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帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

「小倉百人一首」 (二十一) 素性法師 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-01-21 19:15:46 | 古典

             



                     「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義



 平安時代の和歌は、近代以来の現代短歌の表現方法や表現内容とは全く異なるものであった。
原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成の歌論と言語観に素直に従って「百人一首」の和歌を紐解く。公任は「およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」という。全ての歌に「心」と「姿」と「心におかしきところ」の三つの意味が有り、心は「深く」姿は「清げ」で、心におかしきところは「愛でたく添えられてある」のが優れた歌であると言う。近代以来の短歌や国文学の和歌解釈に慣れてしまった人々には理解困難な歌論だろう。江戸の国学も近代の国文学もこれを無視して、新たなに和歌を解く方法を創り上げた。「序詞」「掛詞」「縁語」の修辞法で表現されてあったと言うのであるが、平安時代の文脈から見れば、奇妙な捉え方である。こちらの方を無視して一切触れないで、百人一首の和歌の奥義を紐解く。


 

藤原定家撰「小倉百人一首」 (二十一) 素性法師

 

  (二十一) いまこむといひしばかりに長月の ありあけの月を待ちいでつるかな

(今にも来るだろうと言ったばかりに、長月の・秋の夜長を、有明の月まで待って、逢引の宿を・出てきたことがあったなあ……井間、絶頂が・来そうなの、と言ったばかりに、長つきの、明け方の尽きを待ち、井間より・出てきたことがあったなあ)


 言の戯れと言の心

「いま…今…今にも…すぐ…井間…おんな」「こむ…来るつもり…来るでしょう…来そうだ」「といひしばかりに…(女が)言ってきたばかりに…(井間が)言ったと感じただけのことで」「長月…九月…晩秋…夜長…長突き」「月…月人壮士(万葉集の歌詞・月の別名は、ささらえをとこ)…月の言の心は男…突き…尽き」「ありあけの月…明け方空に残る月…残月…明け方まで残ったおとこ」「いでつる…出でた…退出した…出家した…引きあげた…逃れ出た…ものが出た」「つる…つ…完了していることを表す…(過去にそのようなことがあったが)今に引きずっていない事を表す」「かな…(だった)なあ…(だった)ことよ…感動・詠嘆の意を表す」

 

歌の清げな姿(気高き姿)は、恋人に待ちぼうけを喰らわされた情況。

心におかしきところ(言の戯れに顕れる趣旨)は、合う坂の山ばの頂上が、いまに来るからと言われ、明け方まであい努めたが、終に退出したさま。

 

この歌は、古今和歌集 恋歌四にある。題しらず。恋歌ではあるが失恋の歌のようである。
 「いま」「こむ」「つき」「いでつる」は、清少納言のいうように「聞き耳異なる言葉」と捉えることができる。「こむ」の来るものは、人とは限らない、女の感情の山ばのことかもしれない、そのように聞く耳を持って、この歌を聞けば、「心におかしきところ」が顕われる。また、このような経験と体験が「いでつる(出家)」の因になったかもしれぬと聞けば、歌の「深い心」も見えて来るだろう。この文脈で言葉の孕んでいた意味のすべてを聞く耳を持てば、和歌も枕草子の言動も「いとをかし」と共感することができるだろう。


 

平安時代の歌論と言語観は、およそ次のようなことである(以下再掲載)


 ①紀貫之は『古今集仮名序』の結びに「歌のさま(様)を知り、こと(言)の心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と述べた。和歌の「恋しくなる程のおかしさ」を享受するには「表現様式」を知り「言の心」を心得る必要が有る。「歌の様」は藤原公任が捉えている。

②公任は『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりというべし」と優れた歌の定義を述べた。歌には品の上中下はあっても、必ず一首の中に「心」「姿」「心におかしきところ」の三つの意味があるということになる。これが和歌の表現様式である。

清少納言は、枕草子の第三章に、言葉について次のように述べている。「同じ言なれども聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。げすの言葉にはかならず文字あまりたり」。言いかえれば、「聞く耳によって(意味が)異なるもの、それが我々の用いる言葉である。言葉は戯れて有り余るほど多様な意味を孕んでいる。この言語圏外の衆の言葉は(言い尽くそうとして)文字が余っている」となる。これは清少納言の言語観である。

藤原俊成は古来風躰抄に「(歌の言葉は)浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕はる」という。歌の言葉は戯れて、それぞれ複数の意味を孕んでいるので、歌に公任の言う三つの意味を詠むことは可能である。「言の心」と「言の戯れ」を心得れば顕れる「深き旨」は、煩悩の表出であり歌に詠めば即ち菩提(悟りの境地)であるという。それは、公任のいう「心におかしきところ」に相当するだろう。

⑤藤原定家は、当然、上のような歌論と言語観を踏まえた上の歌論となるだろう。それに基ずいて、「百人一首」を撰んだのである。


 定家以降、歌の奥義は歌の家の秘伝となり、一子相伝の口伝となって、何代か後には埋もれ木となり、秘伝は朽ち果て、奥義は見えなくなった。同時に上のような歌論と言語観が理解不能となった。そして、国文学は、秘伝も平安時代の歌論も言語観も無視して、和歌の解釈を行い現代に至るのである。