goo blog サービス終了のお知らせ 

帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの小町集 88 我身こそあらぬかとのみ

2014-03-28 00:22:16 | 古典

    



                帯とけの小町集


 

小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。


 

 小町集 88


 見し人のなくなりしころ、

(見知った人が亡くなった頃……見た男がなくなったころ)・詠んだ、

 我身こそあらぬかとのみたどらるれ とふべき人に忘られしより

 (わが身が、この世に・無いのかとばかり、思い迷ってしまう、訪うべき人に忘れられてから……わが身がよ、無なのかとばかり、惑い探ってしまうわ、訪うべき人に見捨てられてから)。

 

言の戯れと言の心

詞書「見し…見知った…夫婦になった…ちぎり交わした…まぐあった」「なくなりし…亡くなった…居なくなった…無くなった」。

歌「こそ…強調する意を表す…よ…様…呼びかけの意を表す…そこ…其処」「あらぬ…有らぬ…無い…在らぬ…生存してない…存在感がない」「たどらるれ…思い迷われる…辿られる…家系・先祖を辿ってしまう…(他の女達に比して身分の低さなど)顧みてしまう…探り求めてしまう」「るれ…るる…自発…自然にそうする意を表す」「とふ…訪れる…問う…相談する」「人…あの人…恋しい人」「わすられし…忘れられた…失踪された・出家された…見捨てられた」「られ…らる…受身の意を表す」。

 


 歌の清げな姿は、恋しい人が訪れなくなった比較的身分低き女の心情。

歌の心におかしきところは、独り寝の女の、性愛(エロス)にかかわるありさま。

これらから心深いところが感じられ、清げな姿と心におかしきところの品が良ければ、藤原公任の言う「優れた歌」となるのでしょう。

 

この歌は、『新古今和歌集』恋歌五に、題しらず、小野小町としてある。恋歌五にあるのは恋の最終段階の歌。

 


 『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり同じではない。


 

以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。

 

古今集真名序には「彼の時、澆漓(軽薄な)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。

 

紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。

 

貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。

 

清少納言の言語観は『枕草子』(3)にある。「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉」。同じ言葉でも、聞く耳によって異る『意味に』聞こえるもの、それが我々の言葉であるという。

 

上のような平安時代の言語観と歌論を無視して、江戸時代以来、国学と国文学によって、歌集や歌物語の歌の注釈と、「清げな姿」のみから憶測する解釈が行われてきたけれども、それらは根本的に間違っている。

和歌は、言葉が常に複数の意味を孕んでいることを踏まえ、それを逆手にとって、複数の意味を表現していたのである。古今伝授として秘伝となって、それらが埋もれた後、学問的解明は、歌の言葉の唯一正しい意味を求めるという逆の方向に進むので、解釈は平安時代の人々が享受した意味とは程遠いものとなる。