帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔三十〕説教の講師は

2011-03-26 00:35:27 | 古典

  



                                      帯とけの枕草子〔三十〕説教の講師
 

 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」だけ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔三十〕説教の講師は

 
説教の講師は顔の良い方が――。 講師の顔をじっと見つめていてこそ、その説くことの尊さも感じられる。よそ見しているとふと聞き忘れてしまうので、にくらしそうな顔は、こちらが・罪を得るのではと思える。こういうこと言うのは止めましょう。少し歳などのよろしき若かりし頃は、このような罪を得ることなど書き出すでしょうが、今は(仏法僧を敬わない)罪がとってもおそろしい。

 
また、尊いことに、道を求める心多くあるというので、説教するという所ごとに行って居るのは、やはりこの罪な心には、そうまでしなくてもと思える。

 
蔵人を退いた人、昔は行幸の前駆けなどいう仕事もせず、その年には内裏辺りに影も見えなかった。今はそうでもないのでしょう、蔵人の五位といっても、それでも忙しく使われているが、やはり名残は暇な人であって、ただ心には暇のある心地するらしくて、そのような所(法会)で、一二度聞き初めれば常にでかけたくなって、夏などのひどく暑いときにも、かたびら(帷子・夏の内衣)とっても鮮やかなのにして、薄い二藍、青鈍の指貫など、裾で括らず・踏みちらしているようで、烏帽子に物忌み札付けているのは、そんな日だけれど、功徳の方にはさし障りはないと思うのでしょうか。

 
その事(説教の準備)する聖と話しをし、車停める所さえ気をくばって見ていて、仕事についているかの様である。久しく会わなかった人が詣でて会うと、珍しがって近くに寄りもの言ってうなずき、おかしいことなど語りだして、扇ひろげて口にあてて笑い、よく装飾した数珠をまさぐり出して、手まさぐりにして、あちらこちら見回すようにして、車のあしよしを褒め、謗り、どこそこでその人の催した八講、経供養したことが、ああであった事こうであった事を言いあっている間に、この説教の方は聞いていない。どうしてか、常に聞くことなので耳が慣れてめずらしくもないためなのだと。

 
そうではなくて、講師が座ってしばらくして、前駆小人数でいらっしゃる車、停めて降りる人、蝉の羽よりも軽そうな直衣、指貫、生絹のひとえなど着ているのも、狩衣の姿なのもいる。そのような様子で若やかな三、四人ばかり、侍の者もまたそのようにして入ってこられると、初めから居た人々もさっと身じろぎして取り繕い、その人たちが・高座の近くの柱のもとに着席して、かすかに数珠おし揉みなどしながら聞いているのを、講師も、光栄に思うでしょう、どうにかして語り伝える程の説教をと説きだしたのである。
 
聴聞なども、倒れて騒いだり、額ずく程ではなくて、適当な頃合いに退出するということで、車ども(彼らの車…わが女車)の方を見やって仲間どうしで言っていることも、何の事かしらと思える。見知っている人は興味あると思い、見知らぬ人は誰だろう、あの人かなと思って、注目して見送られているのは、おかしけれ(趣あったことよ…みな容姿佳かったなあ)。

 
あそこで説教した、八講したなどと人が言い伝えると、「その人はいましたか、どうでした」などと決まって言われている。よけいなことである。どうして全然顔出さないでおられようか、あやしげな女だって熱心に聞いているものを。

 
それでも行き初めの頃は、徒歩の人はいなかった。たまには、壷装束などして、艶かしく化粧していた人もいたようだけれど、それも、もの詣でなどしていた。説教などにはとくに多いとは聞かなかった。

 
この頃、あの折り、さしでがましかった人(あの女来てましたか、なんて言った人)、命長くて、今のわたしを・見たならば、どれほどそしり誹謗するでしょう・説教聴聞など常のことだから。



 父の元輔は、国守として寛和二年(986)肥後国に赴いた。正暦元年(990)任地の肥後国にて卒。享年八十三。
 その頃、京にあって二十一歳から二十五歳、夫も子も居たけれど、自由で暇な人、宮の内のことや法会のことなど、仕事のように手伝っていたのは、退職蔵人のことだけではなく、すべて自分の事。おせっかいな女。法会などには必ず来ていたので、説教など聴き慣れて聞いていなかったり、若い男たちに目を奪われたり、心澄む女ではなさそうでしょう。そのようなことを、少し遠回しに書いてある。


 伝授 清原のおうな
 聞書  かき人しらず      (2015・8月、改訂しました)

 枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 岩波書店 枕草子によった