帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔二十〕清涼殿 その一

2011-03-12 06:15:40 | 古典

 



                                      帯とけの枕草子〔二十〕清涼殿 その一



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」。「
心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 

枕草子〔二十〕清涼殿 その一


 清涼殿の、うしとらのすみ(東北の隅)の北の隔てである、みさうし(御障子)は、荒海の絵で、生き物の恐ろしいの、手長足長などが描いてある。上の御局の、と(戸)をおし開けると常に目に見えるので、女房たち・にくみてわらふ(にくらしがって笑う)。

勾欄のもとに青の瓶の大きなのを据えて、桜のとっても素晴らしい枝の五尺ほどのを、多くさしてあるので、勾欄の外まで咲きこぼれている、昼ごろ、大納言殿(宮の兄君、伊周)が、桜の直衣の少し柔らかい感じに、濃い紫の固紋の指貫、白い衣、上には濃い綾のとっても鮮やかなのを、少し出しているといった着こなしで参上されるとき、主上がこちらにいらっしゃるので、戸口の前の細い板敷(見参の板)にて、なにか申し上げておられる。

  御簾の内に、女房たちが桜の唐衣など、くつろいで脱ぎ垂らしてあり、藤・山吹など色とりどりなのが好ましくて、多く小半蔀の御簾よりおし出しているようす。昼の御座の方では御膳を差し上げる用意の足音がたかい。警護の者の「をし」という掛け声が聞こえるのも、うららかでのどかな日ざしのようすなど、とっても趣があるうえに、最後のお膳を持ってきた蔵人が参って、御膳のこと申し上げると、主上は中の戸よりお移りになられる。御供に、廂の間より大納言殿、お送りにいらっしゃって、居た花のもとにおかえりになられる。宮が御前の御几帳を押しやって長押のもとにお出になられるのも、なにとなくただめでたくて、お仕えする人も思うことのない心地がするときに、大納言殿、
 月も日もかはりゆけども久に経る みむろの山の――

(月も日も、とり代わり行けども、久に経る三諸の山の・と津宮どころ……つきも引も、とりかわり逝けど、久しく経る三諸の山ばの・潤い波高き宮こどころよ)

という古歌を、とっても緩やかに歌い出される。まことにすばらしく思えて、なるほど千年も変わらず在って欲しい御有様であることよ。

 
 給仕してさしあげる人が蔵人らを呼ぶまもなく、主上はこちらにわたってこられた。宮「御硯の墨すれ」と仰せになられたが、うわの空で目はただ主上がいらっしゃるのを拝見していて、墨挟みをはずしてしまいそうになる。白い色紙を畳んで、「これに、たった今思い出す古い歌を、各自一つづつ書きなさい」と仰せになられる。外におられる大納言殿に、「これは、いかが(お書きになりません?)」と申し上げると、「はやく書いて差し出しなさいよ、男は歌(女の言葉)など書き加えるべきではございません」と、差しかえされた。御硯を下されて、「はやくはやく、ただ思いめぐらすことなしに、難波津(手習いの初めに習う歌)でも何でも、ふと思う歌を」とせかされると、なぜこんなに気後れがするのだろうか、すべて顔まで赤くなって思い乱れることよ。春の歌、花の心の歌、そういったのを上位の女房たちが二つ三つ書いて、「これに(お書き)」とあったので、
  としふればよはひはおひぬしかあれど 花をしみれば物思ひもなし

(年が経てば年齢は老いるけれど、花を見ればもの思いもしていない・ただ咲きこぼれている……疾しつき経れば、よばいは感極まるけれど、お花を見れば、いまだその思いもなし)

という古歌を、「君をしみれば」と書き直した。ご覧になって見比べられ、宮、  
  「たゞ此心どものゆかしかりつるぞ」

(ただこの古歌などの心が知りたかったのよ……ただこの歌の情の奥ゆかしいことよ・皮肉)

と仰せになられる。ついで、宮、
 
「円融院の御時に、草紙に歌一つ書けと殿上人に仰せられたが、たいそう書き難く辞退する人々もいたので、『そうではない、だだ、字の上手下手や歌が時に相応しくなくてもかまわないのだ』と仰せられたので、困惑しながらも皆が書いたなかで、今の関白殿(父道隆)が三位の中将と申されていた時、
  しほのみついつものうらのいつもいつも 君をばふかく思ふはやわが
(潮の満つ出雲の浦のいつもいつも君をば深く思うよわたしは……満ちくる思いのいつもの心の、いつもいつも、君を深く思っているのよわたしは)という歌の末を、頼むはやわが(ご信頼しておりますことよ我は)とお書きになったのを、円融院がたいそうお褒めになられたという」
と仰せになられるにつけても、ただただ汗の出る心地がする。(わたしが書き直したのは)年若い人ならば、やはりとても書くことはできない歌の様子ではないか、などと思える。常にはよく書く人も、どうしょうもなく、皆、萎縮して書き損じたりしている。


  言の戯れを知り言の心を心得ましょう

「にくみなどしてわらふ…うしとらのす身の双肢は、荒うみの絵、生々しいものどもの、恐ろしげな、わざ長悪し長などが描いてある、とを開くと、常に見えるので、いや、きらいなどと言って笑う」。「すみ…隅…す身…女」「す…女」「さうし…障子…双肢…両脚」「てながあしなが…手長足長…業長悪長…多淫」「と…戸…門…女」。

 

 古歌「月も日も」、万葉集巻十三吉野の離宮を詠んだ歌。「月…男…突き」「日…(情熱の)火…引」「かはり…摂…とり代わり…交互に」「三諸の山…みむろの山々…都を囲み守る山々…見の多い山ば」「三・諸…多い…もろもろ」「とつ宮どころ…礪津宮地…岩あり水ある離宮の地…山ばの頂の潤いある宮こどころ」「と津…礪津…岩など多くある水のあるところ」「津…女」「宮地…宮どころ…離宮のある地…宮こどころ…絶頂…このような意味があるため伊周はここを略した」。

 

 古歌「としふれば」。「とし…年…敏し…疾し」「よはい…年齢…夜這ひ(竹取物語にもある言葉)」「おい…老い…追い…ものの極まり…感の極まり」「花(梅、桜)…木の花…男花…おとこ花」。書き換えた部分は「君…男」「をし…強意の助詞…男肢…おとこ…このようにも聞こえることが冷や汗の出る心地がする因」「見…覯…まぐあい…これも冷汗の出る因」。

 

古歌「しほのみつ」。「しほ…潮…心に満ちては引く諸々の思い…士お…おとこ」「いづものうら…出雲の浦…いつも煩わしいばかりにわきたつ心」「雲…煩わしくも湧きたつもの」「うら…浦…女…心」「はや…深い感動を表す」。末を「頼むはや我が」と変えると、本歌の女の情感を艶として残しつつ信頼の情を示す歌となる。

 

宮の内のうららかでのとかだった様子を記すと共に、中関白家の、殿(道隆)、大納言殿(宮の兄君、伊周)、宮(中宮定子)の、和歌についての確かな教養を愛でてある。

 
 伝授 清原のおうな


 聞書  かき人しらず   (2015・8月、改訂しました)


  枕草子の原文は、岩波書店  新 日本古典文学大系 枕草子による。