■■■■■
「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義
平安時代の和歌は、近代以来の現代短歌の表現方法や表現内容とは全く異なるものであった。原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成の歌論と言語観に素直に従って「百人一首」の和歌を紐解く。公任は「およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」という。全ての歌に「心」と「姿」と「心におかしきところ」の三つの意味が有り、心は「深く」姿は「清げ」で、心におかしきところは「愛でたく添えられてある」のが優れた歌であると言う。近代以来の短歌や国文学の和歌解釈に慣れてしまった人々には理解困難な歌論だろう。江戸の国学も国文学もこれを無視して、新たなに和歌を解く方法を創り上げた。「序詞」「掛詞」「縁語」の修辞法で表現されてあったと言うのであるが、平安時代の文脈から見れば、奇妙な把握ぶりである。こちらの方を無視して一切触れないで、百人一首の和歌の奥義を紐解く。
藤原定家撰「小倉百人一首」 (十九) 伊 勢
(十九) 難波潟みじかき葦のふしの間も あはでこのよを過ぐしてよとや
(難波潟、短い葦の節の間も逢わずに、この世を過ごして居よと・おっしゃるのねえ……何は堅、短い伏している間も、合わずに、この夜を過ごして居れと、おっしゃるの ? )
言の戯れと言の心
「難波潟…難波津の干潟…土地の名…名は戯れる。何は方、何はのあれ、何は堅」「あし…葦…脚…肢」「ふしの間…節と節の間…伏しの間…貴身の折れ伏している間」「葦、薄、稲などの言の心は男」「あはで…逢わずに…合わずに…合体せず…和合せず」「よ…世…男女の仲…夜」「てよ…〔つ〕の命令形…してしまえ」「とや…疑問の意を表す、詠嘆の意を含む」
歌の清げな姿(俊成のいう、気高き姿)は、くすぶりつつ燃え上がった、逢えない恋の思い火。
心におかしきところ(俊成のいう、言の戯れに顕れる趣旨)は、貴身の短い伏しの間も待てない、乞いする思い。
伊勢は古今集女歌人の第一人者。宇多天皇の寵愛をうけ、伊勢の御、伊勢の御息所と称される。
この歌は、新古今和歌集 恋歌一 題知らず、伊勢としてある。この歌の次に人丸(人麻呂とは限らない)の歌が並べ置かれてある。伊勢の歌とほぼ同じ情況を男の立場で詠んだ歌と思えばわかりやすい、聞きましょう。
みかりする狩り場の小野の楢しばの なれはまさらで恋ぞまされる
(御狩りする狩り場の小野の楢柴のような、馴れは増さらず・親しみ増さず、恋しさだけが増している……身かりする、かり場の、おとこの、萎えは堅くなり増さらず、おんなの・乞いだけが増している)
「み…御…見…身」「見…覯…まぐあい」「かり…狩り…猟…獲る…あさる…採る…めとる…まぐあう」「小野…所の名、名は戯れる、をの、男の、おとこの」「の…所在を表す…比喩を表す」「なら…楢…木の言の心は男…木の名、名は戯れる、馴れ、萎え、よれよれ、伏し」「しば…柴…薪…枯れた小枝」「なれ…なる…慣る…なれ親しむ…おなじみとなる…萎る…よれよれになる」「まさらで…増さらず…益さらず…上向かず」「恋…乞い…求めること」「ぞ…強調の意を表す」
この歌の本歌は、万葉集 巻第十二「寄物陳思」(物に寄せて思いを陳べる)歌の中にある、よみ人知らず。
御狩為す 雁羽の小野の 櫟柴の なれは不益 恋こそ益る
寄せられる景物は多少変わっても、寄せる思いは、上の歌と変わらない。
「かりは…雁羽…鳥端…女の端…おんな…かり場」「雁…鳥の名…鳥の言の心は女」「かり…狩り…猟…あさり、めとり、まぐあい」「櫟…くぬぎ…つるばみ…薪用…平服の染め色…着慣れた衣の色…つるばみのなれにし衣に(万葉集十八に一句あり)…木の言の心は男」
万葉集も、歌のさま(歌の表現様式)は変わらない。心得るべき「言の心」も同じである。