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帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

『小倉百人一首』余情妖艶なる奥義 (一)天智天皇

2016-01-01 01:43:51 | 古典

            



                「小倉百人一首」 余情妖艶なる奥義

 


 和歌の奥義は秘伝となり相伝・口伝伝授となって、今も埋もれたままである。紀貫之が「玄之又玄」という、歌言葉の奥の奥に秘められた意味があった。「歌のさま」を知り「言の心」を心得た人には聞こえると云う。

藤原公任は、歌に「心におかしきところ」があると言いい、藤原俊成は「歌言葉の、浮言綺語の戯れに似た戯れに、ことの深き旨も顕れる」といった。歌の「心におかしきところ」と「ことの深き旨」が奥義である。「小倉百人一首」の撰者、藤原定家は、上のようなことを当然踏まえた上で、歌体は十種類ほどに分けられるが、すべの歌体に共通するのは「有心体」であるという。それは「心におかしきところ」や「深き旨」の有ることを指すのだろう。

定家は「毎月抄」で、次のように述べている。秀逸の歌は「先ず、心深く、たけ高く巧みに言葉の外まで余れる様にて、姿けだかく、詞なべて続け難きが、しかも安らかに聞こゆるやうにて、おもしろく、幽かなる景趣たち添ひて、面影ただならず、気色は然るから、心も、そぞろかぬ歌にて侍り」「あきらかならず、おぼめかしてよむ事、これ已達の手がらにて侍るべし」などと記している。たいそうわかり難い文であるが、秀逸の歌の奥義が、心に直接伝わるように紐解いた後には、この文の意味もわかるだろう。「小倉百人一首」の歌は定家の撰んだ秀逸の歌である。



藤原定家撰「小倉百人一首」 (一) 天智天皇

 

(一)    秋の田のかりほのいほのとまをあらみ わが衣ては露にぬれつつ

(秋の田の刈り穂の庵の苫が粗いために わが衣手は露に濡れていたことよ……飽き足りた田の民の、狩り・仮庵にて聞く、井おの、門間お、荒く激しいために、わが心と身の端は、つゆに濡れていたことよ)


 言の戯れと言の心
 
「秋…収穫の秋…飽き満ち足り」「田…田の民…わが民と国土」「かり…刈り…狩り…猟…あさり・むさぼり・めとり」「ほ…穂…稲穂(収穫)…お…おとこ」「いほ…庵…仮小屋…井お…女と男」「い…井…女」「とま…苫…萱や藁を編んで小屋の屋根や周囲を被うもの…門間…おんな」「を…対象を示す…お…おとこ」「あらみ…粗いために…荒いために…激しいために」「ころもて…衣のそで…心身の端」「ころも…衣…心身を被うもの…心身の換喩…身と心」「つゆ…秋の露…夜露・朝露…汁…身のなみだ」「つつ…継続していることを表す…感嘆・詠嘆の意を表す」 

 

歌の気高き姿は、秋の収穫終えた民の穏やかな夜の田園の風情。

言の戯れに顕れる趣旨は、飽き満ち足りた民の、井おの、門間お、荒く激しいために・聞こえる、わが身と心も、つゆに濡れていた。


 

昼間は民の竈に煙が立っていただろう。夜の子孫繁栄のいとなみを、「あきらかならず、おぼめかしてよむ事、これ已達の手がらにて侍るべし(明らかではなく、ぼやかして詠む事、これ既に練達の人の手法であろう)」と、称賛したくなる方法で表現された御歌。

 

歌の「清げな姿」を解く現代の国文学的な解釈を、比較の為に又は批判する為に、此処に掲げることはしない。平安時代の文脈から遠く隔たってしまった為に、比較にもならないからである。大方の高校生の用いている古語辞典には国文学の達した解釈が載っているのでそれらを御覧ください。

 元旦早々、百人一首の歌の、ほんとうの意味を紐解いてゆきます。その内容は、明るい太陽のもとには相応しく無いので、未明に投稿しました。
本年も「帯とけの古典文芸」をご愛読くださいますようお願いいたします。