の親」「かへらや…帰ろうか…返ろうか…くり返そうかな」「あはれ…かわいそう…しみじみと感動する…かわいい」。

「黒…つよい色…黒髪」「鳥…女」「岩…女」「しろきなみ…白波…おとこ白なみ」「白…おとこの色…果ての色」。

「うみ…海…海路…憂み」「かみのゆき…髪の雪…白髪」「いそ…磯…女…井そ…おんな」「べ…辺…ほとり」「まさる…増さる…優る…勝る」「おき…沖…奥…女」「しま…島…肢間…女」「もり…守り…まもるもの…森…しげみ」。

「かぢとりいへ…船頭、この下品な歌に応えよ…船頭、わが奥のし間もりに代って、返歌を言え」。

 


 民謡である舟唄の言葉も、船頭の何気ない言葉も、「聞き耳異なるもの(清少納言枕草子第三章)」である。聞く人によって(意味が)異なって聞こえるものである。童が唄えども、言の心のある言葉からは、「心におかしきところ」が聞こえる。

 「舵取り(返歌を)言え」は、船君の歌に対する、語り手の批判で、前国守の船君は、ほんとうの歌を知らないで、下品な歌を詠む男という設定で登場している。


 
伝授 清原のおうな
 
聞書 かき人知らず(2015・11月、改定しました)

 
 原文は青谿書屋本を底本とする新日本古典文学体系土佐日記による。


帯とけの土佐日記 正月十九日・廿日(日あしければ)

2013-02-04 00:13:51 | 古典

    



                         帯とけの土佐日記


 土佐日記 正月十九日・廿日(日あしければ)

 
十九日。日が悪いので、船は出さない。

 
廿日。昨日のようなので、船を出さない。みな人々、うれへなげく(憂れいて嘆く)。苦しく心細いので、ただ日の経った数を、今日で幾日、二十日、三十日と数えていると、お指も傷めてしまいそう。とっても詫びしい。夜は眠れず、はつかの二十日の…かすかな)夜の月がでた。山の端もなくて海よりでてくる。このようなのを見てか、むかし、阿倍の仲麻呂という人は、唐に渡って、帰り来るときに、船に乗るべき所にて、彼の国の人、むまのはなむけし(餞別の宴を設けて)、別れ惜しんで、彼の国の漢詩を作ったりしたのだった。飽きもしなかったのだろうか、二十日の夜の月が出るまで、そうしていたという。その月は海より出たのだった。これを見て、仲麻呂の君、「わが国では、このような歌をですね、神世より神もお詠みになられ、今は、上中下の人も、このように、別れを惜しむときや、喜びも悲しみもあるときには詠むのです」といって詠んだ歌。

あをうなはらふりさけみればかすかなる みかさのやまにいでしつきかも

(青海原ふり離れて見れば、春日の三笠の山に出でた月なのだろうかなあ……吾をうな腹ふりさけ見れば、かすかである、三かさなる山ばに出た月人をとこだなあ)。

と詠んだのだった。彼の国の人、聞いてもわからないだろうと思ったけれども、ことのこゝろ(言の心)を、をとこもじ(漢字)にして、さま(内容)を書き出し、わが国の言葉を伝え知った人に言い知らせると、こゝろ(歌の心)を聞き得たのでしょう。思う以上に愛でたのだった。唐とわが国とは、言葉は異なるけれども、つきのかげ(月の影…月の光)は同じであろうから、人の心も同じことなのだろうか。さて今、その当時を思いやって、あるひと(或る女…語り手)の詠んだ歌。

みやこにてやまのはにみしつきなれど なみよりいでゝなみにこそいれ

(都では、山の端に見た月だけれど、このたびは・波間より出でて、波間に入る……宮こでは、やまばの端に見た月ひとおとこだけれど、な身より出でて、な身にぞ、入る)。

 言の戯れと言の心
 
「はつか…二十日…月の欠け衰えるころ…わずか…かすか」「あをうなはら…青海原…吾をうな腹…わが妻の腹…古今集の歌では初句『あまのはら』…天の原…女の腹」「をうな…女…妻」「あま…天…女」「ふりさけ…ふり離れ…ふり割け…ふり分け…ふり放け」「ふり…接頭語…振り」「見…覯…媾」「かすが…春日…かすか…わずか…衰えた様子」「みかさのやま…御笠山…み重ねるやまば…三つ重ねる山ば」「つき…月…月人壮士…仲麻呂自身」「かも…疑問の意を表す…詠嘆の意を表す」。

「みやこ…京…宮こ…感の極み」「やまのは…山の端…山ばの端」「見…覯…まぐあい」「月…壮士…おとこ」「波…汝身…この吾が身」「な…汝…親しいもの…このもの」「こそ…強調する意を表す」「入れ…入る…月が沈む…中に入れる…没入する…(つき人おとこが)絶え入る」。


 語り手の仲麿歌についての感想は、み重ねたつき人おとこだけれど、そのをうなの許に絶え入ったのねということ。
 
仲麻呂は、帰国の船が難破して南方に漂着した。再び彼の国の都に帰って高官として彼の国に没したという。


 伝授 清原のおうな
 
聞書 かき人知らず(2015・11月、改定しました)

 
原文は青谿書屋本を底本とする新日本古典文学体系土佐日記による。