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「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義
「百人一首」の和歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成の歌論と言語観に従って、歌の「表現様式」を知り「言の心」を心得て、且つ、歌言葉は「浮言綺語に似て」意味が戯れることも知って、和歌を聞けば、「心におかしきところ」や「言の戯れに顕れる深い主旨・趣旨」が心に伝わる。ものに「包む」ように表現されてある。
和歌は、俊成の言う通り「煩悩」、言い換えればエロス(性愛・生の本能)が表現されてある。歌言葉の戯れを利して、「清げな姿」の裏に、貫之のいう「玄之又玄」なる情態で秘められてある。今の人々は、一義な国文学的解釈に久しく連れ添い、離れ難いでしょうが、そろそろ、平安時代の和歌の文脈に一歩足を踏み入れてみれば、和歌の真髄が心に伝わるはずである。
藤原定家撰「小倉百人一首」 (九十四) 参議雅経
(九十四) み吉野の山の秋風さ夜ふけて ふるさと寒く衣打つなり
(み吉野の山の秋風、さ夜更けて古都の里は寒く、家々では冬じたく・衣を打つ砧の音がしているようだ……見好しのの、山ばの飽き風、さ夜更けて、古妻、心寒く、ひややかに我が・身と心を打つのである)
言の戯れと言の心
「み吉野…土地の名…名は戯れる。見良しの、身好しの」「山…山ば」「秋風…飽き満ち足りた心風…厭き風…冷風」「風…心に吹く風」「ふるさと…古都の里…古里…古妻」「里…さと…言の心は女…さ門…おんな」「寒く…寒風吹く…心冷ややか」「衣打つ…砧(きぬた・木槌)で打ち衣を柔らかくし艶出しをする作業…冬衣の準備…女の仕事…男のころもを手で打つ」「衣…心身を被うもの…被服…心身の換喩…身と心」「なり…(音などから)推定する意を表す…のようだ…断定を表す…である」。
歌の清げな姿は、遠く古き里に思いを馳せた、晩秋の主婦の営みの風情。
心におかしきところは、飽き果てた情の浅い男の身と心を打つ、心寒い古妻の気色。
新古今和歌集 秋歌下、「擣衣の心を」、参議雅経。
藤原雅経は、新古今和歌集撰者の一人。二十二首入集。藤原俊成を歌の師とした。『後鳥羽院御口伝』に「雅経は、殊に案じかへりて歌詠みしものなり。いたくたけある歌などは、むねと多く見えざりしかども、手だりと見えき」とある。(言葉をよく吟味して歌を詠んだ者である。宗として崇高な姿をした歌などは多くないけれども、熟練した上手と思う)と読んで、大きな間違いはないだろう。
もう一首聞きましょう。新古今 恋歌四、「水無瀬恋十五首歌合に」、「羇中の恋」を詠んだという。旅の途中で遊女とのちぎりを詠んだ歌。
草枕むすびさだめん方しらず ならはぬ野辺の夢の通ひ路
(旅枕、草結び、作り方も・定める方角も、知らず、慣れぬ野辺の夢の通路の・一夜よ……草枕、共寝、ちぎりの結び方も、定めも知らず、慣れぬ野辺の、夢のような通い路よ)
「草…言の心は女」「まくら…枕…枕交わす…共寝する」「路…通い路…言の心は女・おんな」。